今年に入って、早くも50タイトル超の鑑賞を終えた。
いくつか、あまりに凄すぎて、場内が明るくなっても素直に立てないといった、余韻の凄すぎる作品があったのだが、せいぜい外国映画どまり。そんな、雰囲気の出せる邦画が出てくるのなんか10年早い、とおもっていた。それでも、「羊と鋼の森」「長いお別れ」「かぞくへ」と、その片鱗は見せてくれていた。

しかし、である。
ゲーム業界の一大名跡である「FINAL FANTASY」の最新版を通じて繰り広げられる人間ドラマと、熱いゲーム中の動画がここまでシンクロし、大感動をもたらすとは、想いもよらなかった。
もちろん、触発させたのは、この人のブログである。「物語る亀」さんの当該作品のブログ

実は、配役の時点で少しだけ触手は動いていた。父役の吉田鋼太郎は、「帝一の国」(未見)でのコミカルな演技からこっち、目が離せなくなっている俳優の一人だし、坂口健太郎といえば、「今夜、ロマンス劇場で」での、綾瀬はるかとのギャップがすごすぎたものの、芝居の面では及第点を上げられるレベルだったので、このダブル主役がどう影響するかは見ものだった。
主人公は、タカオ(リアル)であり、マイディー(FF内)である。序盤の幼少期のタカオと父の思い出話の部分は、そこまで必要なのかな、と思っていたのだが、ここの伏線効果がすごいことになるなんて、夢にも思わなかった。
専務昇格を人づてに聞いたのに直後に会社を辞めてくる父。でも母は、その決断に恨みごとひとつ言わない。二人の子供も同様の感じ。要するに、父親の存在が、それほど大きく描かれていない一家であるともいえる。
父の内面を知るべく、以前二人でやったFFの最新版をゲーム機と一緒にプレゼントするタカオ。ゲームの中のギルドの面々に、「父をよく知り、一緒にプレイしたい」という「光のお父さん」計画をぶち上げるのだった。最初はとっつきの悪い父。しかし、何かが動いていく。かくして、ゲームにはまっていく父。
その父を中心に、タカオの会社での活躍や、妹・ミキの彼氏問題、そして何といっても、自身の病気罹患問題。これらがまとまって描けるというのだろうか……そして、最大の敵・ツインタニアは倒せるのだろうか……?

初見の段階で、私は最後の父の告白部分で感涙にむせんでいた。だが、息子・タカオが今まで隠してきた正体を明かした時の父の(リアルな)表情に感じ入ったと思ったら、チャットでこんなことを言い出したのだ。
「今度は一緒に倒せたんだな」
この瞬間、私の感情はどうしようもなくなった。いまでもこのセリフをかきながら、その時に襲われた感情に流されている。
そう。父は、以前のバージョン(ファミコンのFF3)で、息子と一緒にクリアすべきラスボス戦に参加せず、タカオが一人でクリアしてしまったことに引け目を感じていた。それを今までずっと覚えていたのである。
父は、よそよそしくなったんではない。まして忘れているわけでもない。常に子供のことを思っているからこそ言い出しにくい本音がゲームの中で吐き出せるのだ。そしてそれを知る我々は、父の偉大さ/奥ゆかしさを同時に味わい、感動させられるのである。
実は、前日譚がある。「一緒に戦うとこ、見ててくれへんか」といった父に、タカオは「仕事が忙しいから」と、幼少期の父が言ったそのままに、意趣返しのような返答をしてしまう。この見せ方の素晴らしさ。今や主従が逆転した関係をここで浮き彫りにし、そして父が言った言葉がそのままコピーされて口から出てくる。それでも、無理強いしない父。つまり、これは自分がしたことを今自分がされていることを理解したからこそ、目も合わせず、ツインタニア戦の予習に没頭するのだ。父にしてみれば、あの時の約束がいまだに尾を引いているのか、と思っていた部分もあるし、同じこと確かあったな、ということの振り返りもあったと思う。だから、自分が(ゲームの世界の中で)自立するためにも、この戦いは負けられないものだったはずである。

もう、この辺でいいだろう。

6/30。よもや、上半期の締め切り当日に、「一位」作品を見ることになろうとは、夢にも思わなかった。採点は100点なのだが、心の中では125点くらいである。
今まで親子関係を描いた作品は数知れない。子供青年/親父中年以上という設定が過半を占めるが、父が、世界と向き合い、人として成長する作品は意外なほど少ない。だが、それは不器用だからこそ、また、想いを素直に表現できないからこその結果であり道しるべだ。この作品は、図らずも本心や内面がゲームによって曝け出されたことが大きい。だから、表に見える現実と、実際の考え方を語るゲーム内のチャットシーンはものすごく重要な意味を持っている。
ラストシーンも秀逸だ。ゲームチャットが、日本のみならず回線を通じてあれば世界どこでもできるということを見せている。ただのコンシューマーゲームではない、コミュニケーションツールとしても活用できるところを見せる壮大なおまけつき。この作品が問いかけるメッセージ、内包してあるテーマの多さとそれを残さず描いた手腕には脱帽するしかない。