2020年の正月もあっという間に終わってしまった。
当方は、期間限定の「中の人」で復活。当然いきなり「行くわ」なんていうことはせず、12月初旬から十分に根回ししてのことである。
貧乏暇なし。普通なら初めて中の人でなくなったのだから、満喫するのも一興だったが、動けば金は出ていくばかり。それだったら、たとえいくばくかでも身銭になる方を選ぶのは当然といえた。

最終日の日曜日は、案外にも仕事は早く終わってしまう。「ならば何か見ようか」。そこで一躍候補に上がってきたのが、もはや全国で50程度でしか上映していない「天気の子」である。当初はこの三連休に首都圏で見られればいいかと思ったのだが、大半の劇場が1/9で終了。残っている場所にしても、うまい具合に時間帯が合わなさそうと判明。「これを最後にしてもいいか」という気概の方が上回ったのだ。

向かったのは、イズミヤ西神戸店内にある「カナートホール」。三宮からJRで大久保まで、大久保駅から神姫バスで「天郷」まで向かうという段取り。安上がりを選ぶなら、市営地下鉄で西神中央まで行き、そこからバス、という手段もなくはなかった模様だ。
着いたのが、2回目スタート直後。仕方なく、遅めの昼ご飯を今年初の回転寿司で済ませる。
スーパーながら、拡大路線にほぼ走らず堅実な経営で地道な商売を続けるイズミヤ。一時期神戸市内ではあのハーバーランドにも店舗を構え、ポートアイランド二期地区にもスーパーセンター様の店舗を持っていた。
この西神戸店も、訪問したのは初めてだったが、低層階/大きな敷地面積が作り出すワンフロアの大きさ/エントランスホールまで備える余裕のある設計 は、恐らくバブル期の建築かと思うのだが、そこまで古さを感じない。

カナートホールは2階に位置していた。併設している文化教室のカウンターと同一であり、この地区の一種カルチャー的な部分を一手に引き受けているようにも感じた。
16時前にカップルが一組購入する。16時5分にやおら腰を上げて購入するのだが、直前にカップルがもう一組。結果、私で5人目となりこれにて完了する。二組とも30代前半。よって、平均年齢はギリ40代行くか行かないかレベルとした。

舞台のしつらえてあるまさにホールであり、映画をやらないときは、劇や催しをしても面白いのではないかと思う。その部分では、シネ・リーブルのアネックスと作りは全く同じだ。よって、音響は望むべくもない設定。さらに椅子も平成初期の香りが漂う、横幅の不十分な作り。ここだけでも改装居ていただければ、かなり変わってくると思うのだが。
自由席ということで、真ん中あたりに5人が固まるのだが、 直前に前に居たカップルが最前列に座り直した。「いや、これはこれで正解ですよ」と当方はうなづく。この作品は、前で見てナンボだからである。

前回の鑑賞は、邪魔が入ってしまった。だから一切泣くという感情が起こらなかったのだが……やはり、平常心で見ると、すんなりすべてのことが入ってくる。今まで感情の発露のなかったシーンですらうっすらと泣けてくるから面白い。
そしてそれは、グランドエスケープで頂点に達する。帆高のどなりが私を慟哭の谷へと突き落とす。そして二人が手に手を取るシーン。泣きながら、彼らはそれでいいんだ、帆高の選択は間違っていなかったんだ、と追認する。その選択ができる帆高がうらやましく、頼もしく思えた瞬間だ。
ラスト。今までなら「せかいがー」から泣いてしまっているのが常なのだが、今回は、きっちりと陽菜さんが振り向くまでは平常心を保てた。ただ「僕たちは、きっと、大丈夫だ」のセリフで一気に涙腺が崩壊する。歌詞を口パクでつぶやきながら、どうしようもなくなっている自分がいる。31回目もこうして、体力をほどほど使って鑑賞を終えた。
劇場を出る私に、風の冷たさは堪えた。しかし、それでも心の中は、相変わらず、あの二人の残像が温めてくれている。彼らの行く末は約束されたものかどうかはわからないが、それでも二人があの狂った世界の中で生きていけることにいくばくかの希望を見出さずにはいられない。
32回目は、ちょっとは小ましな設備で見たいと思うのだが、それが叶うか、どうか……