もはや、この作品は、最初から点数をかきたい。
94点だ。

だが、ソンジョソコラの94点とはわけが違う。その減点の対象のほとんどが、「聖地で撮れなかった」という部分だからだ。
「アルプススタンドのはしの方」。もし本当に、甲子園球場で撮っていたとしたら、これはもう、満点に限りなく近い内容だ。あの夏の日の一日、弱小校にはどだい到達することすら叶わない大舞台。そこで撮影できてはじめてこの作品は臨場感も含めて「ああ、甲子園なんだぁ」を実感できる。
ところが実際にロケ地に使ったのは、平塚市の球場(ロケ地としてエンドロールでも発表あり/場所はここ)。甲子園球場の臨場感をあの程度のエキストラで再現するのは難しく、ましてや、地方球場で撮ったというのがバレバレ。「アルプス」とは謳っているものの、「地方大会の決勝戦か?」と誤認してしまったほどだ。

だが、それ以外には減点をする部分が一切認められないのだ。
もともとは、演劇が原案。演劇部の女子部員で、野球のルールもよく知らない二人と、元野球部だったこともあり球場に行きたくなかった男子生徒、そして、秀才でこれまた野球の応援には及び腰なメガネっ娘。この4人が、甲子園のアルプススタンドで、人影の薄い端っこで応援するで無し、ただ試合状況をあーでもない、こーでもないというところから物語は始まる。

基本、二人での会話がストーリーを紡いでいく。演劇部の二人、トリガーになる茶道部の熱血応援教師、野球部員だった男子生徒が絡んでいき、その過程で優等生メガネっ娘が本心を隠して試合を見ている。「しょうがない」としか言わなかったメインの女子が、負い目を感じてついつい先手を取ってしまう演劇部の女子が、練習することに成果を見出せず中途半端で投げ出した男子生徒が、実は好きな彼がエースを張っているから見に来たことを知られたくない秀才女子が、試合が展開していくごとに会話によって一枚また一枚と本性があらわになっていき、8回裏の自校の攻撃の際に声を出して応援を始めることで事態が少し好転するあたりの流れるような作劇にうなってしまった。
人生は「しょうがなくなんかない」し、「諦める」ことでもない。目の前でやっている試合に真摯に向き合うことを自発的に始めることができて彼らに思いが伝わるのだ、と監督氏は言いたかったのだろう、と思う。8回、試合が動き出すタイミングで、この4人が化学変化を起こしていくのは原作踏襲だと思うが、だとすれば、この舞台劇の脚本そのものも見てみたいところだ(尚、パンフには記載ありとのこと。尚1200円www)。

高3の、彼らの心の中の、清いけれどどろどろしたものが一瞬にして昇華する瞬間の爽快感はここ最近作では味わったことのない、いわゆる「鈍器で頭を殴られたような」感覚だった。舞台劇で会話ばっかりなのにこんな作劇になるとは。
私自身、邦画でここまでの衝撃を受けたのは、「カメ止め」以来だ。あの作品が、ホラーを標榜しながら、安物臭漂う映像に終わったのだが、その裏を知るとここまでのものを作るのでもこれだけの入念な準備と人手がかかっていることを知らされる衝撃だった。だがこの作品は違う。知らず知らずのうちに赤の他人でなくなっていくのだ。あのスタンドにいる人たちすべてが。そして試合展開は明らかに不利であるのに応援したくなってしまうのだ……
あ、とここで気が付く。「のぼる小寺さん」と同様ではないか!!何度も落ちながらそれでも壁に向かう。「ガンバっ!」は確かに彼女にしてみてもグラウンドに居る選手たちにしても意味のないものかもしれない。だが、それが青春なのだ。「しょうがない」なんて諦観している場合ではないのだ。

高校生諸君は必見の映画として、本作を上げておきたい。