多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

ひとりごと

訃報に触れる6月

人の生き死には止められないし、どうすることもできない。強いて言えば、報じられるまでは知らずに済み、全てが終わった後で知らされて感慨にふける、というようなパターンが最近増えているとも感じている(いわゆるコロナ除けという大義名分で、近親者のみで式を済ませ、49日前後に公表する、といったやり方)。
そう言った中で立て続けに二人の死去のニュースに触れて当方のメンタルもがた落ちである。
一人は、関西芸人のレジェンドでもあった上岡龍太郎氏だ。何しろ彼の生きざまの潔さがあまりに鮮烈過ぎる。
彼がいわゆる司会者として頭角を現したのは80年代後半あたり。様々な名番組が思い浮かぶが、関西人にとって金曜日のお楽しみと言ってもいい「探偵!ナイトスクープ」での局長役の見事なはまりっぷりが総括しているといっていい。ダメな取材をした探偵に容赦ない罵倒を浴びせる。そうかと思ったら、めったなことでは泣かない彼も感動を隠しきれない放送回も一度や2度ではない(泣き上戸の2代目・西田敏行局長時代は感動系がやたら多く感じたものだが)。的確な分析と、視聴者にも「なるほど」と思わせる解説。彼の魅力は、第三者的に俯瞰して物事を見る能力の高さにあったと思っている。
なんといっても、20世紀の笑いしかできないと、20世紀中に芸能界から引退、直後にはマラソンだのゴルフだのに勤しむ姿が週刊誌などで伝えられていたが、彼が公の場に姿を現したのは、名優・横山ノック氏の葬儀の時までない(手記や独占インタビュー的な仕事も受けていなかったようだ)。そこまで徹底した秘匿生活ができるだけの蓄えもあったからこそだろう。彼のような人生設計ができる芸能人はほぼ死滅してしまったのではないかと思う。名実ともに昭和の大物だった彼の死でまた一つ昭和が遠ざかったようだ。

彼の死は全日本的に損失と受け取れるものだが、全私的にとてつもない喪失感を植え付ける悲報が飛び込んできたのは、6月1日のことだ。
→そもそも大きく広報されることのない方であり、ひっそり式を挙行したいという意図もあってか、すでにお知らせツイートは削除されている。
彼の名前は、石川学氏。よくある名前の御仁ではあるのだが、2017年9月にとある一本の映画に関わった脚本家であり映画関係者でもあった。
→彼が脚本に関わった作品がこちら
実のところを言うと、この映画のバックボーンを支えている「キミコエプロジェクト」によって結成された声優ユニット「Now On Air」は、活動休止を経て解散している(一人は廃業、一人は病死)。彼女たちをトリウッドで見ることはなかったけれど、石川さんは、キャラクターデザインの青木俊直さんと連れ立って、復活上映の度に鑑賞している姿を何度も目撃している。→当方がトリウッドにまで遠征したのは2018年が初めて。そしてたまたまではあるが、彼と青木氏を初めて認めた回のブログもあった。→こちら。奇しくもトリウッドでのラスト上映回に当方も参集していたもの

それなりに認知度もあったはずの私だが(そりゃ逢う度スーツ姿のオッサンだから)、一度オフ会的な会合でもそれなりに良いご意見を承った記憶もある。こんな脚本がかける人が、わずか50代でなくなるなんて……(ちなみに当方より年下だったとは、これまたびっくり)
どんな形であれ、彼が健筆をふるった作品を見たかっただけに、もはやそれがかなわないことに愕然としたのだった。

冒頭にも書いたが、人の生き死には突然やってくるし、避けられない。私だって、何かが悪さをしてこのままぽっくり、ということだってないとは言えない。もちろん他者起因によるものだってあり得る話だ。それでも、そのエンドマークを常に想起しながら人は生きているわけではない。"気が付いたら死んでいた"くらいのあっけなさこそが、人生における死生観と割り切った方がいいのではないか、と思ったりしている。

