多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

アニメーション

2019.6.16 ランキング外確定 「海獣の子供」鑑賞記

毎月16日は、OSシネマズ系のサービスデー。1100円で見られるのは実に好都合である。ちなみに「ガルパン」の映画は、そもそも短く、1200円均一になっているので、サービスデーの恩恵は受けられない。

スノー・ロワイヤルを終えて次に向かったのは、下馬評がかなり好調だった「海獣の子供」である。芦田愛菜の吹替えの凄さが言われていたこともあり、かなりハードルは上がっていた。ただ、キャラデザといい、人間描写には、ここ最近の画風とは違う粗野な感じもあって、これがどう出るのか、は見てみないとわからない、と言ったところだった。
中学生の琉花の夏休みは、初日から好事魔多しを地で行くアップダウンの凄さを露呈する。ハンドボールの試合で、意趣返しした相手に思わぬけがを負わせてしまう。挙句「こなくていい」という顧問のお達し。かくして彼女の夏休みの部活生活は初日で終焉する。
仕方なしに、父親が勤める水族館に。そしてここで彼女は運命的な出会いをするのだ。それが「海」であり、海獣の子供……ジュゴンに育てられた双子のうちの一人だったのだ。

ストーリー語りは序盤までしかできない。大人たちの思惑や、海と、双子の兄・空の体の謎の解明などに分量を割けるほどでもなく、徐々に双子たちの変化が現れてきても、我々にはそれを黙ってみているだけしかない。琉花と同じ境遇にも立ち入り難い。それは、琉花自身の抱える心の闇が少し大きめだからだろう。
ファンタジーものにありがちな、キャッキャウフフがほとんどないのだ。「あ、これは重苦しい流れだな」と察するのにそう時間はかからなかった。

そうなってくると、ストーリーに乗れなくなっていく。もともと概念的なことばかりを端々に入れ込んでくるものだから、それにまたとらわれていく。アングラードのもとで暮らす3人の描写にしてみても、アングラード自体がまた小難しいことを言って我々を煙に巻く。一向にストーリーに没入できない状態が続いていく。
そうこうするうちに「祭り」が近いことが知らされる。だが、その途上で空は光となって消え去ってしまう。その際に隕石を琉花に託するのだが……

得点は72点とした。
だが、後半の「祭り」に伴う20分余りの映像は、恐ろしいばかりのスペクタクル度で迫ってくる。バースデー・ワンダーランドは、あの一瞬だけを見るための映画だったかもだが、この作品は、あの映像を見るためだけに1800円払っても惜しくないと思える今年一番の出来である。とにかく手の入れようが半端ない。これがもし手書きだったら……それはないと思いたいが、動画のスタッフロールが久しぶりにえげつなかったので、もしかするともしかするかもしれない。
そうは言っても、そこだけ突出しているから全体像も引きずられるかと言ったらそんなことはない。せいぜい琉花と海空たち、琉花の家族関係のストーリー部分は40分あるかないか。内容がそれほどでもなく、ファンタジー特有の上がっていく感じもほぼ感じない。
「海獣の子供」と琉花が織りなすひと夏の想い出的な内容と思っていたらさにあらず。でずっこける、というレビューも意外に多く見受けられた。かくいう私もそのたぐいである。こんな概念的、観念的、抽象的な映像を提示して、どの程度の観客が理解できるというのだろうか……?

なので採点はしたが、映像美だけは今年一を目指すものではあるのでランキング対象外と設定した。映画としておすすめはしたいのだが、それは、スクリーンに映る映像を丸ごと飲みこみ、ストーリーの薄さ/脚本の中途半端さに目をつぶり、また、荒っぽい感じの人物描写に我慢して見られる人に限られると思う。
結論としては「シロートにはお勧めできない」(ゴノレゴ 談)作品という評価になってしまった。 

2019.6.16 待ったぞ、待たされたぞ 「ガールズアンドパンツァー 最終章第2話」鑑賞記

私がこのアニメーション……「ガールズアンドパンツァー」を知ることになったきっかけは、なんと、この作品の前作に当たる、「最終章第一話」からである。
もちろん、この時点で、本放送からは数年たっているわけであり、「知る」のレベルを名前だけとするなら、そんなものは当然なわけなのだが、「内容を知る」「キャラクターたちの人となりを理解する」となったのが、この時点だったというのが得意な部類の人種だと思う。

