※旧記事を上書きしてしまったようで、タイトルは復元できましたが、内容は前記事と大きく異なっております。

「ペンギン・ハイウェイ」を終えて、5番スクリーンを脱出する。
何となれば、次の「キミスイ」のスタートまで10分足らずしかないからである。すでに入場も始まっているはずで、特典がなければ、うろうろせずにいきなり1番スクリーンにもぎられずに行くことも可能だったが、特典が読みたかったこともあり、まずは出口方向に向かう。
出口=入り口なわけで、Uターンせずにいきなりチケットを見せる。まさかの"攻撃"に、もぎり担当は一瞬ドギマギしていたが、それでも特典に当たる書き下ろしの小冊子を手渡す。

1番に向かう途中で、さっきまで見ていた同僚とその連れに鉢合わせ。「はしごするわ」というと「好きねぇ」と言われてそれっきり。彼女のペンギン評は聞けるものなら聞いてみたいところだ。
さて、1番スクリーンだが、今回も、男性陣ばかりの観客動向で唖然とする。260万部が売れたとされる原作小説を購入する層の大半はおそらく女性。彼女たちがスクリーンに大挙して座ったからこそ、スイーツ映画に属する実写版「キミスイ」は2017年の同ジャンルの中でも突出した興行を上げられたのだと思っている。以前にもあげた内容だが、もし「君の名は。」がもっと女性陣に訴求している内容なら、2000万人越えは確実だった。この作品も、女性に対する受けが悪いままでは、もともとの館数の少なさも相まって、さほど成績を上げられるとは思えない。今年のアニメ映画は、すっこけたあの人のおかげで、大したエポックもないままに終わりそうである。

9/1初日に見てわずか5日後に2回目。短期間に2回目に至った作品はそうないのだが、これは当作品を名作、感動作と位置付けたからではなく、また、動員を稼ぐという動機からでもない。「名作であるはずなのに感動できないのはどうしてか」を確認しに行った、という方が一番正しい。

で、その結論は出たのか…?
個人的には、まず、原作に寄り添っていることがやはり一番大きなポイントである。描かなかった部分は当然実写に比べて少ないし、セリフや一部描写で原作と違う部分こそあった(タカヒロ絡みの二人の芝居を路上でやったことと、花火のシーン)が、おおむね原作を映像化した、できたと胸を張って出せるものになっている。Lynnの桜良に関しても、初見ではうるさく感じたのも2回目見たことで慣れというか、こういうものなのだ、という風に理解が進んだ。遺書のシーンの春樹の肩に手を置くところ(星の王子さま的な演出の導入部)で、少しだけ感極まった。
だが、「生」をことさらに主張しなかったアニメ版だったな、という感想に関しては変わらない。実写版では、共病文庫を読むさなかに桜良の病状なども回想的に描かれ「ものが…食べられない」と、深刻になっていく部分を見せ「いよいよなのか」と思わせておいて退院させる。アニメ版の場合、その後に桜良の遺書を読ませることもあるから、ここでいきなり感情の起伏をもたらすのは得策ではないと考えたのだろうか?派手すぎた花火の演出で公園のハグのシーンの良さが少しだけスポイルされているのはバランス的に悪かった。

エンディングが流れてくる。歌詞とのマッチングで、またサビの良さに恋が成就しなかった二人を慮って、急に涙があふれてくる。映画としての完成度が曲によってさらに補完される。「君の名は。」で見せた、最終最後の余韻の保たせ方。生きている人たちがどう生きていくか、を問うラストの出来の良さは、12年間も恭子と関係を持とうとしなかった実写版に比べれば説得力は十分にある。

やや泣いた顔、赤い目を悟られぬよう劇場を出る。92点のファーストインプレッションは94点にまで伸長する。ところどころの作劇/舞台設定の甘さや泣きの演技に注文はつくが、たまあに思い返してみたくなる映像であることも確か。原作がとてつもなくいいから、映像化が失敗していることにはならなかったが、もう少し頑張ってくれていれば上位ランクもありえたのに、ということは少し残念でもある。