ここまでの私の映画遍歴を時系列でもう一度おさらいしておく。

・2001年8月 「千と千尋の神隠し」鑑賞→宮崎氏の限界を感じ取り、以後しばらく劇場から遠ざかる
・2014年 新作の実写版「機動警察パトレイバー」上映を知り、短編すべて+劇場版の本編+ディレクターカット版までを網羅する。
・2016年10月1日 「君の名は。」を鑑賞→映画はスクリーンで見るべきだと知らされる。
・2017年9月1日 「きみの声をとどけたい」鑑賞→SNSでの発信は重要と知らされる。
以後、SNSでの発信や劇場のつぶやきなどを拾うようになる。
・2018年1月 下北沢トリウッドでの「きみの声をとどけたい」上映から俄然、インディペンデント系も耳に入る。
・2018年3月 「かぞくへ」「ユートピア」など、低予算の映画の良作ぶりが伝わってくる。
・2018年6月 遂に!単館系/大規模公開に至らない「かぞくへ」を鑑賞するに至る。

劇場作品の断絶につながってしまった「千と千尋」については、いまだに良作と判定することは叶わない。ちなみに17年前/30歳前半。やっていた店の後始末も済み、精神的にも落ち着いていたころなだけに、こころのせいとは言い切れない。やはり、長丁場による間延び感が、ファンタジーとするには退屈だったし、ラストシーンの不十分さがすべてをスポイルしてしまったとさえ思う。
それに比べて、「君の名は。」の充実感よ。ラストも出会えて(かなり無理筋だがww)大団円。すべての感情が沸き起こるアニメーション映画があるのか、と腰を抜かすほど驚いたのをありありと思い出す。

それからの私は、最低週一でスクリーンに座ることになっていく。顕著になったのは、2017年の2月以降。ランキングに載せようと君縄三昧を続けたわけだが、それが不可能になっていく5月からは、ほかの作品にも触手を伸ばすことになっていくのだ。
アニメだけが守備範囲だった私が、邦画にまで手を出し、年間20タイトル以上も見ることになるなど思いもよらなかった。ちなみに今年は、50タイトル前後になりそうな勢いである。

そして、今回「かぞくへ」を見るきっかけというか、これは!!と思わせたのは、下北沢・トリウッドの影響が無視できない。良作のチョイスぶりが絶妙だからだ。特に「きみの声をとどけたい」をどうしてここだけがロングランするに至ったのか、は今年最大の謎なのだが、アニメーションにも門戸を閉ざさないトリウッドならでは、といえなくもない。ここの上映作品の選択は、「観ておけよお前ら」と言われているようで、いい指針にもなる。
その「かぞくへ」が京阪神3劇場で上映。神戸は「元町映画館」という、香ばしい名前の劇場のみでやるという。しかもほかの作品に埋もれながらの一回のみ。でも、仕事終わりで見られることが救いといえば救い。ゆっくりと時間をつぶしながら上映時間を待つ。

小劇場らしく、整理番号方式/自由席というスタイル。もっとも、今日は前日初日に監督の登壇があった影響で、わき役一人だけが舞台挨拶とアナウンスされたせいもあり、結果10人を少し上回る入込となった。ところが、前説で、なんと主役(原案も担当)の松浦慎一郎氏も登壇するというではないか。これは大ラッキー♪
果たして、出てきたのは、チラシ配りをしていた佳奈役の下垣まみ嬢と、主役の松浦氏。なんでも、ボクシングトレーナー役は、自身の生業でもあったと聞かされ、どうりで身体ができているのだと納得する。

