実写版「キミスイ」のあまりの出来の良さに、当方の好きな監督の筆頭に上がってしまった、月川翔監督なのだが、一応彼の作品は、「キミスイ」以降漏らさず見てきたつもりである。
唯一の失敗、というか完全にキャスティングミスで撮ってしまった「となりの怪物くん」がすっ飛ばした程度で、「センセイ君主」も平手嬢を主役に据えた「響」も、凄い出来だった。
そう。当方の中では、結構打率が高いのだ。4打数三安打。「響き」はもろ手を上げて拍手喝采とまでの持ち上げはなかったが、「当たり」の部類ではある。

その彼の新作が公開されて3週目に当たっている。観たくてしょうがなかったのだが、1800円で見られるところより1000円の小品に目を奪われてしまい(要するに2本見られちゃうので二の足を踏んだ)、給料日まで待たなくてはならなかった。
というわけで、午前の回一発目に勇躍向かったのは、OSシネマズ神戸ハーバーランド。だが、私は「見る」前からかなりテンションが上がってしまう。なんとなれば、ここ、アニメの作品をめちゃくちゃ上映するからだ。ぱっと分かっただけで、「コナン」「しんちゃん」のブロックバスターは当然として、「きみと波にのれたら」「プロメア」直近の「バースデー・ワンダーランド」あたりまでを予告で確認したのだった(ほかにもあったかもだが、なにしろアニメ系だらけだった)。こうなると、ここをマイシネコン化しないとやってられなさそうである。

さて、午前の回一発目のスクリーン3番に勇躍一番乗りを果たす。しめしめ。もれなく入場者を確認できる。やっていったのだが、女性ペアが過半数を占めるありさま。ここまで女子に支持されているとなると、そこそこに動員もよかったに違いない。男性陣も負けじとグループでの鑑賞やペアがいたりしているし、カップル/夫婦も少なくない数いる。組数的には少なかったが、入れ込みは4割強まで。平均は20代後半を設定する。

「発光病」なる奇病に犯された同級生を見舞う卓也。最初は、ほとんどあったこともないクラスメートの女子ということであまり感情を表に出さなかったのだが、しだいに永野芽郁演じるまみずに惹かれていくことになる。
まみずの、別れた父からもらったオルゴールを壊したことで罪滅ぼししたいという卓也。「じゃあ」ということで、病室から出られないまみずに代わっていろいろと体験していくことになっていく卓也。遊園地のシーンでは、賑やかし・ちょい役のジャンポケ・斎藤が痛いオッサン役で出てきて卓也と絡むシーンがあって、笑いも起こった。
この作品には一つの転換点が設定してあった。それが夏休みにかかる時点で赤いヒールの靴を買ってプレゼントするシーンである。彼にとってこれこそが愛情表現だったと思うし、あえて「歩きまわれない」のに靴を買うという矛盾が後々効いてくる。
そして、スーパームーンを二人で見るシーン。ここはこの作品の第一の山場である。そしてそれは別の意味で彼女と家族とのかかわりをいやでも知らされることになっていく。悶々とする卓也。それでもバイト先のメイドカフェで彼が気になる女性は彼に助け舟を出せないままでいる。
文化祭の一日。「ロミオとジュリエット」を男性二人で演じるそのシチュエーションにも、まみずに対する思いがあふれている。拓海君はともかく、甲斐翔真君のかっこよさよ。彼クラスのイヤミの無いイケメンぶりがこの作品をより引き立てている。
実は「発光病」そのものにこの二人は振り回されていた。卓也の姉は、発光病にかかった、 甲斐君の兄貴が好きになってしまい、彼が死んだときに自殺を決意して交通事故死してしまう。その陰が岡田家にいつまでも憑りついて離れていなかったのだ。陰膳据える、姉の好物しか作らない母。病んでいるといっても過言ではなかった。
死期の迫るまみずが語るラスト手前の屋上シーンは、さすがに引き付けられてしまった。病的な息遣いの荒さも表現できており、ここはうまく撮ってくれていた。
ラストの"遺言"的なまみずの残したメッセージは、もはや「私以外愛してはだめよ」と縛るかのようなセリフに聞こえなくもない。もちろん、それは本意ではないはず。母運転の車に送ってもらった浜辺で、自分がプレゼントした赤い靴を隣に携える卓也。もう駄目だろうな、と思ったが、なんとか涙腺は保ってくれた。

採点は、おとなしめの93点である。
前半がやや凡庸過ぎたこともあるし、山谷があまりつけにくい題材(一人でなんでもしているという絵面だから余計)をどう表現するか、で逡巡したと思う。それでも、携帯の動画撮影機能があるからこそ、この物語はここまで再現できるのである。
周りの大人たちの好演も印象度アップにつながっている。留めでもあった、及川光博のあの泣きのシーンは、ベタではあるけれど、一人の娘の親としての最高のはなむけができなかった悔悟の念に胸を痛める。看護婦役の、少しくたびれて「あれ?」と思った優香の演技もまあまあに見せてくれた。
二人きりで語るシーンの多さでは「キミスイ」とは比べ物にならない。それゆえ、濃密さは感じにくかったのだが、わずか一年もたたなかった恋愛模様が、忘れ得ないものに昇華する。この作品の持つ「生と死」の重みを感じることができてよかったと思う。