2018年も残り2か月を切った。2016.10.1に「君の名は。」での美麗すぎる映像表現に虜になった私が起こしたのは、劇場に足しげく通うということだった。
おかげでギャンブル断ちがほぼ完遂し、そのかわり鑑賞料金が月間1.5万円程度にまで。それでも、基本良作にしか触れないでいることもあってか、大きく外れた印象はなかった。

予告の段階で「名作」だと看破できた「若おかみは小学生!」の初週の苦戦ぶりと、その後の盛り返しは、2018年の興行界の一つのエポックとして語られるにふさわしい出来事だといえる。
絵面や児童文学だから、と毛嫌い/最初から対象外にすることの危うさと、その固定観念を覆す作品力に丁寧に寄り添った人たちがいるからこそ、この作品は、日の目を見、曲りなりでも幾多の映画の中では話題にしてもらった頻度の高い作品だった。

それでも公開から7週目。さすがに息切れも目立ってきた。マイシネコンに昇格間近のOSシネマズ神戸ハーバーランドでは、サービスデーの11/1がラスト上映となった。
プリキュアと同時に購入当時は、10人にもおぼつかない入りで、「やっぱりかあ…」となったのだが、いざ入場が始まってみると、続々と入ってくる。さすがに若手(20代前半)とかまでは拾い切れていなかったが、40代を中心に50歳代/60歳代も平気で入ってくる。男女比は大きく男性優位だが、女性陣の健闘ぶりも目立った。50席の10番だが、4割/20人強は入ったと推定する。

私が、こうした「節目」に見ることは、一種思いを新たにすることだとも感じている。始まりがあれば終わりがある。だからこそ、その最終回を、まさしく号泣で〆たい…もちろん、その思いは達せられることになる。
おっこ、ではなく関織子に感情移入することになってしまう。それは、両親との真の別れ…精神的な離別を済ませずにここまで来たことと、今、その元凶を作った張本人が目の前にいるという、加害者と被害者がこうした局面で出会うことが起こってしまったことによる。これがいかに常軌を逸しているかは私が言わずともわかろうというものである。
もちろん場内は静まり返る。そんな舞台装置、初見で見た時のインパクトは計り知れなかった。そして泣きながら、というより取り乱すおっこの行動は、だれしもが、その理不尽な仕打ちと混乱に心を乱されることになる。両親の死と、加害者との対峙。だが、それをグローリーに聞いてもらうことで彼女は自分を取り戻す。
そこからの神っぷりは今更言うまでもない。この一言を関織子が言う・・・我々はそれを聞くためにこの映画を見ているのだと知らされる。そして滂沱の涙を禁じ得ないのである。翔太君の演技があればこそ、このシーンは子供にとって何が大事なのかを浮き彫りにするシーンであるともいえる。

彼女は正直自立したわけでも、立ち位置を確認したわけでもない。もちろん言わされたのとも違う。この一言に救われたから、それが自然と口から出たのだと思うのだ。人によっては、職業人として覚醒した、と受け取る人もいるようだが、小学生でそこまでは難しいはずだ。なぜなら、1年やそこらで覚悟も、矜持も決まらないからである。
映画は最後、おっことライバルたる真月の神楽の舞いで〆る。二人が友情で結ばれる過程はしっかり見せなかったが、それでも十分にお互いを思いやれる間柄になったと理解できる〆となっている。

名作は、いついかなる時に見ても色あせない。公開初期段階から名作認定できたことも誇らしいが、この作品に関われたこと自体が自慢である。この先、このクラスの作品を拾い上げられるか、どうか。感性を研ぎ澄ましてみていくことにしていきたい。