公開からこっち、口々に「いい」という評しか聞こえない、「アルプススタンドのはしの方」。
そんなことがあるかいな、と思いつつ、梅田ブルク7での2回を認める。ブルクでは、意外にも、シネ・リーブルで見るつもりだった「グランド・ジャーニー」も、「ステップ」もどちらもやっている。
そうと決まればこの3タイトル。グランド→ステップ→はしの方 とスケジューリングもできて、いざ劇場へ。
グランド・ジャーニーはちょっとしたあたりであった。
その勢いのままに、これまた評価の高い「ステップ」を見ることにする。山田孝之といえば、マルチな才能をほしいままにしている俳優であり、プロデューサーである。とくに「デイアンドナイト」にしっかり関われるほど、嗅覚というものはすぐれているとみていいと思う(WIKIにプロデュース実績が書かれてないのはいかがなものか?)。
色物俳優という見方が多い中で(ヨシヒコとか、全裸監督とか)、普通の山田孝之を見たい!と言う衝動もあって、一躍鑑賞したい作品のトップになっていた。
昼イチ回ということもあり、ブルクで久しぶりに見る△表記。無理もない。4番は満席95人。半数しか入れないとなったら、50人は無理。結局前の方に空席が目立った程度で40人弱の鑑賞となる。カップルがちょっと多め、ソロは、男性優位なれど女性もほどほど。平均年齢は40代後半とした。
観る前では、私自身は、山田孝之演じる武田の孤軍奮闘な子育て日記が全編にわたって展開されると思っていた。6章に渡って描くわけだが、生後1歳とちょっとで急死した妻にかわり子育てをする、一周忌からスタート。第一章は、そういうわけでいきなり2歳程度からスタートするのも納得と感じたのだが、そのラストの保育士の考え方に少しだけ違和感を感じてすっと醒めてしまった。
2章/3章は、小学校低学年の父子の葛藤が描かれる。小1の母の日の似顔絵のシークエンスは、娘・美紀の論破で私も感じ入らされた。その通りだし、彼女は嘘は言ってない。生身か写真かの違い、そして片親しかいない現実にさらされている彼女のセリフはすべてが重いのだ。
美紀の達観したものの考え方、あるいはより大人びて見える瞬間が、武田には危うく感じられたこともあっただろう。そして、横浜に居るおじいちゃんの存在は甘えられることにもつながっていく。
5章/6章と続く後半は、義父・村松との絡みが多くなる武田。とある料亭での会話や、病室でする武田の問いかけの場面は、説明に過ぎるきらいもあるが、それでも我々を納得させるに十分な内容の語りであった。
映画ブロガーのモンキーさんに言わせると、「マスクがびしょびしょになってしまった」そうなのだが……いや、私もウレタンマスクでしたが、正直ほぼ同じ状況になりましたぞw→「モンキー的映画のすすめ」記事はこちら。
特に私的には後半の方により感涙ポイントがあったように思う。生にもがく前半より、死に向かっていく後半でより多く泣けたのは、やはり当方がその方向に片足突っ込んでいるからかな、と思ったりもするが、それもこれも、名優・國村隼の演技によるところが大きい。
というわけで得点は辛めの95点とした。なぜか?「泣ける」とわかっている作品だから、お涙頂戴に持っていくいやらしさが少々鼻につくからである。
子育て世代にはあるあるがあるし、当然義父を含めて高齢世代を送らなければならない世代にも深く刺さること請け合い。私は、卒業式の当日、美紀が「母が最後に残した」赤ペンの線に肉付けをしている「幹」をなぞったところで嗚咽を禁じえなかった(今書きながら、木の「幹」と名前の「美紀」がダブルミーニングじゃん!!!)のだ。原作なしでこの作劇だったら、確実に100点なんだけど、ね。
山田孝之の常識的な芝居は、むしろ色を出さないことに執着したかのよう。おかげで、後妻に収まる広末の自己主張しない演技も殺さないし、子どもたちのはっちゃけた天真爛漫な姿がより引き立つ。円熟味を増してき始めた山田氏の今後が非常に気になった作品だった。
