閉鎖的空間での濃厚接触。ライブハウスや院内感染と言った要件を満たしてしまっている施設で拡散が始まってしまっている新型コロナウィルス。
これに今現在で映画館が含まれていないのは奇跡でしかないのだが、逆になんで営業できるのか、と不審に感じる層もいなくはないはずだ。

そう思って、久しぶりにOS系/神戸ハーバーランドに出向く。
今日のお品書きは、2回目のSHIROBAKOと、ざわつきの大きいミッドサマー。すでに予約状況をサイトで確認すると、奇妙な売れ方にいぶかる。
いや、むしろこんな風に売れることがおかしい。一席跳びに空席が表示されているのだ。
→現状、前売りには対応しなくなってしまっている。つまり、「いつでも営業を止められる」状況になっているようだ。

つまり「隣り合わせさせない」ということなのだろうが、実に窮屈である。自分の好きな位置では見られず、当方がやっている観客動員数のカウントにも支障が出る。何しろ、「買えない」のと「売れている」とは同意義だからだ。
そして何より、OS系のポイントサービスが3/末で切り替わり、貯めているポイントは無効になるというのだ。ちょくちょくは使っていたポイントだが、ここで一気に本日鑑賞分をすべてポイントで鑑賞することに決める。

いざ劇場に。1番スクリーンは、確かにところどころに入っている感じで、サラッと一杯、に見えなくもない。結果的に50人足らずの鑑賞と相成った。

この作品の2回目は、そこまで感情が勃興することはないと高をくくっていたのだが、やはり、元社長と宮森が出会うシーンは、どうしても駄目である。前回みて、宮森の中での一番輝いていた武蔵野アニメーションが、あの「三女」の鑑賞回のそうだったらいいな的な空想シーンに集約されるからである。放送できないとされた作品の制作中止を断腸の思いで発表する社長のシーンが事前に仕込まれていることも大きいと思っている。
そこで語られる社長の思い。それが「とりあえず」やってみよう「前に進んでみよう」ということにつながるミュージカルシーンにもなっているのだ。
当初は、このミュージカル的な演出はもう一つだと思っていたし、今回観てもそれほど上がるわけではない。ただ、彼女が踏ん切りをつけられた場面転換とするならば、その使い方にはそれほど不具合を感じない。

正直「SIVA」については、出だしからはもとより、どうしてあのラストシーンが導出されたのか、見てみたいと思ったのは偽らざるところである。何しろヘドウイックと納豆の絡みのシーンが、結局原画段階までしかできておらず、「カット」させられる経緯も若干弱く感じたりもしていたからだ。でもその意味を考えた時に「お前らなあ。一本の映画でも、こうやって没シーンとかも普通にあるんだぜ」ということを言いたかったとも見て取れる。
本編を見てきた人たちにしてみると、総集編的にも見て取れるし、ほかの職種で頑張っている人たちにもスポットを当てている。なにより、無職状態の数人を表舞台に引き上げられるアニメーションの力というものを感じずにはいられない。
だが、何度でも書くが、わずか8カ月で120分程度の尺の劇場版一本はどだい無理な話であり、その部分を声高に言わなかったところはアニメ業界内部を描いている割にはスルーされているし、実際の作業風景で時計表示も普通に午後11時前、とかがあるのはいかがなものか、とは思う。最初にとっかかった会社が一切製作協力していないところにも疑問符が浮かぶし、そもそも「延期」すればいいだけなのにそれができなかった理由が知りたいところである。

粗を探せばいくらでも出てくる。特に序盤の矢継ぎ早の内輪ネタは、初見組にはかなりつらかったと思う。それでも、この作品が業界だけではなく、仕事全般にメッセージ性を持たせているところは、十分に買えるところである。3回目は難しいかもだが、複数回観られたことはよかったと思っている。