映画鑑賞を趣味にできた2016年10月から、一定の監督諸氏には頭が上がらない。特にアニメーション映画界では、新海・片渕・湯浅の3氏、邦画では、月川翔/英勉/春本雄二郎氏あたりの作品は、もはや内容関係なくマスト鑑賞したいほどである。
その逆で、こいつがメガホン取ったら見ない/無視クラスの監督諸氏も大勢いる。あえて名前は書かないけれど、その大半がいわゆる政治思想を前面に押し出すタイプの監督である(作品にその色がなくても、本人の政治信条で見ないというパターンもある)。

監督がどうあれ、私は、基本「右にも左にも振っている作品」や、「プロパガンダ臭の強い作品」には与しないことにしている。最近作なら、「主戦場」だったり、現在公開中の「Fukushima50」あたりがそうである。
そして、自身のドキュメンタリーも大爆死した、望月とか言う東京新聞の記者が原案を書いた「新聞記者」という作品が今年の日本アカデミー賞を取ったことで、思想に毒されていることを隠さなくなったのか、と思わざるを得ない。

未見であるが、誰も見ていないに等しい興行収入しかなく、海外でも評価が高かった「パラサイト」とは比べ物にならない低評価だったことは今更言わなくても知っているはずである。ちなみにノミネートされたほかの作品は、「蜜蜂と遠雷」「翔んで埼玉」「キングダム」「閉鎖病棟」であり、今回のこの作品の受賞は、『ノミネート段階で独立系の秀作をことごとく締め出した日アカの体質への批判が、最終投票では新聞記者の追い風になった可能性もあります』(日本アカデミー賞歴代.comより抜粋)とあるのだが、それだけで決まるとも思えない。

興行成績や、キネマ旬報のファン投票と言った、市井の意見を全く無視したノミネート状況も気になるが、「この作品が取れる理由」をいくら探しても見つからないというのが実際で、とうとう政権批判/プロパガンダ臭の漂う作品が賞を獲るようにまでなってしまったのか、と思わざるを得ない。
当然のように、当方推薦の映画ブロガーである「物語る亀」さんは、烈火のごとく怒りながら評してます。

「流行語大賞」と似た構図になりつつある日本アカデミー。まだ前回の犯罪者一家の映画が獲ったのは興行の部分から納得なのだが、賞レース狙いでこうした政治色の強い映画ばかりが作られたら、窮屈で仕方ない。だいたいほぼすべての映画ファンはこの受賞を手放しで喜べないし納得しないと思う。