「さよならの朝に約束の花をかざろう」。
2018年の公開初日に嬉々としてスクリーンに対峙した……させられた一本だったが、マキアではないが、「この映画を見られて、よかったです」といわせてくれる珠玉の一本であった。
初見評をどうぞ。
ただ、二ケタ回鑑賞に至っていないこともあって、円盤購入にまでは立っていない。
つまり、この名作を見たいと思ったら、レンタル等、ひと手間必要になってしまう。

そこへ降ってわいたのが、トリウッドの4作連続アニメ映画上映。フェイバリットであり、それこそ推しまくる2作を筆頭にしているのだから、この作品も当然のように入ってくる。

さよ朝は、いろいろな意味ですそ野が大きいのか、この4上映の中で初めてカップルが来訪。男性ペア一組、ソロ男性8/女性2。14名は、本日最高記録である。

冒頭のマキアがエリアルに出会うシーン。その前は、イオルフの惨状を遠目に見て、断崖から身を投げようとしていたはず。それを救った赤ん坊の泣き声。これがなかったら、今頃ストーリーは進んでいない。
骸になった母親からエリアルを取り上げようとするマキア。死後硬直をこのように描くとは、なかなかできるものではない。骨を折る一本一本に涙腺が反応する。
無二の親友たちと離れ離れになるマキアだったが、時代の流れが、彼らにえも言われる「別れ」を突きつける。レイリアは望まぬ結婚をさせられた挙句我が子を身ごもってしまい、それでも奪還を狙うクリムはそのことだけに生涯をささげてしまう。

「イオルフの民は別れの一族」であるといっていた長老。「誰かを愛すれば一人ぼっちになってしまう」。私は下界に降りた時、自分の長命と釣り合わないからそうなるのだと思っていた。だが、クリムとレイリアは、お互いを愛するあまり一人になってしまっているのだ。ここにこの作品の、そして全体を通底する意味というものを感じ取る。
だが、マキアは違っていた。母親としての役割を全うしつつ、人間として成長するエリアルを常に見守り続けていた。二人に血のつながりはないが、そこにあるのはそれをも超越した慈愛に他ならない。
合戦&出産シーンから、もう涙が止まらない。めったなことでは取り出さないフェイスタオルが劇場鑑賞で初めて取り出される始末。エリアルとマキアの別れのシーンは、もう駄目である。
だが映画はそれでは終わらない。余命いくばくもない(ほぼ絶命しかかっている)エリアルを見送るシーンでは、「行ってらっしゃい」というセリフが畳みかけ、回想シーンがまさしく滝のような涙を出させてしまう。そして、石見嬢渾身の泣きの演技で完全にノックアウトされてしまう。
エンディングの「ウィアートル」は、私が生涯かけて追い求めたい楽曲になったわけだが、それも含めて、この映画を知れたことはよかったと思っている。

ズルズルな顔を隠そうともせずにトリウッドを出る。
映画の持つ力に改めて感謝すると同時に、それを導き出してくれた新海誠という人物の存在に改めて敬意を表したい。