多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

アニメーション

2020.9.20 「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」 2回目鑑賞記

公開初日。ファンの渇望感も含めて、見事動員一位を獲得した「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の劇場版。完結編=大団円、と思っていた層はかなりいたはずだが、ここまで我々に「あいしてる」を植え付けさせた作品もあったものではない。

しかし、私はすべての前提条件がこの着地であることに驚愕としている。そして、より多くの人が彼女の実年齢に触れて驚愕するに違いない。彼女がドールを引退したのは……

「18歳」であることに。

そう。ストーリーのプロットとしては、先の大戦から4年程度のお話だったのだ。ヴァイオレット自体がかなり高年齢(20代前半)なキャラ造成になっていることが要因なのだが、この「18歳」のありのままをアニメ版でもどのシーンでもひけらかすことはなかった。
唯一それが感じられるのが、外伝の映画である。同年代のイザベラの元に家庭教師として赴任するヴァイオレットに、3カ月という同じ屋根の下で生活するということを通じて初めての「ともだち」を得るのだ。ただ、家庭教師、という響きが彼女を大人に誤認させる。その術中にはまってしまったのだった。もちろん外伝の方がこの劇場版より前の話であるべきなので、郵便社を円満退社したのが18歳とするなら、イザベラとほぼ同年代ということは理解できる。
ところがテイラー編が私を惑わせる。ストーリー上何年経ったとかは言われないのだが、「イザベラの元に家庭教師に行ってからテイラーに逢うまで」最大4年しかないのだ。
WIKIの記述では、「イザベラ(エイミー)に家庭教師に行ってから3年後」となっているので、何とかギリギリつじつまは合う。そうなると、テレビ本編は、凄く気ぜわしい時間経過になっているものと思われる。
映画の方は、どこをどう切り取っても泣ける演出だらけである。言葉にならない最後の邂逅のシーンは、ここ10数年のアニメーションのクライマックスシーンの中でも突出した出来になっている(瀧三は越えてませんけどねw)。
かくして2回目を終える。満席とまでは至らなかったが、カップル/ペアが大挙して押し寄せた。この部分でも初日の入れ込みとは全く様相が異なっている。これからの腰の強い興行を期待したい。

2020.9.20 やっぱりアニメ適原作 「思い、思われ、ふり、ふられ」アニメ版鑑賞記

日曜日=映画鑑賞、という流れはここ最近止まっていない。
それは3連休(土曜含めれば4連休)の初日といえる日曜日であっても例外ではない。

実は、実写とアニメーションが競作する映画、というのは、普通ならそれ相応に間隔をあけてやるものなのだが、「思い、思われ、ふり、ふられ」に関しては実写8月、アニメ9月とちょうど一か月ずれにして公開に踏み切った。
「あー、実写もよかったねえ」「いや、アニメこそ至高」となるようなレビュー業界の意見の散見ぶりを見たかったのか、それとも「一気だし」で顧客の囲い込みをしようと思ったか?
しかし、実写はほどほどの動員をなし得たものの、アニメ版は、東宝製作であるにもかかわらず、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の公開と見事にバッティング。この4連休で書き入れないといけない流れなのにまったく振るわない動員・スタートダッシュとなった(ドラえもんにまで負けているので、ほぼ爆死レベル)。

「あー、それならつまらないのかな」
とはならなくなったのが今の私だ。予告から漂う、高一の男女の織りなす4人の告白合戦。これがストレートに表現されているのではないか、というのが見立てであった。
勇躍、OSシネマズ神戸ハーバーランドに朝一で突撃。館内は、他の動員かかっている作品を尻目に公開末期か、と思えるくらいの入れ込み。女性優位になることは決まったも同然だったが、意外なことに家族連れが入ってきたのだ。ぎりぎり10名越え、当方が最高齢、平均年齢は30代前半と推定する。

