新海誠監督といえば、新宿、と言ってもいいくらい、この街が大好きである。
前前作に当たる、「言の葉の庭」では、新宿御苑を余すところなく見せつけており、もちろん主人公がバイトする場所も新宿である。
前作「君の名は。」では、決して関東人が言わない、新宿駅南口をして『東京やぁ』と言わしめ、瀧のバイト先に御苑そばのレストランを設定したり、三人で登下校する際の背景には神宮外苑。印象的な「聖地」は各所に散らばっているが、いい意味での新宿を表現していた。

だが「天気の子」の新宿は、夜の描写がメイン。勢い、そのアングラさの方が際立っている。直近三作の中では、異様と言ってもいい描き方である。その上、雨に打たれている。陰湿さをもまとった新宿は、まさに魔都と呼ぶにふさわしい。
陽菜と帆高が、追ってから逃れるべく飛び込んだのは代々木の廃ビル(代々木会館)。この作品の舞台である2021年には、跡形もなく消え去っているであろう。当初このビルをモデルにしたことは「あ、無くなるなんて考えてなかったから選んだのかな」と思っていたのだが、まさしくあまのじゃくな私の思考がその単純な設定を全否定する。
 「無くなることが前提で話を進めていたら、どうなる?」


そこで私は、「君の名は。」で見せた、錯倒のマジックをここでも使ったのか?と思い始める。三葉は死んでいなくなっている。でも、死なせまいと瀧は頑張る。ところが実際は「三葉を始め町民は死んでいない」歴史が正しく、一般人が思い描く「歴史をやり直す」ストーリーではないことに気が付いたのだ。
だとしたら?
映像で描かれてはいけないものと、描かれてないといけないもの。これがわかれば、この物語は少しだけ解に近づく、と思ったのだ。

果たして、私はその解答を、田端駅のロケハンで見つけてしまったのだ。
→これがこの写真
田端20190804

ラストシーン。陽菜の家に向かおうとする帆高は、しかし、坂の頂上付近で空に向かって祈るような高校生になった陽菜を見つけるのだ。
その際に、彼女の背景には建物は写っていない。2024年春ということになるから、今建てられた建物が、5年後に姿を消すことは考えられない。
→ちなみに皆さん、この建物の存在にまでは目が行き届いていないようで、私のようにこの建物の全容にアタックしていた巡礼者は皆無だった。ホテルで、この8月末で完工のようである。

時系列上、「映っていてはおかしい」代々木会館、「映っていないとおかしい」田端のホテル。この二つの事実を目の当たりにした私は、「この物語で起こっていたことすべてをご破算にするつもりがあるんではないか」という監督の壮大な「嘘つき物語り」の可能性を考えて、驚愕している。
だって、監督は、「ラストのくだりをギリギリまで考えていた」というではないか。田端を陽菜の家の設定にしたのは、あの坂のせいか?p.90に「女子の部屋、初訪問?!」と舞い上がる直前の帆高の行動が記載されているが、田端駅の南口の描写くらいが正確なだけで、ここである必然性というものは感じなかった。
建物は一朝一夕にできるものではない。出来上がる前に見れて本当によかったのだが、着工は2017年9月。もっと言えば、計画そのものは、2016年9月27日には出来上がっている。
施主のHPに概要が乗っていたので掲載しておく。

何度でも言うが、「東京が水面下に沈んでいる(そのメーター数とかも含めて)」未来はありえないのである。それこそ、「三葉が死んでしまった」とみんなが誤認しているのと全く同じ映像で見せているのだ。
そう。東京は、2021年にも、2024年にも、普通のままの状態が続いているのだ。多少の異常気象の影響があるだろうが、水面下に沈む未来ははっきり言ってないと断言する。それは「映像に嘘があるから」。そしてその嘘に、取り壊される運命で、2021年には存在していない廃ビルと、2024年には開業している新築ホテルを使ったのだ。「君の名は。」で言えば、最初に見た糸守町の被害状況の新聞報道である。

実在の東京を嘘の舞台にするという大胆な発想。これに気が付いたとき、この人の深淵には何が渦巻いているのだろう、と感じずにはいられない。