ここまで、実写系で「大傑作」に巡り合えていない2020年を過ごしてきた。もちろん「前建」は、そのスケールの大きさや、描こうとしていた真剣度などが大きくプラスに傾いたからであり、上半期邦画一位も当然の結果である。
ところが洋画まで範囲を広げると、どれもこれもピリッとしたものがない。直近作の「ランボー ラストブラッド」は、復讐の鬼と化した元グリーンベレー無双を見るだけに留まる30分が見たいだけの映画であり、「水曜日が消えた」も、中村倫也見たさの映画という風にしか評価できない。

そんな中にあって、「のぼる小寺さん」は、原作持ちながら、脚本が今や外れなしの異名をとる吉田玲子氏となれば、見ないでおくという選択肢はない。かくして、公開2日目に鑑賞と相成る。
映画通的な高年齢客はほぼおらず、ものの見事に工藤遥や伊藤健太郎目当ての観客が押し寄せた格好である。男性は全員ソロ、カップルは来ず、女性ペア1組を含めて女性やや優位の男女比。平均年齢は30代前半としたうえで、当方がまたも最高齢を記録した模様である。

ボルダリングしか見えていない小寺さん、何とはなしに卓球部に入った近藤、小寺さんの後を追うようにボルダリングしようとする四条、カメラに興味を持った田崎、学校にはほぼ来ないネイルアーチストになろうとする倉田。高校に入りたてで自分が何になりたいか見えていないこの5人の青春群像劇だったわけだが、時々で発生する、二人芝居のそのどれもが芳醇なのだ。
一番度肝を抜かれ、この作品の趨勢が決まったのは、四条がたたずむ屋上での近藤との会話だった。恋をしているとはいっても、それは「何かをしている」からであって、その本人が相手ではないのか?と問われる近藤が言葉を失うシーン。「好き」という思いをうまく表現できない、高一生らしい駆け引きが見られる。
倉田と小寺さんの絡みも秀逸だ。倉田ははみ出し者のようで、常識的な考え方の持ち主。「そこに岩があるから」をすんなり受け止められる女性であったことがあのシークエンスだけでわかるようになっている。
クライマックスの小寺さんの大会で2度まで落ちながら三度目で登りきるシーンは、倉田ではないが、「なんか泣けてくる」というセリフが出てくる前に泣けてしまったりする。二人での会話でもうならされたり、実際泣けたことも幾たびか。

得点は、見事、96点。久し振りの実写高得点(「前建」と同じ)となり、勢いだけで持っていった同作とは違う、しっかりとした書き込みや感情の吐露、丁寧な人物描写も手伝って、本作が邦画実写暫定一位となった。
ただひたすらストイックに、登るだけの小寺さんに引き寄せられ、何かを変えられていく4人。だが、誰しもが「夢の途中」なのだ。それも当然。高一で高みを知ってしまっては後々の成長は見込めない。だから、全員の成績が中途半端だったり、認められるレベルでもないことをラストに向けてわかりやすく述べている。
そして、近藤と小寺さんのツーショットで幕を閉じるわけだが、このラストシーンは、ここ最近の邦画の中でもとんでもない破壊力がある。PETのキリンレモンを分け合う二人。「か、間接キッス!!」を悟られまいとして、後ろ向きに飲む近藤。そしたら小寺さんは、椅子に体育座りをして、反対を向き、次の瞬間近藤に背中をもたれかかせるのだ!ここで終幕。近藤のことが好きになったのか、どうなのか? 答えはこれだけではわからない。だから二人のその後が気になって仕方なくなるのだ。
時々のくすぐりも意外性があったり(田崎の撮影をプラスに受け止めるところとか)、決して恋愛一辺倒ではない。だが、恋愛にしっかり向き合った層はもちろん、それができなかった方にもグサグサ刺さる作劇の妙は見ていただかないとわからない。吉田玲子氏、マジおそるべしである。