「中の人」がそれなりに書いた御本はどうだったのか?コミケ100参加後記

正直言って、私は、主宰である、スーパーゆかり氏のバイタリティとその行動力には一目置いている。
当初彼と知り合ったのは「異世界Bar」という多趣味な人々の異次元交流会的な催しであった。
その時は、「なかなか面白い人が現れたな」くらいの感想だったのだが、プレゼンをしている姿に少しだけ感じ入るところがあった。
そこから、独演会的なイベントに私も参加し情報の裏打ちをしたりする中で、薄い本を作りたい、という彼からの申し出に一も二もなく同意して、気が付けば今回の新作含めて3タイトルも作ってしまっている。

私個人的な感想を言えば、オワコンで、屋号の存続すら難しくなりつつあるダイエーの薄い本は、せいぜいノスタルジーに駆られた、オッサン世代にしか売れないと感じていた。ところが、今回、コミケで売ってみたら、意外なことに30代や40代もそれなりに興味を示し、さらに翌日の出展者から熱いエールを戴いたことで、今後の製作にも意欲をかき立てられた。

一時代を築いたダイエーの過去の軌跡に踏み込んだ歴史本が、3タイトルの中で一番売れたことからもわかるように、この企業については現状より、過去の武勇伝や中内イズムというものに興味を持っている人が大勢いるのか、と思ったりもしている。

薄い本については、今後も製作を止める予定はなく、それこそ、全国に出店したということも含めて、北海道から沖縄まで、行かなくてはならない店舗や跡地はまだまだたくさんある。旧FC店まで含めたら500店舗程度に膨れ上がるわけだが、今後線引き等も含めて掲載店舗を精査していきたいところだ。

これでも「9条堅持」でいる人たちの気が知れない

何か重要な行事の前に、突如起こるとんでもない凶行。3年前の7月に起こった、放火犯による大量殺戮は、「逆恨み」がもたらした無差別テロであり、防ぎようがなかった(建物の構造がぁ、とか、防火体制がぁ、とか言っていた輩もいたが、失火であるならまだしも、放火にそういった理論を持ちだすことがむしろナンセンスだ)。
今回の安倍元首相の襲撃事件は、仮に容疑者が殺意を募らせていたにしても、抑止力であるところの警護態勢がしっかりしていれば、確実に防げた事案であることは間違いがない。何しろ、容疑者は「機会をうかがっていた」のだから、このときを逃すまい、と思ったのは当然である(岡山にも行っていたことが何よりの証拠。ただ、今回の奈良行きは急きょ決まったものであり、それなりに情報をゲットしていたんだろう)。
360度、開けた場所で演説を始めさせ、要人警護の歴史上、最低にして最悪の結果となった今回の事案。そこにあるのは、「平和ボケ」「襲ってなんか来るはずない」「俺たちがいるから」という間違った認識がすべてであり、それは、安倍氏を平和を享受し、油断している日本、容疑者を侵攻の機会を狙う諸外国、という風な図式に落とし込むと、よくわかる話である。

憲法改正すると「戦争ができる国になる」と妄言を吐く層が一定数居る。しかし、戦争は一国ではできないし、今の日本がどこかの外国相手に宣戦布告すれば、シーレーンを封鎖され、たちまち食糧・エネルギーの入手ができなくなり、ウクライナほどの粘り腰で戦線を維持することはできなくなる。このことだけを取っても、日本が戦争を「始める」ことは不可能だ。
では、他国から攻められたらどうだろうか?9条教の信者は、この点については必ずと言っていいほど口をつぐむ。それはそうだ。日本が国柄を維持できているのは、アメリカに作ってもらった憲法(安保反対なら、このことをもってしても矛盾が生じるんだけど、60年代の時にこれをしなかったことが護憲派の育成につながってしまっている)があるからだ。占領時に草案が作られ、以来70数年。日本が当事国になる可能性が増している中でも、そしていくら戦争をしたくないと思っても、攻められたらいやでも戦端を開かねばならない。それが護憲派にはわかっていない。
「酒でも酌み交わして」「9条の理念を世界に」。世迷いごとは、左翼、いや、パヨクの伝統芸だが、防御防衛はやりすぎてもしすぎることはない、と今回の襲撃事件でよくわかったと思う。この一大事を改憲派は言うに及ばず、護憲派も考えを改める一つの試金石にしてもらいたいものだ。
月別アーカイブ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