原作未見、実写が初めて、という映像化に当たって、この作品のオープニングで「あ、こっちの方が好みかも」となった。まず、主人公というか、目線は由奈なのだ。彼女の人となりが実写版より多く語られる。ここが実写版との違いである。
ここが違うとどうなるのか、というと、義理ながら兄弟・家族メインで考えている朱里より、恋愛事始め的なことだけに傾注する、キュンキュンする、と言ったほんわかした由奈ばかりが目立つのだ。
もちろん、原作に内包されているであろうイベントごとはほどほどに網羅されている。「ノリ」でキスするシーンとか、高架下での告白とか。だけれども最も特筆すべきは、由奈と朱里の関係性がものすごく言われているところにある。
この二人が軸になって、男性陣が添え物/脇に徹したことであちこち飛ばなくなっていく。ここも実写との大きな違いだ。実写が「家族との結びつき」にとかく言及しているのに対して、本作は、「家族より友人関係」と、比重を明らかに変えていることだ。その結果、全員のキャラの方向性が見ていくうちに定まっていく。特に由奈の成長度合いは、この作品でも感じられる。
ラストシーンを、公園で見つめる4人で〆た実写の演出より、何気ない登校風景で〆たアニメ版の方に納得感が大きくでる。実写で謳われていた引っ越しとかの記述も取り入れなかった(オリジナルではないみたいだけど)のもストーリーを薄めなかった。

得点は、「やはり予告を信じて良かった」の想いもあり、94点と高評価である。
実写では、兄弟として北村拓海・浜辺美波という「キミスイ」コンビを使った。もちろん、ドラマとしての彼らの起用は成功している。だが、快活であるべき北村演じる理央がどうにも暗く感じたのだ。また、同じ男性陣で、和臣の家族の無理解(あれだけそろえた映像ソフトを全部捨てるなんて、信じられない)も特筆すべき点だ。
家族関係を描きすぎて(彼らベテランクラスにもギャラは出ているからかな?)4人の人物描写が薄く感じた実写より、4人にできるだけ寄り添ったアニメーション版の方が、確実に原作から漂う風味というものを感じられる。なにより、漫画・アニメチックな表現が使えるからそこだけでも山谷が作れる。アニメ適な原作であり、はまるのは間違いなくアニメ版だと理解できるはずである。
描き方ひとつで良作にも凡作にもなる。アニメ向きの原作は、どうしても実写では描き切れないところが出てくるのは仕方ない、と割り切るべきなんだろう。エンドロールで、実写に登場した4人がクレジットされていたのだがガヤで出ていたのだろうか?

2020.9.18 遂に本年暫定一位 「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」鑑賞記

「ミッドウェイ」は図らずも、公開初日に見たわけだが、どうあっても初日は外せない作品というものはある。
それが待ちに待った「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の劇場版である。
当初のスケジュールは、今年の1月初旬(1/10だったかな?)だった。ところが、一人の殺人鬼のせいですべての計画が狂ってしまった。
満身創痍の中で仕上げはしたものの、今度はコロナウィルスによる公開延期。2回もリスケしなくてはならなかった作品はそんなにないのだが、この作品だけは特別である。

あの事件を起こした、彼が死で償ったとしても、失われた才能はどうすることもできないし、私が代わってあげることもできない。私のような一般消費者ができることは、買い支え……一回でも多く作品に触れ、正しく広報し、良さを伝えることしかない。
しかし、私と同じ考えの人が多数を占めたのだろうか、世の中の京アニファン・アニオタの行動は素早かった。公開初日の売れ行きが恐ろしい状況になっているからだった。
9/18の「興行成績を見守りたい!」サイトでの売り上げ状況。席設定は、いわゆるソーシャルディスタンスを用いた、販売可能席でカウント
同日公開の、アニメ版の「思い、思われ、ふり、ふられ」が完全にかすんでしまっているのみならず、時間遡行が主題の「テネット」をも凌駕。実際、当方が行ったOSシネマズ神戸ハーバーランドでは、そこそこの大箱で満席を連発しているのだ。

