何度も何度も見ていると、この映画では恐ろしいばかりの映像表現で迫る箇所があまりに多くて、全てを描き出しきれない。
中でも、クラウディアがギルベルトがいるであろう部屋をノックし、「開いてるよ」と声をかけた瞬間、背景が90度傾き、それが正常に戻るような演出をした。この一瞬だけとっても「ウワっっっ」と思わずにはいられない。

だが、こんなわかりやすい演出ばかりではない。
ヴァイオレットが、市長と会談する場面。海をバックに自己紹介、並びに「海の賛歌」に対する意見を述べる際には、中心に位置しているのに、次の瞬間、ヴァイオレットは右に一気によって、背景の海が主張するシーンになるのだ。
まだある。ギルベルトが代筆を頼まれる際には、今度は懇願している子どもは左隅に追いやられ、画面の大半は、田舎道だけが映されるシーンがある。これもスクリーンの大半が「余白」で埋められるシーンだ。

実は、この映像の意味がつかみかねている。
「余白」を演出することで何を表現しようとしているのかがわからないのだ。
「わからない」で終わらせるつもりはないが、今のところは私の知能では解明不可能である。