映画館で映画を見る。
2016年10月まで、「金出して映画館で見なくても」「地上波でやってくれるし」だった私だったわけだが、「これを見ないでどうする」的な作品にそれ以降、次から次に出会うことになってしまい、結果的に趣味のような形になってしまうという副次効果をもたらしている。
そして何より、今、記録が絶賛更新中なのである。28カ月連続劇場訪問、49週連続劇場訪問。つまり、2016年10月から月に一度は、2018年2月から毎週欠かさずどこかの劇場に足を運んでいるのだった。
広義的に見れば、1/6(日)に見た「君の名は。」も映画を見たという風には受けとれるのだが、施設そのものは「映画館」ではない。ブログ記事のことがあって、木/金と自宅にまっすぐに帰っていた(リズの静粛上映は行きたかったなぁ…)こともあり、土曜日の劇場訪問は一種待ったなしの状況になっていた。

で、選んだのがシネリーブル神戸の洋画だった。もうタイトルとか、予告編とかでビビッと来た作品は押さえる形にしていたのだったが、これも仕立てたスーツを友人の元に届けるというたったそれだけのネタがどこまで映像として展開するのかが焦点にもなっていた。
仕事終わりで、てくてくと向かう。16時過ぎに着いたのだが、私は驚愕の事実に接することになる。
「Fate/Heaven's Feel」の直近の上映会が、よもやの満席になっていたのを確認したからだった。→証拠画像。

100人やそこらの通常のスクリーンではない。神戸市内最多の座席数である505人収容のアネックスが、である。
あそこを満席にできるとは…ただただあんぐりだった。

2番で上映された「家へ帰ろう」は落ち着いたもの。30人弱でまあまあの入りである。中年以降のカップルがやや比率が多く、ソロは男性がかなり優位。平均は50歳前半とした。

アルゼンチンに居たユダヤ人の老人が、いえの処分でたまたま見つけた、自身が仕立てた友人のためのスーツを見つけるところから話はスタートする。祖国・ポーランドを口にするのもはばかられるほどの嫌悪感。のちにわかるが、ドイツにも相当な敵愾心を持っている。いわば、「未来志向」などとは微塵も感じていない某国の日本に対する考え方によく似ている。
自宅を発ち、ポーランドまでの道程。家の鍵を放り投げて、退路を断った演出はなかなか。
機内で知り合った青年とも最初はわだかまったままだったが、のちに協力者になってもらえる。次から次に人々が関わっていき、最後はポーランド・ワルシャワの女性の看護師が道案内人となる。
想い出の地に足を踏み入れる主人公。そこで奇跡の再会を果たすのだが…前段で某アニメ映画の「カタワレ時」的な演出をされていたものだから、そのラストシーンは涙腺崩壊待ったなし、となった。

ぶっちゃけると「ありきたりなロードムービー」である。主人公という芯は変わらず、周りを取り巻く関係者たちが次々に入れ替わっていく。タクシー運転手、アングラ市場のチケット手配師、マドリードの宿屋の主人、行きずりの文化人類学者・・・基本的にはどの人たちも主人公に優しく接している。
それでも私がこの作品で脳天に衝撃を与えられたのは、マドリードでの入国審査官と主人公のやり取りである。ユダヤ人である彼に投げかけられる忌避するような管理官の態度。だが、ここで主人公は自身の体験や今までの歴史に根付いていない彼の態度を見事に喝破する。老人の放つ独特のオーラ。映画「大誘拐」で見せた北林谷栄の演技をほうふつとさせてくれた。
堅っ苦しいばかりではなく、ドイツでの乗り換えの際、「足を踏まずに上陸したい」というわがままに対応した、文化人類学者のていあんにはどっと笑いも起こる。まるで子供、空気とかそういう次元は許せるのかよ、となったわけで、その後自身の生い立ちを語って自分の足で降りたつ演出は、わだかまりが解け、一つ上の感情が体現されていて、よかった。

得点だが、90点とする。
ユダヤ人の負ってきた様々な物事は、それを体験していない我々にしてみれば、「重い」ということしか伝わらない。当時のドイツ人がひどいことをしたのは伝わっても、実体験としてない我々にはやはり別世界の出来事である。それを伝えようとした入国管理官との対峙。文化人類学者のドイツ人に語った家族の終焉。ここにすべてが集約されているのではないか、と思う。
スーツをとどける、は実はそれほど重要ではない。彼が、数十年ぶりに"世界"に対峙したときに、今の自分は偏狭でとらわれ過ぎで、くだらない存在だったのだ、と気が付いていく過程こそが重要だったと思っている。
決して大規模興行にかからない小品だからこそ、見てあげるべきだと思える作品だった。