あえて私が、「○○キノコ目」と書いているのは、10回目見ると、うまい事語句ができるからである。

8月22日は、公式も何も、天野陽菜の誕生日。この日に見ないでどうする、となったのだが、「この日をまさしく10キノコ目にして、完成させようではないか」という壮大?な計画が出来上がる。
そうなると当方にとってのハードルはわずか一回。それならば、OSシネマズ神戸ハーバーランドでの鑑賞をやっても全然悪くはない。

16:20の回、スクリーン3番に陣取る。ここのシネコンの3番は、171席ながら、上から3番目の大きさ。スクリーンもほどほどにでかい。
飲みこまれていく観客動向も、日曜日ということもあって、カップルのあまりの多さに愕然とする。だが、ここでかなり特異な状況に出くわす。
女性ソロはそうでもないのに、女性ペアが、男性ペアを大きく凌駕する組数やってきたのだ。「君の名は。」で課題となっていた、女性客の取り込みが功を奏し始めているように感じている。実際カップル以外だと男性28に対して、女性40。男女比はこの差が効いて、5.5:4.5で、女性優位と出た。

「もし、「君の名は。」が、もっと女性に受けていたら」。
そう。もしかすると千と千尋越えは可能性があったのだ。だが、この作品で、それまで見向きもしなかった女性層の掘り起こしに成功している。それは、陽菜に寄り添った作劇にしてあるところが大きいのかもしれない。
なにしろ、陽菜は、弟のためなら、「身を売る」覚悟までできていたのである。もちろんキャバ嬢からスタートだとしても、そこから先の堕ちていくさまは、容易に想像が付く。陽菜はそこまで芯の強い女性だったのだ。だから、ヒルズの屋上で語った「私ね。自分の生きる意味を見つけたの」という言葉には嘘はない。帆高が堕ちることから救ったのだから。

ああ、またこの作品の一つの真理を見出してしまう。
だから、最後の別れがすぐ目の前まで来ているあの瞬間の二人の抱き合っておいおい泣くシーンに嗚咽一歩手前まで放り込まれてしまう。
水に沈んだ陰欝な田端、そして東京。それでも、何かを祈っている陽菜。このラストシーンがもたらす破壊力は恐ろしい。
自分たちが「(世界を)変えた」と強弁する帆高。それでも自分は、陽菜を連れ戻したことを誇りに思う、二人で生きていくと決めていると、小説では高らかに謳われている。
それでいいんだ。この物語の二人には、それしか道は残されていなかったのだから。
「せかいがー」
私のこんな思慮を後押しするように「大丈夫」が流れる。もう止まらない。止められない。町並みを沈めるまでには至らないが、それでもこの曲で大号泣に至ってしまう。

参った。
何度見ても発見があるし、どんな見方もできてしまう。
いろいろと解析/考察されている記事も散見されるようになったし、私自身もそれらに触れているのだが、一律なストーリーというものにいまだに到達できていない。
それでも、このほどほどの客と一緒に楽しめる作品。本当に罪作りなものを新海氏は送り出したものだ。