あの事件があろうがなかろうが、私は当初から、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は、劇場版2タイトルは網羅する気満々だった。
自動手記人形……ドールが導く人生の機微、「手紙」の持つ伝える能力。それらにどこまでフォーカスできるのか、は注目していたところだった。

映画は、船上の少年か少女かわからない子供が必死に手紙をたぐっているシーンから始まる。
「僕」呼ばわりの女性 イザベラ・ヨークのストーリーが始まる。ヴァイオレットが来る前の彼女の生活や立ち居振る舞いにもう少し丁寧さがあったら、ビフォー・アフターも実感できてよかったところだと思う。
ヴァイオレットが3カ月限定の家庭教師として赴任するのだが、物語では、まったく異端視されない。それどころか畏敬の念を持たれて歓迎される。
そして奇妙な共同生活が始まる。そうすることで、イザベラの中にヴァイオレットに対するわだかまりも少しずつ薄らいでいく。
ダンスシーンは、この作品の特筆すべき描写どころである。最後のデビュタントで見せる二人の演舞は、衣装のきらびやかもさることながら、見るものを圧倒してしまう。
かくしてヴァイオレットは任務を終え、帰路につくのだが、そこで生き別れになり、それでも居場所のわかる血のつながっていない妹に向けて手紙を出すのだが、これが反則だ。
そこには、幼少時代、二人で暮らした時の呼び名‥…エイミーが記されているのだ。もう駄目である。

そして冒頭の子供のシーンが入ってくる。この子供こそ、イザベラと過ごしていたテイラーと名乗る女の子だった。イザベラから届けられた手紙に感動したばかりか、その手紙をとどける仕事に興味を持って、「郵便配達人になりたい」と孤児院を抜け出してここまでやってきたのだった。
しぶしぶその申し出を受け入れる社長。「師匠」とまで名指しされた、配達人に師事する。そしてヴァイオレットが世話をするようになっていく。
文字の読めない彼女に文字を教えたり、書けるように指導するヴァイオレット。そして、今やどこで過ごしているのかもわからないイザベラの消息を探るべく活動する配達人。
かくして、感動の再会が訪れた、と思ったのだが、テイラーは、イザベラの前には姿を現さない。「一人前の配達人になってここに来る」と誓うのだ。そのけなげな心情に触れて私もほろっと来る。

終わった……だが、本当の感動はここからだった。
エンディングのタイトルが「エイミー」だったのだ。こんな仕掛けをしてあるとは!!そこまでほとんど感情の発露がなかったのにタイトルが出た瞬間、どうしようもなくなってしまった。
また歌詞が恐ろしくいい。早くも当方の十八番曲にするべく音源を買い求める所存である。
得点は、そういうわけで、96点。音楽の重厚さは、サウンドトラック購入を大きく後押しする。抑制的なヴァイオレットの芝居もテレビ譲りだったし、見せる芝居になっているのがすごい。

3週間限定。「そんな決め打ちしなくても」と思っている人は多いことだろう。ただ、短期間集中型で渇望感を与えるというやり方は、悪手ではない。本来ならば、その後に本編になだれ込む目算だったのだが、あの事件がすべてを狂わせてしまった。
悔やんでも悔やみきれないが、そう(当初より延期)と決まった以上、待つつもりではある。某戦車道映画よりは早く公開してくれることだろうw