実に2か月近くの劇場閉鎖。正直このまま興行界は消えてなくなるんではないか、と思ってしまったくらい衝撃的な時間だった。

私的には、一つの"祭り"の意味合いのあった、ドリパスの、君縄+天気の子の一気見企画上映に参加できなかったことが悔やまれてならなかった。もちろん、料金は返金されたし、別の機会にまた参加すればいいだけのこと。しかし、今回のコロナ騒動が、図らずも「旧作を見てください」となった時に「君の名は。」と「天気の子」がそろい踏みするという事態が訪れたのだった。

当然狂喜乱舞すること甚だしい。『すみっコ』を終わらせて、その足で2作品とも購入に至る。

さて、49回目。
すでにレジェンドたる「キチ縄」氏は劇場鑑賞回数500回を高らかに宣言なさっていたわけだが、(記念ツイはこちら。尚、プロフ欄には503回って書かれている)当方も負けず劣らず、氏の1/10くらいは見ておかないと、というよくわからないライバル心のようなものが芽生えてきて、座ることになったわけだが。

私が言うまでもなく、この作品は、いろいろなものを私に教え、もたらしてくれた。
私に「解析」という本来持っている属性を解放させたし、それ以前に映画鑑賞という趣味までもたらせた。感情移入とは何か(演じてしまいたくなるほどに成りきる)、音楽と映像のマッチング、レビューを書くことで感情の吐き出しができる……
映画を見るだけでここまで"遊べる"とは思いもよらなかった。そして何といっても、泣ける、笑える。感情の発露が正しく行えるから、精神衛生上もすこぶるいい。
何度あげたかわからないが、
「映画にはまだ、こんな力があるんだと教えられました」
(監督本人の言葉)
「私は、いや、日本国民は、とんでもない作品に巡り合ってしまったのかもしれない」
(2016.12.16 鑑賞記の末文)
この感想しか思い浮かばないのだ。

2020年。
遂に私の中での「永世名誉一位」がこの作品になった。もちろん、それまで王座に君臨していた「火垂るの墓」の持つ写実的な描写、何といってもほぼ素人を起用し、それがちゃんと清太と節子が演じられている奇跡というものは今後起こりえないといっても過言ではない。
だが、すべての面に手当てし、それがお互いを相乗効果のようにさらなる高みに押し上げ、「演じたくなる」作品というものは、そうそうみられるものではない。
50回目が目前に迫る中、その記念をどのタイミングで見るべきか?今ちょっとした期待と不安が渦巻いている。