前回の鑑賞記の〆は、これだった。

私は、この4回目で、オーラスに当たる水没している街を背景に、大学生の帆高と、高校生の陽菜がラスト抱き合うあのシークエンスの、バックグランドの「大丈夫」の歌詞をかみしめて号泣を禁じえなくなる。

 「君の大丈夫になりたい 大丈夫になりたい 君を大丈夫にしたいんじゃない 君にとっての大丈夫になりたい」

そこに帆高の決意と、陽菜を包み込む慈愛を感じずにはいられない。帆高はああ見えて凄い男だったのだ。だからそこに惚れてしまう。応援したくなる。歌詞の破壊力がそれを後押しする。 


小説の後書きには、「愛にできることはまだあるかい」とこの「大丈夫」が最初に野田洋次郎から提示されたという。しかし新海氏は、ラストシーンの〆をどうするか迷った挙句、この歌詞を咀嚼して「ぜんぶここに書いてあるじゃないか」(p.300/原文はすべて傍点付き)と気が付き、ラストシーンを書き上げたそうだ。
だからなのだろう。曲が前提にあるから、あのシークエンスは本当に感動してしまうのだ。「君の名は。」のラストは、あえるなんて夢にも思わない彼らの衝撃の再会。それを「追いついた」と表現した野田氏。「天気の子」では、大丈夫、というキーワードを見事なまでに取り込み、泣いている帆高を気遣う陽菜の大丈夫?に呼応して、「僕は、ぼくたちは、だいじょうぶだ」と高らかに宣言する帆高で〆る。

これに気が付いたとき……まあ初見の前に、歌詞入り曲紹介の時点で、なんとはなく抱いていた、最後のスタッフロールで使う曲だろうな、くらいには思っていたのだが、感動を通り越して、彼らの行く末が本当に気になって仕方なくなってしまっているのだ。
彼らは、この先、だいじょうぶなのだろうか?大丈夫だとしても、それは、お互いを気遣うだけの、無理をしたものではないだろうか?本当に大丈夫だといえる間柄に収斂していくのだろうか?

ああ、彼、彼女がこの狂ったままの世界で、それでも色を失わずに自分たちの作った世界で生きていく。そこにまた尊さを見出すのである。

とにかく涙腺の緩み度合いが半端ない。神宮外苑花火大会の、まばゆいばかりの夕焼け空に感動してしまい、花火でさらに畳み込まれる。なんだったら、最初に出会った時の「今から晴れるよ」からの一連の動きに反応しかかったりしている。
私が瀧三に取りつかれ、解析しようと思い立つまでほぼ半年。しかし、ほだひなはわずか2週間でそこまで立ち入らせてくれている。