→一応最初見、というべき当該作品の第一回評をここに掲載する
当然のようにここから、テレビ放送版(再放送分)を全話収録してあったHDDをほじくりだし視聴。「ああー、これ、流行るヤツやわ」となってびっくりするほど作品にのめり込んでしまう。それは、2018年、ガルパン絡みの上映作品にそこそこ出撃できていることも影響している。

前作の公開は2017年11月。それでも2か月近くのロングランで近所の劇場で拾えたのだから、半端ない人気だったのだろう。実際、3桁鑑賞という猛者がいっぱいいるし、すでにこの第2話も、最速上映からの二桁鑑賞に至っているガチ勢も少なからずいることだろう。
まあ、アウトラインはここまで。実際の作品の評に入りたいのだが……
その前に劇場内部をブラウジングした。実際「ガルパンおじさん」だらけであり、平均年齢も実際40代前半、下手すれば45歳程度かなと思えるほどの年齢層。でも、「ガルパンお兄さん」や「ガルパン姉さん」の存在は無視できない。男性ペアやグループはかなり見受けられたのだが、女性ソロという10数人がかなり目立つ。朝一の回ながら、8割強の入れ込みは、いくら公開2日目とはいっても、固定客居ればこその代物だろう。

作品評は……

        「ガルパンはいいぞ」


この言葉しか思い浮かばない。
ネタバレをしてまで評価する映画ではないし、記事を書いている月曜日時点でまだ3日目。レビューを見て「見てみようかな」という層を喚起する記事にはとてもじゃないが難しい。
それはできない、のではなく、やはりファンから愛される作品というものは、扱いが非常にデリケートなのだ。私がいわゆるシリーズものにあまり手を出さないのは、書くことによって初見やライト層にはそれでよくても、ガチ勢には間違って伝わる、あるいはその意見を排除されると思っているからである。
前作評は時間の短すぎを指摘して90点どまりにしたのだが、今作もそれについては同様。だが、2回戦の相手高校の変容ぶりの見せ方といい、全てにおいてブラッシュアップされている。それは音響がそれほどでもない劇場でも感じられたのだから、かなり手が入っているとは思った。よって96点をファースト評とした。

この4点マイナスの分は、ズバリ、間隔の異常さを上げておきたい。60分強の内容で1.5年ほど。かけ過ぎかそうでないか、といわれると、「かけ過ぎだ」とする意見の方が多いだろう。あと4話も残っている。単純計算で、次作は2020年11月頃、その次は2022年5月、その次は2023年12月頃、最終話が2025年6月…
すべてを見切れず死去してしまう壮年層も出てきている、と報告もあるのだが、せめて1年サイクルにしていただきたいものである。

ガルパンの魅力は、全員に確固とした性格付けがなされていること。そこにブレが出ない限り、最終話まで突っ走ってくれると認識している。

2019.5.26 有無を言わせぬ圧倒 「プロメア」鑑賞記

OSシネマズハーバーランドで予告は見たことのあるこの映画。
パステル調の色彩も毒々しく、そして人物に寄りまくる構図にど派手なアクションシーン。 いきなりこれを何の情報もなく見せられたとしたら、「ウハ――――」となってしまうこと請け合いである。
→本予告。

公開直後に上がってくる映画評は、「堺雅人、やばい」が多勢を占める異常事態。これはどうあっても観なくてはなるまい、となって日曜日の同所に勇躍乗り込んだのである。

だが、昼前回なのに、総勢わずか10人強。「へ??」同じタイミングで入場していた「居眠り磐音」はそこそこ人を集めていたようだったが、こんなものなのか、と思わずにはいられなかった。
カップル3組、男性ペア一組以外は全員男性ソロ。久しぶりの当方が最年長記録を樹立して、平均年齢30代後半を掲示する。

