「ミッドウェイ」は図らずも、公開初日に見たわけだが、どうあっても初日は外せない作品というものはある。
それが待ちに待った「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の劇場版である。
当初のスケジュールは、今年の1月初旬(1/10だったかな?)だった。ところが、一人の殺人鬼のせいですべての計画が狂ってしまった。
満身創痍の中で仕上げはしたものの、今度はコロナウィルスによる公開延期。2回もリスケしなくてはならなかった作品はそんなにないのだが、この作品だけは特別である。

あの事件を起こした、彼が死で償ったとしても、失われた才能はどうすることもできないし、私が代わってあげることもできない。私のような一般消費者ができることは、買い支え……一回でも多く作品に触れ、正しく広報し、良さを伝えることしかない。
しかし、私と同じ考えの人が多数を占めたのだろうか、世の中の京アニファン・アニオタの行動は素早かった。公開初日の売れ行きが恐ろしい状況になっているからだった。
9/18の「興行成績を見守りたい!」サイトでの売り上げ状況。席設定は、いわゆるソーシャルディスタンスを用いた、販売可能席でカウント
同日公開の、アニメ版の「思い、思われ、ふり、ふられ」が完全にかすんでしまっているのみならず、時間遡行が主題の「テネット」をも凌駕。実際、当方が行ったOSシネマズ神戸ハーバーランドでは、そこそこの大箱で満席を連発しているのだ。

食事も済ませて万全の体制をとる。もちろんパンフレットもゲット。
17:10の回が終わり、どっと人が排出される。だが、明らかに「もう一回」=私が見ようとしているレイト回を鑑賞 的な女性ファンが散見されるのだ。ガチ勢がここでも跋扈しているわけだが、根強いファンがいることをうかがわせた。
19:50。用意ができたのか、20分前開場。もちろんほぼ一番乗りを果たす。最大の8番、当然満員なのだが、大多数がソロの男性・30代。カップルの中には20代も散見されるし、50代・60代のオッサン層も少なからず来訪。男女比は、3:1ながら、ガチ勢と思しき女性陣は結構いる。平均は30代後半。

テレビ編の続きを持ってくる設定からしてうならせる。10話で語られたアン(別パートでストーリーテラーになるディジーから見たおばあちゃん)に対して50年分のバースデーメッセージをとどけたひいおばあちゃん、そしてそれを書いたヴァイオレット、という具合に彼女を紹介する。もちろん、それだけ時代が進んでいて、電話も黒電話が普及している設定になっている。そしてヴァイオレットが、自身のドールとしての役目を全うする過程で、遂に「あのお方」との再会を果たす、というのが主題として描かれている。
実は、予告をまじまじみていると、「ギルベルトは生きている」と気が付くので、「じゃあ、二人はどうなっていくのか」にすぐに焦点が移る。だが、そこに至るまでの脇筋が、実に半端ないのだ。
今作の依頼主は余命いくばくもないユリスという少年。いじらしいくらい反抗的なのだが、それは優しさの裏返しだった。それを手紙にする、という行為をヴァイオレットに依頼するのだ。
手紙を書き終え(それで一応依頼は完了)、「指切り」をするところのセリフの応酬は、恐ろしいなんてものではない。ここは見ていただいて、「ウワ、こんな風に脚本って書くんだな」を実感してもらいたい。しかも、それが巨大な伏線になっているなんて、思います?
そしてついに!ギルベルトの筆跡らしきものが差出人不明の郵便物から発見される。かなりの確信を持って島を訪れるホッジンズとヴァイオレット。片目と片腕を失った姿ながら、それでも生きながらえていたギルベルトだったが、この姿を見られたくない、とヴァイオレットに逢うことを拒絶する。
ヴァイオレットにかたくなに会わない暖炉の前の少佐、土砂降りでも頑として引かないずぶ濡れのヴァイオレット。自分だけが濡れていないこのシーンの意味というものをひしひしと感じ取る。
二人の邂逅のシーンは、ヴァイオレットの言葉にならない嗚咽が観客の心をわしづかみにする。なかなか泣きの演技は難しい(おいおいと、声を上げて泣くわけではなく、ただ滂沱の涙を流している状態での演技)のだが、このシーンだけで十分鑑賞料金の元は取れる。もちろん、この演技だけで存分に泣ける。
不必要なラッシュシーンとかを無音(セリフなし)で表現する手法も健在。表情を映さず足元だったり、口元だけだったり、と、「映像に語らせる」京都アニメーションの真骨頂がここでも見られる。

得点は99点。もちろん本年度最高得点であり、本年初鑑賞全タイトル暫定一位を奪取した。
結局のところ、この作品での未来パート(少女がヴァイオレットの足跡を追う)と現代パート(ギルベルトとの再会と少年)、そして過去(ヴァイオレットが軍人だったころ)を行き来する重層的な脚本がすべてだと思っている。そして、大団円を迎えるにあたって、二人の感情の吐き出しをしておくべきだが、どうするのが一番いいのか、というところがクライマックスに述べられている。
ついでながら、本まで出した物語る亀さんの本作の考察記事は、うならされることばかりである。謹んで引用させていただく。

ギルベルトと逢えて、結ばれて大団円、は、正直安易だ、という意見もあるだろう。私自身も、ギルベルトは死んでいる/新たな道を模索するヴァイオレットが、死を乗り越える作劇を期待していたところは偽らざるところである。
それでも、彼女が人として生きる希望をくれた人の元に帰っていくことしか彼女の”しあわせ”はつかめない、と考えることもできる。プロットとしては原作重視であるだろうから、この「死に別れる」設定自体がなかったと考える方が正しかろう。
いやあ、予想はしていたが、この涙腺の破壊っぷりは恐ろしかった。もちろんリピート案件である。