「三葉、四葉、ムスビってしっとるか?」
三葉の祖母・一葉の語りである。このムスビこそ、三葉にとってのムスバレルべき相手……瀧の存在をも示唆している。

この作品にもスピリチュアルな言葉は頻出している。
占い師の場面でも「晴れ女」「雨女」の定義として、雨女は龍神系、晴れ女は稲荷系とされている。
天気の巫女の取材をした先でも同様である。だが、一番のパワーワードは何といっても、立花 冨美のいった「お彼岸」である。

前作「君の名は。」でも、この死生観に関わる場所として、糸守にあったご神体が描かれている。「ここから先はかくりょ」「あの世のことやわ」「彼岸に戻るには、あんたらの一等大切なモンをお供えせにゃいかんよ」。
そのためのアイテムが口噛み酒だったわけだが、「天気の子」では、迎え火を使うことで先祖を招き入れる、という日本の風習を取り入れている。

そして冨美はこういう。
「あの煙に乗って、あの人は向こう岸から帰ってくるんだよ」(p.138)
帆高の「向こう岸?」に反応した冨美は畳みかけるように、
「お彼岸。空の上は別の世界。昔からね。」(劇中セリフ)。

空の上は別の世界……陽菜が見た、魚のような物体が乱舞し、雨をつかさどる龍のような雲の存在が冒頭で謳われるわけだが、このセリフがかなり重要な意味を放っているのである。
そして場面は「天気の巫女」の解説となる、住職の語りがインサートされていく。曰く「天気はまさに天の気分」「人間は、天の気分に振り回されぬようしがみつくだけの存在」「それでも、天気をコントロールできる巫女の存在は、世界各地に存在していた」「天気を差配することには代償が必要だった」など。

住職の言葉は裏打ちでしかない。「悲しい運命があっての」の後は、須賀と夏美しか知らない(後に動画を見せられて陽菜は知ってしまうのだが)。そう。ここでも監督は「人柱」という言葉をあえて出さずに陽菜の口からそれを言わせるのだ。
「空と繋がった」陽菜の存在。そして誕生日に人柱となって"彼岸"にいく陽菜。「本来なら死んだはず」の彼岸から連れ戻すという行為に帆高を募らせることになるわけだが、これって、瀧の行動原理とよくは似ていないだろうか?

瀧は「死んでいなくなっているはず」の彼女・三葉に逢い、「助けたかった」「生きていてほしかった」と慟哭するのだが、実際には死んでいない。だから、あの時空を超えた5次元の2013.10.4に逢えているのだ。
帆高と陽菜の場合は、同じ時間軸。だが、今回は「高さ」を使ったのだ。帆高は、成層圏ギリギリいっぱいまで放り出され、陽菜はといえば、上空2000m付近で何事もなく(雲から滑り落ちることも、落下することもなく)たたずんでいる。
そしてグランドエスケープ。彼岸から連れ戻すなど常人ができるはずのない芸当を帆高はやってのけ、陽菜も本来なら戻ることのない人柱という運命から逃れるのだ。

「彼岸から帰ってくる」。
ここで二人とも「死んでいるのでは」という推理も成り立つのだが、実際には、あんな上空に放り出され、あまつさえ、パラシュートも何もない状態でほぼ無傷(打撲・骨折などは一切していない)で帰還できることにファンタジー的な側面を見出してしまう。

解析結果:
空の上にある別の世界という意味合いの「彼岸」。そこに行ってしまった陽菜を連れもどせた帆高も、実際一度彼岸に行っている可能性は高い。つまり、彼岸で二人は再び出会い、お互いの想いを強くしたのだと思う。