映画の方だが、突然起こる人間発火現象がおさまりを見せて30年余り。それでもいまだに起こる残党たちの発火現象を取り締まる消防隊の面々の活躍が何と序盤に提示される。そのどれもがキャラのたっている人々なのだが、主役の松山ケンイチ演じるガロが出てきて一気にヒートアップ。そして敵対するバーニッシュの首領・リオが出てきてさっそく一対一の激しいバトルが展開する。
首領を捕まえたことで一躍有名人になるガロ。命の恩人でありその人のためなら何でもできると敬愛しているこの街の施政官・クレイから表彰もされる。だが、ピザ屋での一件以降、ガロの想いは少しずつ変わっていく。
そしてガロは、今まで敵対していたバーニッシュも同じ人間であることに気が付いていく。それでも火をつける当事者を野放しにしておくわけにはいかない。
だが、実はクレイこそ、この物語の最大最凶の”悪”だったことが物語が進んでいくにつれて明らかになっていく。ガロを救ったのも自作自演。そしてその方法しかないと強弁するクレイを始めて罵倒するガロだったが……

得点は92点になった。
まず、この展開は正直言って、見る人は選ぶし、しっかり把握して見られる人は数少ないと思われる。特に、「天元突破グレンラガン」「キルラキル」の世界観を好み、独特なカメラワークで迫るアクションシーンがたまらない、という人以外は、正直受け付けないんじゃないかと思っている。
では、その世界観がどうして一本の映画にできたのか?それは製作サイドに答えがあった。この作品、スマホゲーなどを展開する、XFLAGが単独出資して作っているものだからである。
XFLAGのアニメ・映像事業関連のホームページ。
もしこれが「製作委員会」方式だとどうなっているか?まず出資をお願いすることが難しかろうし、もし仮にうまく立ち上がっても、今度は、金を出している企業の意向がどうしても反映されてしまう。曰く「もっと客の取れる作風にしろ」だの「声優はほかの人で」とかのごり押しなどもありえただろう。
それが一切ない一社スポンサーのアニメーション映画だから、ここまでの無茶ができるし、それが許されるのだ。
そうなってくると、減点されている8ポイントの理由もそれとなくわかってくる。特に設定の無茶苦茶さ加減であるとか、最後の強引なクライマックスであるとか。落ち着くべきところに落ち着いたとはいえ、納得のいく大団円、とは到底思えないラストになったところは残念な部分でもある。
だが、この作品が大きく加点されている部分は、ただの戦闘シーンに終わらせず、上がる楽曲でそれらを彩ったからである。特に物語が進むにつれてどんどんスケールアップしていくメカの大きさや派手さ、戦闘シーンのありえなさなどが目まぐるしく提示されてはあっという間に流されていく。
この作品と同様の作品を見た、とズバリ思ったのは「ニンジャバットマン」である。勢いがすごいだけで、緩急はついていたが中身はほぼなく、荒唐無稽な設定だけが浮き彫りになっていたあの作品と似ていると思ったのだった。とはいえ、この作品には、少しだけラブロマンス的な振りもあり、隊員たちのコミカルな掛け合い、共闘する事態になってもそれを笑いにしていく。様々な要素がちりばめられているところも欲張りすぎに映ったほどである。

傑出しているのは映像表現だけではない。今回は吹替えに3人の俳優が起用されているのだが、その三人とも外れていない演技を披露した。中でもクレイ役の堺雅人は、この作品の根幹をなす最重要人物であるだけにその仕事量も声量も半端なかったわけだが、覚醒した途端の演技に本当に鳥肌が立った。それまではおとなし目・抑制的な芝居だったのに、化けの皮が外れていくにしたがって声質すらも変わっていく。それがただひたすら恐ろしかった。
松山ケンイチは、出だしは、役作りがうまくいっていなかったからなのか、堅さが見られたが、こなれていくとこれまた力量以上のものを出してくれた。早乙女太一は、もともとが声量等を必要としない芝居役者であるがゆえに、序盤は消え入りそうな声になってしまっていたのだが、後半は、まさに残る二人に引っ張られるかのような演技になって場を盛り上げた。
つまるところ「堺雅人無双」な作品になってしまっているところは成功だったのかどうかは意見の分かれるところである。今年の一番、には到底上げられないし(尖っている部分は評価に値する)、かといって10傑から滑り落ちるほどでもない。勢いがすべて、それだけあれば見た観客を圧倒できるという自信の表れが如実に出たスクリーンになった。
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