「天気の子」に関しては、今のところ、公式でやっているすべてのバージョンを鑑賞済みである。すなわち、通常、IMAX、日本語字幕版、4DX、MX4Dの5タイプだ。
これに付随するのが、劇場単位でやっている「極爆」「ULTIRA」と言った特別なエフェクトをかけて上映するものである。
今回の「爆音映画祭」も、映画を選択しているのは映画祭の事務局であり、東宝(興行主)は関知していない特別バージョンといえるのだ。
だが、「天気の子」を選んだ事務局は大英断だ。つまり、この作品が、音楽映画である、と高らかに宣言していただいたからである。
ただ、それならば、開始一秒で泣けてしまった同じ爆音映画祭の「君の名は。」との対比、という点でも大きなものになってくる。

当方は、やや前寄りの席に陣取る。大阪からわざわざこれ一本に絞ったフォロワー氏に、沖縄でもご一緒したフォロワー氏も鑑賞。いろいろとレポートされていたことも含めて鑑賞が始まる。
そう。それは「セリフがくぐもって聞こえる」「エコーがかかったように感じた」といったもの。「これは、僕と彼女だけが知っている……」帆高の初ゼリフ兼独白。「あぁ、そういうことね」と当方も納得する。まあ、音がすごいとはいえ、こういった調整が難しいところは仕方のないところなのだろうか?
「天気の子のテーマ」(サントラ一曲目)で、今回の爆音ぶりが試されると思ったのだが、ここはそこまでの大感動を励起させなかった。そうなると、次は「風たちの声」でそれを体感するしかない……
いや、実際すごかった。はっきり言って舐めていた、とさえ感じたくらいである。そう!これが爆音なのである。だいたいにおいて上がる曲だけに、当方もついついスウィングしてしまいそうになる。
次の「祝祭」も見事にはまった。ただ、ここから「愛にできることはまだあるかい」まではめちゃくちゃはまるほどの音響にはしてなかった。24番目「帆高、逃走」あたりはそこそこに聞かせてくれたし、満足度も高い。
「♪何ももたーずに」……洋次郎の声が沁みる、響く。もうここから涙腺の励起を止められない。ラブホのシーンもかなり来ていたのだが、完全に帆高に感情移入してしまっている自分がいる。須賀ではないが、帆高のあの一言……魂の叫びに胸をえぐられる。
もうここからは「仰げば尊し」が聞こえるまでずっと泣きっぱなしである。そして、止めを刺される。
「♪せかいがー」。まあ、何だったら、ピアノソロが聞こえる段階から涙腺はヤバい。もはや、このラストシーンでの二人の尊い再会を見るためだけに座っているといっても過言ではない。
止まらない感動、押さえられない衝動、この上の無い多幸感。二人が自分たちが変えた世界の中でも生きていくことを決めた「僕たちは、きっと、大丈夫だ」で完全に自我が崩壊する。

何度書いたか知らないが、この作品が、これほどに精神のみならず体力も使わせる作品になったことは恐るべきことである。爆音にさせられたことでその振れ幅がさらに増す。つまり、凄く体力を使うのだ。実際、見終わって当方は放心状態だった。もうこんな体験をすることはないだろう。
そう思いつつ、やおら腰を上げる。終焉間近なこの作品に百数十人が対峙できる。ここまで愛される作品を作られる新海氏は本当にすごい。