当方の「名作臭」を嗅ぎ分ける嗅覚。残念ながら、「未来のミライ」はソレほどでもなかったわけだが(初細田、をかなり意識してしまったところもあるか)、作品としての出来はそこまで悪くはないといえる。要するにこの作品がダメダメな部分はひとえに主人公に感情移入できない部分と、それを具現化しようとして失敗している作風のせいだといえる。
そんな中、マイシネコンと言ってもいいOSシネマズミント神戸でこの作品の予告を見た。主役/重要脇に著名女優、サブキャラにはそこそこの俳優陣を据えた感じの配役。制作スタジオも、当方的には初見。今の日本の技術で考えれば、そこそこの腕の人たちなら、新規のスタジオを立ち上げてもものにはできる、と言ったところなのだろうか?ちなみに担当していた「スタジオコロリド」は、wikiにも詳細が記されていない。歴史も浅いスタジオだとわかるわけだが、背後には東宝映像事業部がついている。第二のCWFを物色しているのがありありとわかる。
公開初日の夕方回に座るわけだが…総勢40人足らずで、ややがっかり。男性ソロが今回も牽引していたわけだが、女性ばかりの家族連れとかカップルの比率もばかにならない。平均は、10代未満の鑑賞もあったとはいえ、30歳後半をメインどころとする。私(50歳)よりお年を召した方が数人見受けられたのも特筆すべきところ。
物語は、自称天才少年・アオヤマ君の一人語りで始まる。どっからどう見ても理系少年のアオヤマ君の頭の中は、森羅万象の「なぜ」「何」に支配されている。自身が大人になるのまでの必要日数を計算してしまうあたり、普通の「子供」ではない。とはいえ、その素地となる父親の存在も無視できないところである。
その彼が空き地で見かけたペンギンの一団。彼の研究精神に火が付くのは当然といえた。周りが「不思議」と言っているのと対照的に「なぜそこにいるのか」にしか興味がないのである。
ガキ大将のような立ち位置のスズキやその取り巻き、友人で水源を見つけるプロジェクトに同行しているウチダ、チェスの好敵手でもあり、後々関わってくるハマモトと、クラスメートも順次紹介されていくのだが、このスズキとのかかわりが序盤は完全にいじめの相関図でしかないのに、後半改善されるところはなかなかの作劇ともいえる。
ペンギンがなぜ生きていられるのか?そもそも日本の都市部に大量発生するのが解せない。アオヤマの疑問は尽きることがない。だが、行きがかり上自販機に縛られてしまったアオヤマは、歯科医院のお姉さんがコーラを投げた時にそれがペンギンに"変身"するのを見てしまう。そこからまた一つ、ひとつと、物語の深層に迫っていくアオヤマ。更にハマモトにも"海"の研究に協力してもらうように懇願される。まあ、あまりに材料が多すぎて、ここらあたりでパンク寸前になってしまった人もいることだろう。
研究は、まさに「夏休みの自由研究」のノリで進んでいく。そして夏祭りの日。ようやくハマモトの親父役で竹中直人氏登場。血縁者だとは思ってなかったので、その登場は意外といえば意外だった。
秘密基地にスズキたちが乱入して事態は大きく動く。"海"が膨張を始めたのだった。だが、物事の深層に迫ったアオヤマが出した結論は、一種悲壮的なものだった。果たしてお姉さんとの関係は…?
この作品も得点から行きたいと思う。90点をファーストインプレッションにした。
まず、残念なことに作画崩壊、とまではいかないものの、ところどころに不自然な描写を見掛けた。これが一点。序盤の端折りすぎている(あまりに駆け足な)ストーリー展開が2点目。ややほったらかされた伏線が第三点目だ。
そもそもこの作品の映像化は、原作者である森見登美彦氏に一度は断られている。→対談記事より
多分に、自身の世界観を壊される、という危惧があったと思われる。あるいは、壊さないまでも、きっちり表現できるかどうかで逡巡したとも受け取れる。結果的にこの映像化そのものは成功したといえるわけだが、やはり百戦錬磨の諸氏に比べれば、粗削りだったり、もうひと押し、という部分が、あちこちに見られた。
この作品における最大のテーマは、「恋って何かわからないけどおっぱいにあこがれる小四のひと夏の大冒険」と言えるのではないだろうか?変に天才ぶる主人公は、若干鼻持ちならなかったのは言うまでもないし、しかもスズキの攻撃に基本降参しないメンタルの持ち主。疑問に思えば何でも実験、なんでも考察。こんな男前がいることが奇跡でしかない。しかし、誰にでも訪れる、かなわない「大人との恋」。それを例えばマンションの前を通るたび、ふとした瞬間に思いにふけっている描写とかに見ることができる。
曲りなりでも理系の当方にしてみれば、この作品は頭でっかちと揶揄されようとも、断然評価する。理詰めで考える、それに疲れたらしっかり遊べ、という父の一言は、たとえ演者がへたくそでも伝わってくるから不思議だ。竹中氏も、見せ場がもう少しあればよかったのに、と思わざるを得ない。それにしても、アオヤマ役/お姉さん役、ものの見事にバッチリとはまっている。やっぱり配役/声優の人選にはこの監督、センスがあるように思う。
クライマックスのド派手ぶり、それに倍する喪失感。私が子供のころ、「さよなら銀河鉄道999」を、鉄郎と同じ立ち位置に見ていたころを思い出した。メーテルとわかれる。それは大人への旅立ちでもあった。アオヤマの足元に転がるペンギン号がいいアクセントになっていた。この作品はぜひとも、アオヤマと同世代の男子、特に理科系に興味のある人には見てもらいたいところである。
