2019.7.19。
いろいろあったが、何とか完成品が見られる、というだけで当方は満足している。
関係者向けの試写会では、「提灯記事か」と見まがうような絶賛レビューが顔をのぞかせ、その一方、不安視する声もなくはない。
それにしても……

この記事を書く前に起こった痛ましい事件については、日を改めて書いていきたいと思うし、さすがに時事ネタ不感症になってしまっている私であっても看過できない事象であり、今後のアニメーション業界がそれこそ変わってしまいかねないからだ。

そんな一日を過ごした私は、とりあえず、本日発売となった「天気の子」の原作小説をゲットし、

   「クライマックスを含む後半を除いて」

読んだ。
核心部分は、映像を見ないと判定できないところもあったし、なんとはなく「こうなるんじゃないのかな」と、斜め読みした部分もあって、「あーーーーー、こういうことならもうこの先は読みません」となって本を閉じたのだった。

「天気の子」「100%の晴れ女」など、どれもがパワーワードなのだが、予告で見せた、唐突な銃声などもその理由や原因がわかるように仕向けられている。
さて、問題は、名作の条件でもある、帆高と陽菜にどこまで感情移入できるか、と言ったところである。今回は、「君の名は。」のように、登場人物がミニマムではない。関わりを持つ人物の数が格段に多くなっているからである。特に今回の主要脇である須賀を演じる小栗はともかくとして、アシスタント役になっている夏美を演じる本田翼のセリフが恐ろしいくらいあるのだ。ボソッとしゃべられてぷっと噴き出すレベルなら許せるのだが、こうまで多いと、イラッとする可能性も否定できない。二人との絡みも多い。

このストーリーが言いたいことは何なのか?それをスクリーンを通じて得られることができるのか?まさしく、

 「愛に出来ることはまだあるかい? 僕に出来ることはまだあるかい?」

の答えを探すべく、スクリーンに対峙したいと思う。