前回の鑑賞記「さよならくちびる」は、結局悪評だけになってしまった感があるのだが、それもひとえに、登場人物がほどほどにくずで、感情移入しきれなかったところによるのかな、と思ったりしている。
行きつくところ、「書きよう」「表現の仕方」に物語が追いついているかどうか、と言ったところにあると思う。つまり、まだ門脇/小松レベルでは、「ハルレオ」をしっかり表現できなかったところが大きいのかな、と思う。

さてマイシネコンの一角にのし上がりつつあるシネ・リーブル神戸なのだが、今回はこの作品一択に寄せて鑑賞した。それが「長いお別れ」である。
主役は、校長まで勤め上げた東家の当主・山勉。寄り添う妻には松原智恵子、長女に竹内結子、そして次女には今話題沸騰中のカップルの一人・蒼井優が務めている。
この4人のそれぞれの思惑、家族、恋愛などが描かれるのだが、いきなりの場面は、メリーゴーランドに乗りたそうにしている姉妹が映る。そこにやってくる、かなり”症状”の進んだ父。ここでタイトル。だが、この幼子二人にしても、実はかなりのメタファーを含んでいると看破できたりする。
場面は変わって、いきなり蒼井演じる次女と付き合っていた彼との別れの場面。恋に不器用でうまく行かない彼女の人となりを冒頭でズバッと言い当てる。そして長女はというと、アメリカで見た目幸せな家庭を築いているようだったが、父親(北村有起哉)のどことなくよそよそしい感じが少しだけイラッとする。
一方、東家では、ぼけ始めた父に奮闘する妻の姿が浮き彫りになる。70歳の父の誕生会が、図らずもぼけ始めたことを一家が知るきっかけになっていく。このときのとんがり帽子には、「何を年甲斐もなく」と思っていたのだが……。
そして月日は流れていくうちに、次女は起業するも失敗、町の洋食屋の跡取り息子との恋愛も、相手がバツイチで、その別れた彼女との復縁が子供を通じて行われていくことを目の当たりにして、完全に打ちのめされる。長女側も、父の不干渉ぶりは目に余るものになっていき、遂には息子・崇の非行/不登校につながっていく。
そのときどきで、ぼけている父にすべてを吐露する二人。当然まともな回答が返ってくるはずがない。長女に至っては、一切言葉を交わせていないというのだ。

それでも父の存在、聞いてくれる相談相手、吐き出し口になっている父が、何も言わない/会話がかみ合わなくても、「それでいいのだ」と誰もが納得して対峙している。そして、冒頭の幼女たちを連れてメリーゴーランドに乗る父のシーンに突入するのだが……
その時持っている傘の色と、差している人物が、あのとんがり帽子の色と合致しているのだ!!!!
この伏線にはしてやられた。というか、それに気が付いたのが、最後の誕生会をしたちょっとコミカルなシーンで全員がとんがり帽子をかぶったシーン。まさか、こんなところにまで仕掛けがしてあったとは!!
それは万引きしたときにも表れる。黄色がジャガイモ、青がボンタンアメ、そして赤がシャケの切り身。色目だけで言えばまさにこのとおりであり、じゃが/ボンタンアメに関しては伏線も引いてあった。
 
仕掛けはそれだけではない。父の読む本は、必ずと言っていいほど落ち葉による栞がしてあるのだが、この栞の意味合いがあまりにわかりやすいのだ。最初は黄いろのイチョウ。それがモミジに変わっていくのだが、そのモミジが地面に落ちることで、急展開するという暗示になっている。まだある。ラストシーン、孫の崇は、校長との話を終えた後、廊下で落ち葉を拾うのだが、それは、青々とした普通の葉っぱだった。そう。ここに「時代の継承」と「新たな生」がメッセージとして込められていると確信したのだ。ラスト、廊下を歩く崇に向かい「これが見たかったんだよ」とひとりごちたのは内緒である。

というわけでツイファースト評は98点。邦画では間違いなく今年見た中ではトップに位置付けさせてもらう。
主役級4人の芝居のうまさや感情の吐き出し方、恐らく脚本やト書き以上のものを演じられているとわかる芝居が見られるだけでもこの映画を見てよかったと思う。
傑出は、先ほども書いたが、もてあそばれただけの次女が、打ちひしがれつつも父の元にはせ参じた後の、蒼井優の演技である。この言うに言われぬ感情表現。ずたずたに引き裂かれていたはずであり、それは、逢うといっていた彼の前妻の子供に向けたクッキーを父に食べさせることだけでも十分に伝わってくる。そして、日本語が読めなくなりさかさまにして食べる父。もちろんネタフリはしていた(相対性理論の文庫本を逆にして読んで……いや、見ているだけだろうな)のだが、平易なひらがなも読めなくなるほど進行しているとわからせてもいる。
妻役の松原智恵子が気色ばんだのは、あとにも先にも人工呼吸器をどうするかの時だけ。この決意と最後まで連れ添うという意思にこちらも胸が熱くなる。
オーラス。東家に、最初に別れた彼からのジャガイモが到着して、しかしそれでもお店を持つという夢は諦めていない次女、そして崇と校長との会話。そう。最後、「さよなら、マスター」といったのは、祖父が校長であることもかかっているわけである。

ここまで伏線を張っておきながら、全てに手当てできている。だから満足度が半端ないのである。「長いお別れ」の意味も、それは英語……Long Good−bye に起因していると知らされることも大きかった。
「じゃあ、満点じゃないの?」といわれそうだが、この2点、ちょっとだけ致命的なミスを見つけてしまったので、ここで披露しておく。
それは序盤の、蒼井優演じる次女の移動販売車である。
……お気づきいただけたであろうか?車種の方は、「ディアス・クラシック」で、最終販売が1999年なのでとりあえずOK。だが、一番致命的なのは、この出店時期が2009年、つまり平成21年。でも「世田谷」ナンバーの発生は平成26年=東日本大震災以後なのである。あーあー、やっちゃったよwでも、ほとんどの人は気が付いていないし、この作品において時系列はそれほど重要な意味は持たない。確かに東日本大震災を描いたり、「セシウムがどうとか」というデマのくだりはあるのだが、それは長女が海外にいるからこその断片的な情報がもたらしたもの。7年間の闘病というには少し軽めの描写になっているのは、そこばかりをクローズアップしたくなかったからなのだろう。

中野量太という監督名にも聞き覚えがあったのだが、「湯を沸かすほどの熱い愛」の監督さんだったと知り、この演出や描き方も納得させられた。小品であり、名優ぞろいとはいえ大規模公開には向かないとは思うが、現在的な日本の介護状況などをみせているところもこの作品の公開した意味があろうというものである。