テレビ視聴を記事にしようと思い立ったのって、いつぶりだろうか?
しかし、10時40分ごろから、止まらない涙腺をどうしようもなくなり、ティッシュの山が築かれるしかない内容には、参りました、の一言しか見当たらない。
10話に負けず劣らずの7話、ギルベルトの死を墓で確認して、放心状態のヴァイオレット。どこにも抜けがない、というか、こういう具合に"映像で見せる”シーンが頻出すれば、傑作の誉れが高くても当然といえるかもしれない。
この作品に限らず、京都アニメーション作品は、表情を見せず、ちょっとした感情の勃興を手や足の仕草、微妙な動きで表現することを得意としている。それが我々の中に演者の想いを想起させ、どんな顔をしているんだろう、という想像まで駆り立てる。
10話のワンシーンなんかそうだ。家から飛び出し、相当な距離走って走り疲れて泣いているアンに追いつくヴァイオレット。しゃがんでいるアン、顔は入っていないヴァイオレット。そこでセリフが言われるのだ。
だから、感情を爆発させたアンにやりたいようにさせるシーンは、それまでの"兵器"としてのヴァイオレットからの脱皮と、感情を受け止めるだけの成長がなされていることをも表現している。勝手な憶測と笑うかもしれないが、年端もいかないアンのわがままに対応できるようになったヴァイオレットが、自動手記人形として独り立ちしたと理解できるシーンだ。
実は、CH郵便社に帰ってから一気に感情を吐き出したヴァイオレットの演技の方が至高とさえ思える。30分アニメでよもや、ラストにもう一段泣きを畳みかけてくるなんて、誰が想像しえただろうか?兵器・軍人としての立ち居振る舞いが完全に払しょくし、一人の心ある女性に大きく変化したシーンとして語り継がれることだろう。
ダイジェストにまとめる/他局の版権(制作者委員会の中にはABCアニメーション・関西の朝日放送・キー局であるテレ朝系での放映)/深夜時間帯ワンクールアニメーションのゴールデン進出と、エポックメーキングな放送となったこの作品。
「神10話って、なに?」となった視聴者がどこまで食いつくのか、次週の「外伝」地上波初放送も大いに期待できる。
しかし、10時40分ごろから、止まらない涙腺をどうしようもなくなり、ティッシュの山が築かれるしかない内容には、参りました、の一言しか見当たらない。
10話に負けず劣らずの7話、ギルベルトの死を墓で確認して、放心状態のヴァイオレット。どこにも抜けがない、というか、こういう具合に"映像で見せる”シーンが頻出すれば、傑作の誉れが高くても当然といえるかもしれない。
この作品に限らず、京都アニメーション作品は、表情を見せず、ちょっとした感情の勃興を手や足の仕草、微妙な動きで表現することを得意としている。それが我々の中に演者の想いを想起させ、どんな顔をしているんだろう、という想像まで駆り立てる。
10話のワンシーンなんかそうだ。家から飛び出し、相当な距離走って走り疲れて泣いているアンに追いつくヴァイオレット。しゃがんでいるアン、顔は入っていないヴァイオレット。そこでセリフが言われるのだ。
だから、感情を爆発させたアンにやりたいようにさせるシーンは、それまでの"兵器"としてのヴァイオレットからの脱皮と、感情を受け止めるだけの成長がなされていることをも表現している。勝手な憶測と笑うかもしれないが、年端もいかないアンのわがままに対応できるようになったヴァイオレットが、自動手記人形として独り立ちしたと理解できるシーンだ。
実は、CH郵便社に帰ってから一気に感情を吐き出したヴァイオレットの演技の方が至高とさえ思える。30分アニメでよもや、ラストにもう一段泣きを畳みかけてくるなんて、誰が想像しえただろうか?兵器・軍人としての立ち居振る舞いが完全に払しょくし、一人の心ある女性に大きく変化したシーンとして語り継がれることだろう。
ダイジェストにまとめる/他局の版権(制作者委員会の中にはABCアニメーション・関西の朝日放送・キー局であるテレ朝系での放映)/深夜時間帯ワンクールアニメーションのゴールデン進出と、エポックメーキングな放送となったこの作品。
「神10話って、なに?」となった視聴者がどこまで食いつくのか、次週の「外伝」地上波初放送も大いに期待できる。