「トイ・ストーリー4」「ミュウツーの逆襲EVO.」で盛り上がる興行界隈。これにアラジンがまだ勢力を残したままなこともあり、劇場の日曜日はかなりひどい混雑になる。
しかも、TOHOサービスデーが被るとなると、その混雑に拍車がかかる。一応訪問可能なTOHO各地をみるのだが、満席を連発させているだけに、どれを見ようか悩む。
で、結局、新規開拓に至らず、三度目の「きみと、波にのれたら」を選択する。
館内は、あぶれたと思しき家族連れが多数散見され、男性ペア/女性ペアも一定数居た。後列に陣取った5人家族が最大。公開末期に等しい時期だが、日曜にしては60人強が入る善戦ぶりを呈した。

二度目の鑑賞記で、

 死を受け入れられないとはいえ、港が亡くなってから、画面上は一度も泣いていない(携帯ロックが解除されて、本来送るべきラインの内容を確認したときに上を向いて、涙をこらえている描写はあった)。


「それって本当だろうか」を確認したのだが、山葵と陽子が荷物をとどけてきた場面ではなかったものの、悪友二人に差し入りされるシーンでチョイスの悪さから港を思い出してしまい、ハンカチ取り出して泣いているシーンがあったので、完全に泣いていないわけではなかったと確認できた。携帯ロック解除のシーンもそこまで涙が来ているのだが、上を向いて必死にこらえているひな子が不憫でけなげである。

今回は私の中でも「〆」に当たる3回目鑑賞となったのだが、異常な事態に陥った。
それは、ウクレレに合わせて二人がカラオケボックスで歌う、世間では評価の低い「イチャラブ」シーン。ここで、あろうことか、涙腺が励起してしまったのだ。
火災現場での衝撃的な出会い。今となってははしご車で港が救いに来るという描写と、階段で律義に屋上まで来た山葵との対比にもなっているわけだが、ここからの二人の急接近と、それに伴う恋愛表現。どこにでもいそうな普通のカップルであっても、「おばあさんになるまで助ける」といった願望が必ずしも達成されるとは思えない。まして、分かちがたいまでの「ムスピ」が幼少期に紡がれていたと知れば、その喪失度合いは半端ない。
それを知らないで付き合っているのだ。港の側から「貴方は私を助けてくれたんです」などという告白がないことには違和感しか感じられないし、それを知らないでいる観客サイドからすれば、「なんだよ、なんでもっと早い段階で知らせてないんだよ」となる意見が出るのはむしろ普通の感覚である。

ではなぜ港は「その大事な情報」をひな子に伝えなかったのか?
そこにあるのは「恩の押し売り」ではなく、たまたま好きになってしまった人が命の恩人だった、ということが言いたかったから伝えなかったのではないか、と思うのだ。
「ずっと助けるよ」「ひな子が波にのれるまで」。そこまでなぜ港は思えたのか?それは、少なくとも「今の自分がいるのはひな子に助けてもらったから」が根底にあるのではないか? たまたま自分が消防士になってはしご車で窮地を救ったことで、その当時の借りは返した、だから対等に付き合える、今度は好きになった人を助けることが生きることになった、とするとこの重大な告白をしてもしなくても、そのための前提条件にはならないと港は判断したんだろう。

なんだよ、この男前っぷり!
港の無償の愛の凄さをこうやって解析すればするほど、ひな子が不憫になってしまう。彼女には、港=Port が必要だったのだ。それを奪うことになったサンタ扮装の水上バイクの面々には怒りしか覚えない。
「波にのる」ことの重要性。波=人生である、とはすでに初見で看破している当方だが、ファンタジックに振りすぎたラストのクライマックスであるとかが世間一般からするとありえなさ過ぎに映るかもしれない。それでも当方は、夏がやってくるたびに、「きみの声をとどけたい」とこの作品を思い出すことになるだろう。
そうこうするうちに遂に! 今週末からは、このコピペたちが本領を発揮するのでは、と思える状況が発生しかねない。