アニメーションと実写版が存在する映画「君の膵臓をたべたい」(以下、キミスイ)。
その昔の私なら、どちらも未見、よくてアニメ版だけだろうな、と思っている。しかし、一本の映画に触れてしまった影響が、どちらも知ってしまい、どちらもそこそこに名作、しかも一方は改変していることで、評価に窮してしまっている。

実写版には、大人になり、結婚を控えている登場人物たちが現代の描写として描かれる。アニメ版は、高校生時代のみをきっちり描き、原作たる小説とほぼ同様の展開で映像化した。
原作を改変(この場合は、付け足しとすべきか)する、という禁じ手。原作推しの人にしてみれば、これこそありえない事象であり、「なぜ大人部分が必要だったのか」「ストーリーも一部で変わってしまっているのはどうしてか(共病文庫の巻末の処理)」は終始頭の中をもたげていたはずである。

そう思って改めて月川監督のインタビュー記事を読む。大人恭子のあのシーンは一発撮りだったという衝撃を知ったのはこの記事だったのだが、再度読むと、監督の意志というものを感じ取った。
DVD発売に際してのインタビュー記事だがこれはすべてのキミスイファンに見てもらいたい。

その部分・・・特に原作者たる住野よるさんとの解釈の部分は少しだけ面白いので抜粋する。

月川監督「映画を作る前に一度お会いした時に“十二年後”の設定を加えるという構想の話もしました。住野さんに映画をご覧いただいた後にまたお話をさせていただいたのですが、“足りない部分はあると思うんだけど、映画は映画でよかった。映像の力ってすごいですね”と。たぶん、小説ではもっといろいろ描いたのにという悔しさも住野さんにはあると思います。でも、納得していただけたかなぁとは思っています」

原作者の立場からすると、「余計なもの入れやがって」「高校生部分、尺短いやないか」となっていることは私が忖度しなくてもわかる。まあそれを言ったら、アニメ版でも、なぜか福岡旅行を大胆にカットしているし、花火のシーンはいい演出だったとは思うが原作にはない描写でもある。
つまり、同じ原作でも、映像は全くの別物である、と当方もようやく認識できた。もちろん、実写版が正ではないし、アニメ版も、完全無欠で描き切った、というほどの高評価も下せない。特に実写版というお手本があるはずのアニメ版が、全体的に盛り上がらない流れにしてしまったところが実にもったいない。

そうなったのは「アニメ版が原作に忠実に寄り添ったから」だと思っている。小説家は、その成果物が映像化されることを想定してまで書くことはない。逆パターンが「君の名は。」の小説だ。これは映像が先にあり、それを文章化した。しかも監督本人が。丁寧に文章化することはあっても、カットしてある箇所や、文だけで描き、映像になっていない箇所はほとんどない。だから、そのシンクロ度にしてやられるし、文章を読んだだけでも感涙にむせぶことになる。
実際、キミスイの小説は実に冗長だ。その最たるものが、焼き肉デートからのショッピングセンターのブラつきである。内容まではあえて書かないが、こうしたところに、実際に映像化されることを想定して描いていないということがうかがい知れる。もちろん、無理な描写をしたわけではないし、実際4月の文庫発覚からほぼ4カ月間、彼らは、その短い間の青春を謳歌した。そして春樹にとって忘れられない人に昇華できたと思う。

生身の人間が演じる人間ドラマが先にあり、アニメ版はそれを追う形に結果的になってしまったわけだが、私の中でどちらも最高峰の恋愛映画になっていることは否めない。大人になるまで人間とのかかわりを否定し続けた春樹がそのセリフを12年後につぶやく。それは「遺書」を知らなかったからということになるし、実際実写版では遺書に関しての言及がどこにもなかった。それでも彼女は文庫にではなく、個別の手紙にしてしたためてあった。原作が文庫に関係者すべてに対して遺書の下書きを書いてあるところは、映像とのマッチングも含めて、実写/アニメ双方ともに最高の結末にできたと思っている。

当方の中で、実写版とアニメ版の優劣を唱えることはもうしない。どちらも名作であり、どちらの映像表現も正しい。特に桜良が唯一愛した「星の王子さま」を開始一秒でいきなり登場させた実写版の伏線の張り方、アニメ版のことさらに気丈に振る舞う病室の桜良の描写とあの公園での花火をバックにしたハグ。名作の片りんがあちこちに認められるからこそ、世の中の評価は実に拮抗しているといえる。

だてに260万部も読まれていない原作小説。映像表現は、意外にも二分する形になったが、月川監督が、12年後をインサートしようと思った思想の部分は理解できた。普通ならもっともっとぼろくそ言われるところを、名優たちの演技で乗り切ったのは、ひとえに出演者に対する信頼と素のままを演じさせたところが大きいと思う。アニメ版も、二人の演技がもう少しだけ抑制的であったら、騒がしくなくてよかったのに、とは思うが、この表現の桜良もありといえばありである。
結論!!
どっちもよくてどっちもすごい。