2019年、実のところ、「君の名は。」の映画を見られる機会というのは実に限られていた。劇場でかかったのは本当に数えるほど。さすがに私も「どこでやっていた」とか、追いかけ続けているわけではないのだが、確実に片手程度の鑑賞機会しかなかったと思われる。
ところが、その鑑賞機会を私をはじめ、幾人かのどぎついユアネーマーは、離島たる沖縄でそれを体感したのである。
→まあそりゃ、映画館ではないし、感動ももう一つだったかもしれないが、「見た」ことには違いない。ブログはこちら。

それから1年2か月。
「ドリパス」という、TOHOシネマズが運営する、リクエストシステムによって、「君の名は。」が上映候補にのし上がった。配給がTOHOでなくても、リクエストの数字が上がれば候補作に名乗りが挙げられる、単純なシステムなのだが、一度候補に上がってしまうと、しばらくは投票等は無理のようだ。
東阪での企画上映の口火を切ったのは、TOHOシネマズ梅田の3/5の回。発売開始とともに当方は予約し、ここはあえて没入感を大事にすべく後ろ寄りの席を確保する。
購入が終わって劇場の配置を見て少しだけ血の気が引く。150人程度の箱といえば、本館ならば7か8、あるいは別館しかないからだ。そして特徴的な座席配置から、8番スクリーンが該当すると判明、席位置で失敗したと知らされる。7/8番は、傾斜がなく、後ろにしか出入り口がない少し古風な感じの作り。音響だけはどうなのかは気になっていたところだった。

当日。
仕事はスイスイと終わり、むしろびっくりする。19時スタートに余裕(とは言っても20分前)で間に合うスケジューリング。毎度のフォロワー氏が参集する、いつもの鑑賞回を印象付ける。当方は、別件の「薄い本」の配達とその他もろもろを済ませて、宿題を終わらせた雰囲気。
館内は、そんなわけで、きっちりと観客層を確定するまでには至らなかったのだが、特筆すべきは、20代/30代の鑑賞が相当数を占めていたということである。しかも、一つ間を空けて横に陣取った男性二人連れの一人はスクリーン未見だという。
"はいはい。あーきれいだなー、「映画には、まだこんな力があるんだと教えて」もらってください"
と感想を述べつつ、19時ぴったりにいきなり映画泥棒で幕を開ける。

たまの一斉再生会、個別で見ることもある「君の名は。」だけれど、どんなにレベルが低くても、スクリーンの魔力には敵わない。それを再認識させてもらった。あの彗星が落ちてくる開始一秒。このシーンが印象付けられなかったら、私もどぎつい回数見ることはなかっただろうと断定する。
映像だけではない。「天気の子」との比較で考えると、やはりこちらの設定なり脚本の方が一枚上なのだ。特にシーンの時間配分は秀逸すぎる。「前前前世」までが30分。ご神体から再訪問までがほぼ30分、クライマックスまでが30分程度、ラストシーンまでで10分弱。きれいに100分強で収まっている。「天気の子」は、当方も指摘したタオル問題や、曲に合わせてしまった増築した代々木会館の妙など、物理的におかしいところが多すぎる。
私自身は、「天気の子」は、「君の名は。」を越えれていないと思っていたのだが、再度スクリーンで見て、その想いを新たにする。曲に引っ張られた「天気の子」は新海氏がRADの野田氏に遠慮したかのように映るのだ。「君の名は。」では、RADは試されていたと思われる部分もあるし、大ヒットした「前前前世」と同等のヒットが「天気の子」からも現れていないところからでもうかがい知れる。

鑑賞自体は、タイトルまでのモノローグ部分だけで泣けてしまい、しかし、初めて見ているような新鮮な感覚にもとらわれながら見させてもらった。そして、図書館のつぶやき「俺は……何を?」の答え(一葉の「あんた今、夢を見とるな」で囲われたすべての出来事が夢の中なのだが、図書館でやっていることは現実として理解しているから、何をしにここまで来たのかがわからなくなってしまった/もっとも、それらしい考えは持っていたのだが、今回の鑑賞で確定した)が出たことも収穫となった。

「そこに、いるのか?」
あーもう、ここから実際ヤバかった。ご神体でのお互いを探すシーン、カタワレ時の邂逅、痴話げんか。すべてが愛おしいのだ。そして、大の大人、特に男性陣を慟哭の谷に突き落とす、ペンを落とす作劇からの瀧の魂の叫びは、泣くなという方がどうかしている。
そしてエンディング。「離したりしないよ 二度と離しはしないよ」この歌詞の破壊力。二人の間を歌った曲だから、私も感動できるのである。もちろん、「大丈夫」の強さも否定はしない。

エンドロールが終わり、やや前方からパラパラと拍手が。当方も少しだけ便乗して会場を出る。