そんなことがあるかいな、と思いつつ、梅田ブルク7での2回を認める。ブルクでは、意外にも、シネ・リーブルで見るつもりだった「グランド・ジャーニー」も、「ステップ」もどちらもやっている。
そうと決まればこの3タイトル。グランド→ステップ→はしの方 とスケジューリングもできて、いざ劇場へ。
グランド・ジャーニーはちょっとしたあたりであった。
その勢いのままに、これまた評価の高い「ステップ」を見ることにする。山田孝之といえば、マルチな才能をほしいままにしている俳優であり、プロデューサーである。とくに「デイアンドナイト」にしっかり関われるほど、嗅覚というものはすぐれているとみていいと思う(WIKIにプロデュース実績が書かれてないのはいかがなものか?)。
色物俳優という見方が多い中で(ヨシヒコとか、全裸監督とか)、普通の山田孝之を見たい!と言う衝動もあって、一躍鑑賞したい作品のトップになっていた。
昼イチ回ということもあり、ブルクで久しぶりに見る△表記。無理もない。4番は満席95人。半数しか入れないとなったら、50人は無理。結局前の方に空席が目立った程度で40人弱の鑑賞となる。カップルがちょっと多め、ソロは、男性優位なれど女性もほどほど。平均年齢は40代後半とした。
観る前では、私自身は、山田孝之演じる武田の孤軍奮闘な子育て日記が全編にわたって展開されると思っていた。6章に渡って描くわけだが、生後1歳とちょっとで急死した妻にかわり子育てをする、一周忌からスタート。第一章は、そういうわけでいきなり2歳程度からスタートするのも納得と感じたのだが、そのラストの保育士の考え方に少しだけ違和感を感じてすっと醒めてしまった。
2章/3章は、小学校低学年の父子の葛藤が描かれる。小1の母の日の似顔絵のシークエンスは、娘・美紀の論破で私も感じ入らされた。その通りだし、彼女は嘘は言ってない。生身か写真かの違い、そして片親しかいない現実にさらされている彼女のセリフはすべてが重いのだ。
美紀の達観したものの考え方、あるいはより大人びて見える瞬間が、武田には危うく感じられたこともあっただろう。そして、横浜に居るおじいちゃんの存在は甘えられることにもつながっていく。
5章/6章と続く後半は、義父・村松との絡みが多くなる武田。とある料亭での会話や、病室でする武田の問いかけの場面は、説明に過ぎるきらいもあるが、それでも我々を納得させるに十分な内容の語りであった。
映画ブロガーのモンキーさんに言わせると、「マスクがびしょびしょになってしまった」そうなのだが……いや、私もウレタンマスクでしたが、正直ほぼ同じ状況になりましたぞw→「モンキー的映画のすすめ」記事はこちら。
特に私的には後半の方により感涙ポイントがあったように思う。生にもがく前半より、死に向かっていく後半でより多く泣けたのは、やはり当方がその方向に片足突っ込んでいるからかな、と思ったりもするが、それもこれも、名優・國村隼の演技によるところが大きい。
というわけで得点は辛めの95点とした。なぜか?「泣ける」とわかっている作品だから、お涙頂戴に持っていくいやらしさが少々鼻につくからである。
子育て世代にはあるあるがあるし、当然義父を含めて高齢世代を送らなければならない世代にも深く刺さること請け合い。私は、卒業式の当日、美紀が「母が最後に残した」赤ペンの線に肉付けをしている「幹」をなぞったところで嗚咽を禁じえなかった(今書きながら、木の「幹」と名前の「美紀」がダブルミーニングじゃん!!!)のだ。原作なしでこの作劇だったら、確実に100点なんだけど、ね。
山田孝之の常識的な芝居は、むしろ色を出さないことに執着したかのよう。おかげで、後妻に収まる広末の自己主張しない演技も殺さないし、子どもたちのはっちゃけた天真爛漫な姿がより引き立つ。円熟味を増してき始めた山田氏の今後が非常に気になった作品だった。