そんな中、マイシネコンと言ってもいいOSシネマズミント神戸でこの作品の予告を見た。主役/重要脇に著名女優、サブキャラにはそこそこの俳優陣を据えた感じの配役。制作スタジオも、当方的には初見。今の日本の技術で考えれば、そこそこの腕の人たちなら、新規のスタジオを立ち上げてもものにはできる、と言ったところなのだろうか?ちなみに担当していた「スタジオコロリド」は、wikiにも詳細が記されていない。歴史も浅いスタジオだとわかるわけだが、背後には東宝映像事業部がついている。第二のCWFを物色しているのがありありとわかる。
公開初日の夕方回に座るわけだが…総勢40人足らずで、ややがっかり。男性ソロが今回も牽引していたわけだが、女性ばかりの家族連れとかカップルの比率もばかにならない。平均は、10代未満の鑑賞もあったとはいえ、30歳後半をメインどころとする。私(50歳)よりお年を召した方が数人見受けられたのも特筆すべきところ。
物語は、自称天才少年・アオヤマ君の一人語りで始まる。どっからどう見ても理系少年のアオヤマ君の頭の中は、森羅万象の「なぜ」「何」に支配されている。自身が大人になるのまでの必要日数を計算してしまうあたり、普通の「子供」ではない。とはいえ、その素地となる父親の存在も無視できないところである。
その彼が空き地で見かけたペンギンの一団。彼の研究精神に火が付くのは当然といえた。周りが「不思議」と言っているのと対照的に「なぜそこにいるのか」にしか興味がないのである。
ガキ大将のような立ち位置のスズキやその取り巻き、友人で水源を見つけるプロジェクトに同行しているウチダ、チェスの好敵手でもあり、後々関わってくるハマモトと、クラスメートも順次紹介されていくのだが、このスズキとのかかわりが序盤は完全にいじめの相関図でしかないのに、後半改善されるところはなかなかの作劇ともいえる。
ペンギンがなぜ生きていられるのか?そもそも日本の都市部に大量発生するのが解せない。アオヤマの疑問は尽きることがない。だが、行きがかり上自販機に縛られてしまったアオヤマは、歯科医院のお姉さんがコーラを投げた時にそれがペンギンに"変身"するのを見てしまう。そこからまた一つ、ひとつと、物語の深層に迫っていくアオヤマ。更にハマモトにも"海"の研究に協力してもらうように懇願される。まあ、あまりに材料が多すぎて、ここらあたりでパンク寸前になってしまった人もいることだろう。
研究は、まさに「夏休みの自由研究」のノリで進んでいく。そして夏祭りの日。ようやくハマモトの親父役で竹中直人氏登場。血縁者だとは思ってなかったので、その登場は意外といえば意外だった。
秘密基地にスズキたちが乱入して事態は大きく動く。"海"が膨張を始めたのだった。だが、物事の深層に迫ったアオヤマが出した結論は、一種悲壮的なものだった。果たしてお姉さんとの関係は…?
この作品も得点から行きたいと思う。90点をファーストインプレッションにした。
まず、残念なことに作画崩壊、とまではいかないものの、ところどころに不自然な描写を見掛けた。これが一点。序盤の端折りすぎている(あまりに駆け足な)ストーリー展開が2点目。ややほったらかされた伏線が第三点目だ。
そもそもこの作品の映像化は、原作者である森見登美彦氏に一度は断られている。→対談記事より
多分に、自身の世界観を壊される、という危惧があったと思われる。あるいは、壊さないまでも、きっちり表現できるかどうかで逡巡したとも受け取れる。結果的にこの映像化そのものは成功したといえるわけだが、やはり百戦錬磨の諸氏に比べれば、粗削りだったり、もうひと押し、という部分が、あちこちに見られた。
この作品における最大のテーマは、「恋って何かわからないけどおっぱいにあこがれる小四のひと夏の大冒険」と言えるのではないだろうか?変に天才ぶる主人公は、若干鼻持ちならなかったのは言うまでもないし、しかもスズキの攻撃に基本降参しないメンタルの持ち主。疑問に思えば何でも実験、なんでも考察。こんな男前がいることが奇跡でしかない。しかし、誰にでも訪れる、かなわない「大人との恋」。それを例えばマンションの前を通るたび、ふとした瞬間に思いにふけっている描写とかに見ることができる。
曲りなりでも理系の当方にしてみれば、この作品は頭でっかちと揶揄されようとも、断然評価する。理詰めで考える、それに疲れたらしっかり遊べ、という父の一言は、たとえ演者がへたくそでも伝わってくるから不思議だ。竹中氏も、見せ場がもう少しあればよかったのに、と思わざるを得ない。それにしても、アオヤマ役/お姉さん役、ものの見事にバッチリとはまっている。やっぱり配役/声優の人選にはこの監督、センスがあるように思う。
クライマックスのド派手ぶり、それに倍する喪失感。私が子供のころ、「さよなら銀河鉄道999」を、鉄郎と同じ立ち位置に見ていたころを思い出した。メーテルとわかれる。それは大人への旅立ちでもあった。アオヤマの足元に転がるペンギン号がいいアクセントになっていた。この作品はぜひとも、アオヤマと同世代の男子、特に理科系に興味のある人には見てもらいたいところである。