さてストーリー。
自堕落ではないが、定職とは言えないトレーナー役で生活している旭と、デザイナーで生計を立てている佳織。結婚を間近に控えた二人は幸せ、というには少しわだかまりのある距離感を最初から感じてしまっていた。同棲して長くなってくるとこういう感覚にとらわれるのだろうな、ということがひしひしと伝わる。生徒でもあった喜多のもうけ話に、地元・五島列島の友人・洋人を紹介する旭。だがとんとん拍子に話がまとまるのがあまりにうさん臭かった。
そして喜多が『飛ぶ』。彼の撒いた毒ガスは、旭・佳織の来るべき夫妻にも確実に翳りをまとわせていく。ここで旭は、迷惑をかけたとばかりに洋人に支援をする。それは「巻き込んでしまった」旭ならではの謝罪の意味合いもあった。洋人もしぶしぶながらその申し出を受け取る。ちなみにだまされたと知った洋人は首都圏に移り住んで喜多を見つける方向にかじを切っていた。
二人の間の亀裂は日々些細なことで広がっていく。友人と将来の妻のどちらを優先すべきか…悩んでいる姿はあまり描写されなかったが、結果的に佳織がないがしろになっていく。結婚式のディナーの試食会と、喜多との遭遇が同一日になってしまい、結果旭は後者を優先する。二つのイベントが重なる。その時人はどちらを優先するのか…出て行く佳織の指摘は、正鵠を射ており、ぐうの音も出ない。
そして婚約解消。まあ、この流れは致し方なかろう。友人を第一義に思ってしまったのだから、こうなって当然である。事務的な彼女のサバサバぶりは「女を分かっている」と言いたくなる。その一方、女々しく布団にくるまる旭。取り返しがつかない選択の数々が、彼をも傷つけていたのだ。
だが、洋人の方はと言うと、大逆転。喜んでもらおうと旭を誘うのだが、自分はどん底状態なのに洋人が以前の支援をお返しするといい出す。良かれと思ってした支援なのに今の自分にはそれがすんなり受け取れない。そればかりか、「あてつけ」に感じてしまった旭は店内で激高してしまう。
店先で別れる二人。絶交、ともとれる言葉を旭が言い出す。「おい、もうどうでもよくなってしまったのか…」私もさすがに身構える。そこへ洋人が結婚式のスピーチをもって旭を追いかけてくる。「ウワ、やっちまった…」もう開かれない披露宴。そしてそれを知らせていない旭。そう。もう十分に時間は経っていたのだった。
泣きだす旭は、ここで初めて真実を明かす。だが、洋人はあっけらかんとこう言い放つ。「削るところなかったから」。本音がこうも胸を打つのか…破談になったことを言わずにスピーチしなくて済んだことに安堵する洋人。そして泣く旭にとどめの一言を言う。


完全なラストシーンでヴワッッッ(´;ω;`)になったのは「タッチ 背番号の無いエース」以来だ。それくらいこのラストシーンは破壊力がある。まさにこのシーンがあるからこそ、「かぞくへ」というタイトルが生きるのだ。
エンドロールが終わる。だがなんと映倫マークは見られない。そういう映画だから大手では上映できないのだろう。そして2度目の登壇。当方は満を持して質問する。
当方の質問内容 「舞台が東松原ということでしたが、この地が選ばれた理由は?」
関西で、東松原…井の頭線の駅名でもあるのだが、これが出てくるとはお二人とも思いもよらなかっただろう。しかし、我ながらいい質問だったと自賛しておく。
なんと、二人が同棲していた部屋は監督の自室!!!撮影に使われた飲食店は知り合いのお店だったりするらしい。つまり監督の地元だったのだ。ロケハンする必要がないのだから、その時間も短縮できる。しかも、撮りは実質一週間だけ、というありさま。その上、完了後に主演の服装が違っていることがわかり、撮り直すというハプニングも紹介された。
ここまでディープな裏話が聞けるとは!!とはいえ、SNSで情報を得ていなければ、当所が舞台になっていることは気付かないだろうし、現に2つ目の質問は出てこなかった。
パンフレット購入でサインを戴けるとあっては、買わない手はない。もちろん、松浦氏にもあいさつ。神戸でロケ地のことを聞かれるとは思っていなかったといわれたので「トリウッド繋がりです」と答える。まさか東京からの追っかけと思っていそうだったので、「いや地元民ですよ」と添えておいた。

さて採点だ。低予算であるとはいえ、全員がしっかり芝居できている(というより自然体と言った方がいいか)ところがすごい。音楽も抑制的、というか2カ所でしか使われていない。曲で盛り上げる必要のない日常。いや、実際我々の生活の中で、BGMが流れていることなどほとんどないではないか。そう考えると、実験的ともいえるし、しっかりドラマに没入できるところがいい。
カメラワークには少しひねりがほしかった。部屋のシーンはカットが激しすぎて、短時間で撮っているのがありありとわかるのだ。予算がないからどうしてもこうなりがちなのだろうが、長回しができる方が、視点が定まっていいと感じた。
適度な長崎あたりの訛りもむしろ方言指導などがついていなかったようなので、あれでいいのかどうかはわからない。ストーリー上はそれほど重要視されなかった点だろう。
気になる得点は88点とする。だが、こういっては何だが、大きな予算をつけたからと言って、この得点を越えられない作品も五万とある。「となりの怪物くん」は75点どまりだったと記憶しているが、俳優の姿勢や演じる力に優劣ができるからこその低得点だ。
この作品がつきつけるテーマ。人は一人では生きていけない、情けは人の為ならず…誰一人不必要な登場人物がいなかった点も特筆に値する。決して大作ではないが、監督・春本氏が大予算を使えるようになったら、どんな作品を我々に提示してくれるのか、楽しみで仕方ない。