映画は「観られてナンボ」であると気づかされる。それは「君の名は。」を鑑賞した初見の時に抱いた感覚であった。ただ、面白いだけではない。スクリーンの特質を分かっているからこそ、オープニングで、あの彗星落下シーンをほぼ無音の状態(風切り音程度)で我々に提示し、きっちり捕まえているのである。しかも、それは伏線にまでなっているという。こんな作品を知ってしまったのである。

映像表現には限りがない、とは「リズと青い鳥」でも感じたことだし、今後出てくるあまたの作品でも様々な実験と検証が繰り返されることだろうと思う。だが、この「かぞくへ」が我々に突きつける「選択の重要性」はいつ誰の身に起こってもおかしくない日常でもあった。
詐欺師に翻弄され、人生を破壊されたに等しい仕打ちに打ちひしがれている旭を最後救うのは、その要因を作った洋人である。この雄大な舞台装置に私は度肝を抜かれる。
普通に考えれば、完全に仲違えしていてもおかしくないし、実際旭はラスト直前、洋人の連絡をほぼ拒絶している。犯人を捕まえ、念書まで取らせた二人だったが、そこにあるのは、虚無感でしかなかった。最初ピントのあっていた洋人から奥にいる旭にピントが合い、そのままの状態で洋人は煙草を吸い続ける。「俺のやったことって何か意味があったのかな」と思っている洋人の心象風景をぼやけさせる映像で想起させる。こういうことができるのだ。

そして、それは旭・佳織のカップルに決定的なダメージを与える。なぜか嘘をつく旭、そしてないがしろにされたと知り激高する佳織。黙ったままの旭は、叱られている子どものようでもあり、言い訳はしないが嵐が過ぎ去るのを待っているかのようにも受け取れる。「私と洋人とどっちが大事なの」とズバリと言ってくれた方がすっきりするのだが、そうは言ってくれない。もどかしいし、まるで自分が責められているようにも感じるシーンだ。
良かれと思って佳織の母に手紙を出した旭に「親ってそういうもんなの」と、言外に親を知らないできた旭を佳織がDISってしまうシーンがある。「ああ、言っちゃった…」親を知るものと知らないものとのとてつもない隔たり。実は彼らの別れは、後の試食会の流れがあったとしてもこのシーンで決まったも同然だった。

言葉・セリフや音楽はいったい何なのか…またしても、監督氏の術中にはまってしまっている自分がいる。華を去り実に就く。予算がないならないなりに表現することに舵を切る。こういう采配が随所に見られるのだ。
最後のシーンも余計なセリフはない。深夜、人通りの途絶えた橋でのワンシーン。なんのてらいも無く芝居する二人。愛おしすぎるのだ。

2回目の元町映画館は、監督/洋人役の梅田氏/佳奈役の下垣嬢を迎えての上映となったが、私の整理券番号として41を渡され、驚愕する。そう。9割超の満員御礼といっても過言ではないレベルの入りになったのだ。監督氏が来るということで、山ほど聞きたいことがあったので当方は、めったに座らない最前列/左隅に席を取る。だが、Q&Aは無く、ラストでの登壇でも基本監督氏がしゃべりっぱなしに終始してがっくりとなる。
観客動向は意外な側面を見せる。女性ペア以上のグループが意外なほど来場していたことである。別に監督が好きで来たわけでもなさそうで、現に親しげに語っている人はほぼいない。つまり、口コミ+勧誘でここにきていると思われるのだ。男女比はそういうわけでやや女性優位。平均年齢は50代前半で、当方が中心レベルと見る。

ラストの登壇では、パンフレットをかなり力説してプレゼンしていたのだが、実際私はこれほどまでに内容の濃いものを見たことが無い。その最大の特徴は、後半にかなりのページを割いている、台本が刷り込まれていることなのだが、それ自体がエポックではないかとさえ思う。前回の鑑賞時に購入していたので、今回は監督氏のサインもほしかったがパスする。
それにしても胸に残る作品。もう佳織と旭の復縁は望むべくも無かろうが(ムスビが無かったと思っているし、お互いの隔たりも解消するには程遠いと思える)、これから先の旭と洋人に心からエールを送りたくなる。