この作品……天気の子を見て、嵌まる人の大半は、ラストシーンの破壊力に全てをもっていかれるからだとおもう。
街は水面下に沈み、陰鬱なままの東京がそこにある。それでも、東京に再びやってきた帆高は、あの人の住んでいる(かどうかの確証もないまま)田端に向かう。
だが、そこでみたのは、天気の巫女がするかのような祈る陽菜の姿だった。瞬間風が吹き、彼女を振り向かせる。そこで「大丈夫」が高らかに歌われ、私はどうしようもなくなるのだ。

二人は会えるかどうかわからない。確かに一瞬の邂逅こそあったが、あったことすら記憶から消えていく。そして5年後/8年後に二人が奇跡の再会をする「君の名は。」の感動的なラストと比肩する本作のラスト。何が違うといって、「二人はまだ10代である」ということがあまり言われていないことに少し驚く。
そう。帆高18歳(誕生日が7/1のようなので、まだ誕生日を越えていない)、陽菜17歳。つまり、この陰鬱な世界を背景に彼らは恋愛を始めていくのである。

このメッセージは明らかに重い。晴れ晴れとした「君の名は。」のラストとは一線を画しているのは一目瞭然である。そして、せりふの応酬である。
「帆高? 大丈夫? 」
と問う陽菜。次の瞬間、
「僕は、僕たちは、大丈夫だ」
というのである。

彼らは入れ代わりではない、実態の男と女として対峙している。ほんのちょっとした心遣いが、帆高に温かみを与え、悪の道(?)から脱却させて全うな職を見つけようとする。だが、「晴れにする」ことが「ブラック」だったと気がついて止めようとした刹那、天に召されてしまう。2021.8.22の帆高にとっての長い一日が、彼を形作り、陽菜を生涯かけて守ろうとした愛だとするならば、これほどまっすぐで誰の束縛も受けない道をひたすら歩める”若さ"をあの走りは象徴しているし、ほぼ3年想いを醸成させることもできたと思っている。

陽菜が携帯を持っていない問題はそのうちねたにするつもりだが、連絡がつかない相手との感情がどう推移したのかの記述が甘かったのは仕方のないところかもしれないが、ほぼ2年半ぶりの再会が、彼らの感情を爆発させたことは映像からもはっきりわかる。
16歳の瀧三は、御互いハグすらしない、純愛を地でいった。だが、この二人は田端の坂道で、じゃれるように抱き合うのだ。
ここも重要だ。「大丈夫」なんだけれども、その前段としての再会に重きが置かれたからである。

だが……
「大丈夫」が言われたのは、このラストシーンだけではない。
・陽菜が住まいから脱出する際にも言っている
「実家に帰るように」諭す陽菜は、そのせりふの最後で「私たちは大丈夫だから」といって帆高から別れようとする。
だが、帆高の決断は「一緒に逃げよう」だった。
・帆高の独白
ラブホテルでじゃれあう三人。このままでいいはずないが「大丈夫」といって、三人一緒に過ごしたいと神に祈るのだ。
・安井刑事が須賀の異変に気がついたとき
水浸しの事務所で対峙する二人。帆高が「何に」向かっているのかをとうとうと述べる安井に無関心を装う須賀。だが、次の瞬間、須賀の異変に気がついたときに安井が言う。そう。「あなた、今、泣いてますよ」。
そこにあるのは、幼い萌花の成長記録が記された大黒柱をなぞり、「帆高のしていることはなんとなく理解できるんですが(私はよくわからない/恋愛自体に無頓着になってしまったのか、それを知らないのか、まではわからない) 、あなたはどうですか」と安井が須賀に問うているようにも見える。そして、自分にもその尊いものを追い求めていたことを思い出し、悲嘆にくれるのだ。

大丈夫。
辞書で引いてみると面白い。
そもそも「丈夫」と「大」に分解できるし、さらに「丈」と「夫」も分けられる。
丈夫とは、中国語的な使い方で、「成人男子」を差し、「大丈夫」とすることで「その中でも特に立派な男性」ということができる。いまでこそ、「丈夫」といえば、しっかりしているとかの意味で使われることが多いのだが、意味が転じた結果でもある。
だから、「君にとっての大丈夫になりたい」とは、まさにこの「大丈夫=君を護れる、立派な男性」になりたいといっているのである。
この解析をしている人も意外に少ない。だが、私はこの歌詞が持つ違和感にすぐにピンときた。野田洋次郎は、大丈夫の意味をいくつにもとらえているから、この歌詞が紡がれたのだ。

「私たちは大丈夫だから」
「須賀さん、あなた、大丈夫ですか?」
すべて一般的な、相手を安心させたり気遣う言葉である。
だが、帆高が言う、「僕たちは、大丈夫だ」には、まさにこれからを生き抜こうとする意志と、自身も大丈夫になりたいと思ったから出てきた言葉といえるのだ。

一番曖昧でどうとでも意味の取れる「大丈夫」をキーワードにする新海誠の手腕。野田洋次郎の作詞能力。これに気が付くとき、ただひたすら平伏するしかできなくなるのだ。