「君の膵臓をたべたい」のアニメーション劇場版が公開されて数日が経つ。
そんな中で「これは原作必読でしょう」となって、当方はようやく原作を入手。二人の物語を逐一追いつつ、前回の記事とは違い、原作がどこまで映像化されたか=原作にしかないエピソードってあるのか、と思って観てみると、意外なほど多かったりする。

○図書室の先生
確かにストーリー的に脇も脇。物語の重要人物でもないだけに、端折られるのは仕方ないかもだが、登場シーンは2つも用意されセリフもあった。

○焼き肉デートのその後
二人は、ショッピングセンター内のホームセンターに行き、なぜか、自殺用のロープと、それを入れるトートバッグを買ったことになっている。その後本屋にも立ち寄っている。そこからカフェで休憩する描写もあるのだが、ここのセリフや行動は、実写/アニメでも使われているが、使われたり、出てくる場所はばらばらである。

○福岡旅行
どちらにも登場しないのは、「梅ヶ枝餅を出す茶店でのひと悶着」である。基本、実写版では、赤の他人、ましてもめ事に関わる描写は全くなかったわけだが、アニメ版では、地元商店街で大立ち回りをやってのけている。類似のシーンといえなくもないが、場所もかかわる人々も違うので未映像化リストに入れる。
なお、実写版で遠目の新幹線しか映さず、車内描写がなかったのは、実はこのストーリーが12年前の出来事だから。共病文庫の書き出しは2003年11月29日(原作は11月23日・年は××にしてある)。これは中学生時代にかかってしまった桜良の書き出しであり、高二になっている物語上では、2005年になっていると推察する。2005年当時、700系は存在してはいるが、現在主力のN700系ではないので、映像化を断念したとみている。この車内の描写はアニメ版ではかなり印象的なシーンとして描かれているが、それを端折ることになった実写版にしてみれば痛恨である。時代考証として、桜良が写真を撮るシーンでは「映るんです」で撮っている=デジカメ/スマホがあまり普及していない時期であることをうかがわせる。

○ヒルトンの部屋の中の会話
ここはアニメ・実写ともぶった切っている。方言のくだりや、風呂に入る前の饒舌なところとか。差違が大きく認められる箇所だけに、ここだけを取り出して論じてみても面白いかもしれない。

○福岡旅行からの帰路
実写では、帰ってくる行程はまるでなし。アニメ版は、恐らく氷見線だろうか、そこに乗って地元に帰ってくる描写はある。だが、ホテルをチェックアウトしてからの描写は、実写版はあるものの、原作とは大きくかい離している。
彼らは(文中に特定の施設名は書かれていないが)「キャナルシティ」に寄り、手品のネタを買ったりいろいろしている。ラーメン店にもよっている。

○入院関係
いきなりの個室であっても、食べたり、会話している部分は丁寧にかかれているとは限らない。むしろ、実写もそうだが、食べている情景は描かれていない。桜良が興味を持っていたはずの手品のくだりは完全に映像化されていない。

さて、書かれていない箇所を上げたことで浮かび上がる事実がある。
「この小説って意外に映像向けではなかったのだ」と。
だって、ここまで省略されてしまう箇所が出てくるのだ。実写版は病室の大半、アニメ版は福岡旅行を回想にとどめてしまっている。もちろん、尺の問題や重要度から言っても、図書室の先生のくだりは必要ないし、唐突なロープ購入も戸惑わせるだけに終わりそうだ。
しかしながら、原作者は、端から「映像化」を前提に小説を書くわけではない。西村京太郎氏の作品なんかを読んでいても気が付くのだが、彼の作品はそれこそ映像化が前提にあるべきところだが、それを考慮して描いている風には読み取れない。
この作品が冗長に感じるところがあるのは、仕方のないことかもしれない。そして、映像化に当たっての取捨選択がどうしても発生する。どちらもその大半で成功したとみているが、原作が醸し出す時間の流れを特に実写版は実現できなかったところに性急さと簡便に映像化した部分を感じ取る。

それでも当方は「どちらもいい作品」との判断を変えるつもりはない。そしてどちらが優れ、どちらが劣っているという不毛な議論にも加わらない。どちらもよくてどちらも泣けるからである。