「答え?そんなもん、小説に書いてあるだろうよ」
この一言で終わってしまいそうなネタだ。とはいえ、それを知らない、ただ映像にあることだけを正とする人がいたとして、この疑問が湧き上がってくるのは至極当然といえるのだ。

普通の人間なら、雨には濡れたくない。いろいろと面倒だからだ。あのレベルの雨なら、頭の先からつま先まで、そして下着まで確実に濡れている。着の身着のまま川に飛び込んだのと同じレベルだといっていい。
なぜそれをしたいと思ったのか?小説抜きでまずは考えてみる。
ヽ放感を得たかった
ほかの人間が思いつかない「雨の中の甲板」。当然独り占めできるし、なにをやっても咎められることはない。甲板で雨降る中、駆け出し、ジャンプまでしているくらいだから、その開放感を味わいたかったとするのが最大の答えのように感じる。
雨が好きである。
雨が降ることがわかっているのに、傘を差さない帆高。それどころか、その用意すらしていなさそうであった。ネットカフェ生活当時、2度も土砂降りの雨にあい、店員をキレさせているのだが、船上の帆高は後悔している風が見当たらない。
<当方解析>彼自体が特異点として認識された
甲板から滑り落ちそうになるシーンの直前。ほぼすべての人が聴いている、何かの遠吠えのような不思議な声。その直後、塊と化した雨……バケツではなく、プールをひっくり返したような量であり、ライトも壊れるほど……に襲撃されるのだが、あの遠吠え、何度となく登場している。ラストシーン手前。引きたてられる須賀が土砂降りに出会う前、幾多の"龍"が都心を舞っているかのようなイメージが映し出される。告白直前、まるで陽菜を誘うような遠吠えもある。
いくら選ばれしものであっても、おいそれと天気に介入できるはずがない。陽菜の場合、代々木会館の上に差し込む光に導かれた部分はありこそすれ、帆高にはそれがない。ただ情念だけであの鳥居をくぐり、陽菜を探すべく天空に上がれるはずがないのである。
だとしたら……「それがムスビ、それが時間」(一葉 談)。何かのムスビを探そうとしたときに、ただ一人、甲板であの雨を経験したことで天気を左右する予備的な力を併せ持ったとするならば、ラストに導出されるファンタジーでありえない演出も、「それがあったからここまでできたのだ」という説明になりはしないだろうか?
もちろん、当の本人はそんなこと一切考えていないだろうし、小説にも、そこまでの深層心理やネタバレはない。強く強く願って鳥居をくぐったら、うまく陽菜に会えた、くらいしか記述はない。しかし、ただ雨に濡れる、それだけを書いたにしては、不可解な点が多いのだ。

何度でも書くが、普通雨に濡れることを嫌うはずなのに、嬉々として濡れに行っている帆高。雨滴が顔に落ちてくる瞬間、「来たっ」と満面の笑みをたたえ、甲板の上でもはしゃぎまくっている。ストーリー上の演出や流れだけとみてそれでいいのか?とならないと、やはり解析厨は名乗れないだろう。