食事も済ませて万全の体制をとる。もちろんパンフレットもゲット。
17:10の回が終わり、どっと人が排出される。だが、明らかに「もう一回」=私が見ようとしているレイト回を鑑賞 的な女性ファンが散見されるのだ。ガチ勢がここでも跋扈しているわけだが、根強いファンがいることをうかがわせた。
19:50。用意ができたのか、20分前開場。もちろんほぼ一番乗りを果たす。最大の8番、当然満員なのだが、大多数がソロの男性・30代。カップルの中には20代も散見されるし、50代・60代のオッサン層も少なからず来訪。男女比は、3:1ながら、ガチ勢と思しき女性陣は結構いる。平均は30代後半。

テレビ編の続きを持ってくる設定からしてうならせる。10話で語られたアン(別パートでストーリーテラーになるディジーから見たおばあちゃん)に対して50年分のバースデーメッセージをとどけたひいおばあちゃん、そしてそれを書いたヴァイオレット、という具合に彼女を紹介する。もちろん、それだけ時代が進んでいて、電話も黒電話が普及している設定になっている。そしてヴァイオレットが、自身のドールとしての役目を全うする過程で、遂に「あのお方」との再会を果たす、というのが主題として描かれている。
実は、予告をまじまじみていると、「ギルベルトは生きている」と気が付くので、「じゃあ、二人はどうなっていくのか」にすぐに焦点が移る。だが、そこに至るまでの脇筋が、実に半端ないのだ。
今作の依頼主は余命いくばくもないユリスという少年。いじらしいくらい反抗的なのだが、それは優しさの裏返しだった。それを手紙にする、という行為をヴァイオレットに依頼するのだ。
手紙を書き終え(それで一応依頼は完了)、「指切り」をするところのセリフの応酬は、恐ろしいなんてものではない。ここは見ていただいて、「ウワ、こんな風に脚本って書くんだな」を実感してもらいたい。しかも、それが巨大な伏線になっているなんて、思います?
そしてついに!ギルベルトの筆跡らしきものが差出人不明の郵便物から発見される。かなりの確信を持って島を訪れるホッジンズとヴァイオレット。片目と片腕を失った姿ながら、それでも生きながらえていたギルベルトだったが、この姿を見られたくない、とヴァイオレットに逢うことを拒絶する。
ヴァイオレットにかたくなに会わない暖炉の前の少佐、土砂降りでも頑として引かないずぶ濡れのヴァイオレット。自分だけが濡れていないこのシーンの意味というものをひしひしと感じ取る。
二人の邂逅のシーンは、ヴァイオレットの言葉にならない嗚咽が観客の心をわしづかみにする。なかなか泣きの演技は難しい(おいおいと、声を上げて泣くわけではなく、ただ滂沱の涙を流している状態での演技)のだが、このシーンだけで十分鑑賞料金の元は取れる。もちろん、この演技だけで存分に泣ける。
不必要なラッシュシーンとかを無音(セリフなし)で表現する手法も健在。表情を映さず足元だったり、口元だけだったり、と、「映像に語らせる」京都アニメーションの真骨頂がここでも見られる。

得点は99点。もちろん本年度最高得点であり、本年初鑑賞全タイトル暫定一位を奪取した。
結局のところ、この作品での未来パート(少女がヴァイオレットの足跡を追う)と現代パート(ギルベルトとの再会と少年)、そして過去(ヴァイオレットが軍人だったころ)を行き来する重層的な脚本がすべてだと思っている。そして、大団円を迎えるにあたって、二人の感情の吐き出しをしておくべきだが、どうするのが一番いいのか、というところがクライマックスに述べられている。
ついでながら、本まで出した物語る亀さんの本作の考察記事は、うならされることばかりである。謹んで引用させていただく。

ギルベルトと逢えて、結ばれて大団円、は、正直安易だ、という意見もあるだろう。私自身も、ギルベルトは死んでいる/新たな道を模索するヴァイオレットが、死を乗り越える作劇を期待していたところは偽らざるところである。
それでも、彼女が人として生きる希望をくれた人の元に帰っていくことしか彼女の”しあわせ”はつかめない、と考えることもできる。プロットとしては原作重視であるだろうから、この「死に別れる」設定自体がなかったと考える方が正しかろう。
いやあ、予想はしていたが、この涙腺の破壊っぷりは恐ろしかった。もちろんリピート案件である。
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