7月7日は、あの!!塚口サンサン劇場のオープン日だった。
それはマジで知らなかった。しかあし!知ったうえで、お誕生日価格1000円で見られるとなったら、全ての予定をすっ飛ばして、はせ参じるしか道は残されていない。

そう思って、夜通しカラオケを止めて、体調万全で劇場に赴く。
見るは、もはや旧作の部類に片足突っ込んでいる「ゴジラ キングオブモンスターズ」である。
すでに幾多の高評価の影響もあり、ハリウッド版では最高峰との呼び声も高かったのだが、私は二の足を踏んでいた。それはひとえに「シン・ゴジラ」との世界観とのすり合わせと、仮にそれを無視したとして、世界になぜそれほどの怪獣を保護/観察/保存しないといけないのか、という根本的な設定の部分について理解が得られなかったところがある。

観客は10名強。カップルが3組、あとはソロ男性ばかり。平均年齢は50代前半。だが、筋金入りっぽい、ゴジララブ的な御仁もいらっしゃったので、雰囲気は悪くなかった。

一人息子を、ゴジラ(による災害)に殺された科学者夫妻とその娘が、このストーリーの中心人物となる。ここでのゴジラは厄災そのもののように描かれている。そして時は流れて、怪獣をコントロールできる「オルカ」という音響設備を開発する夫妻。正確には夫が放棄した試作品を妻が完成させたのだが、聞こえはいいが、これが物語の端緒となっていく。
そこから、モスラの誕生、そこにやってくるテロリストたち、暗躍する怪獣監視機構的な組織・モナーク……そしてついに、最終兵器……モンスター・ゼロに手をつけてしまう。

得点はぎりっぎり90点である。
すでに幾人かのレビュアーも指摘しているように、ご都合主義満載なのだ。「シン・ゴジラ」では、ためらいなく主要人物(総理大臣とか)を殺しているのだが、自分から死地に赴かない限り、このストーリーの主要人物は死なない。死にそうなのに死なない。絶体絶命でも生き残る。ただ一言「ありえない」のである。一応モブキャラは数万人単位で死んでいるのだが(特にメキシコの島)、その過程を見せることに何ら意味があったのか……
なにが気に入らない、と言って、全世界を巻き込んでいるのにアメリカだけが対応している点が鼻持ちならない。全世界に拠点を置いてしまった手前、各地で阿鼻叫喚の地獄絵図になっていることもあまり言われない。まるでなかったことのような描かれ方である。まあ、こうなっては、どこで対策会議するだの、一堂に会して、などは無理な話なのは分かるが、こういう時の大統領の一声もない、というのが「アメリカ、だいじょうぶなのか」と思わずにはいられない。それはひとえに、某氏だから、その彼が活躍、いいところを見せることは赤っぽいハリウッドにあってそれは決して許される映像表現ではないからだと思う。
怪獣同士の戦いにしたって、今やCG全盛で、ラストのギドラvsゴジラの決戦の地・ボストンの地が粉々になったところで、さほどの爽快感も残念感も浮かばない。それは、多分に、アメリカ全土がすでに火の海だったし、科学者夫妻の娘が、自宅のあるボストンに帰り、フェンウェイ・パークのスピーカーを使ってギドラを呼びよせたからであり、必然性の部分でもかなり動機が薄い。そもそも、虎の子の「オルカ」を奪われて気が付くの遅すぎる。このあたりでかなり減点された。
私の個人的な妄想も入っているのだが、このストーリーでかなりお金のかかった俳優は、Ken Watanabe その人ではないか、とさえ思う。だって、他はストーリーにほぼ絡まないうえに誰が誰だかわからない程度の二戦級。もう一人くらい、モーガン・フリーマンクラスが出ているのであれば、よかったのだが、それらしい特別出演的な人物もいない。
90点ある、ということは、それなりのシーンもあったということだが、必然性がいずれも希薄である。夫妻の怪獣に対する対立も、妻側が狂信的になっており、挙句、ゼロを生かす方向に。渡辺謙演じる芹澤と夫の会話のシーンくらいはぐっとくる内容だったが、それも話の腰を折らずにいきなり異常事態が訪れるなど、ドラマとしての運び方に意外性がこれっぽっちもない。芹澤が自死を選ぶシーンや、ギドラを引き付けるべく身を投げ出した最後の妻の想いは評価しているが、それで90点である。

ハリウッドがまともにゴジラのリメイクを作ったら、こうなる、というのはよくわかった。愛がないわけではないし、極力日本の意向も反映されているように見受けられる。でも、ストーリーがこうならざるを得ないのは、やはり主役は怪獣だからだろう、という結論に達する。どちらも対等に扱うことは難しいし、できないのだろう。
それでも、クレジットのラストには若干感動した。これができるのが、ハリウッドなのだろう。