多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

映画

2024.3.15 「DUNE 砂の惑星Part2」鑑賞記 

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作鑑賞は、これで3作目だ。初対峙が「メッセージ」だったのだが、この茶目っ気を目の当たりにしたら、そりゃ、好きになってしまうというものだ→ご存知、"あの"お菓子からインスピレーションを取ったとか真顔で言っちゃうんだからw証拠映像はこちら。


難解なんだけど、決して観客をほっぽり出しにしない。映画を見てくれた人に対して何かはもって帰らそうとする姿勢がいくつも感じられたものだ。
そして迎えた、大作「DUNE」の前編。あれだけの原作を映像化するにあたって、・ハルコンネン家(今作の悪役)の登場人物をすべて丸坊主にすることで、「考えなくてもわかる」ようなアイディア ・時間を取って、アトレイディス家の没落を丁寧に描いた ・逃避行のさなかに協力者は次々と斃れる そして砂漠の民に拾われる までを描いた。
期待していた続編だったので、公開初日に見たわけだが、いざ蓋を開けてみると、前作未履修者はもとより、一作目を見ておぼろげながらの記憶の人であっても、いきなりストーリーに放り込まれてドギマギするはずだ。そうしたら、前作では言われていなかった様々な専門用語(特に人にまつわる別名や救世主を意味する言葉とか。英語でもないので簡単に頭の中に入ってこない)が飛び交う始末。序盤で脱落する人たちは多数いたのではないだろうか……
結果的に、ティモシーシャラメ演じる主人公が、父の敵を討ててよかったね(とはいえ、血にまつわるドロドロした背景も知ることになるのだが)とはなるし、黒幕たる皇帝も屈服させて大団円。しかし、一人かわいそうなのは、ゼンデイヤ演じるチャニだ。彼女が砂虫を呼び寄せようとするシーンで映画は幕を下ろすのだが、こんなクロージング、せつなすぎる。愛が報われないときの悲哀に満ちた表情でググっと来てしまった。
特撮技術もすごかった。砂虫の上に乗っているスピード感とか、役者の演じ方とか、どんな風に撮影したのか、知りたいところである。
前作はそれなりに評価していたはずだが、結局初見時の評価は91点どまりと案外な部類となってしまった。2部作にすることが既定路線だったにせよ、時間経過含めてバランスが悪く感じた。ポールが見る予知夢はそのほとんどが具現化していないところにも手当てがなされていない。なんといっても、上映時間が長い。私はそれなりに退屈しないで見ていられたが、この長さは尋常ではないと感じる人も多かったに違いない。ただ、来年のアカデミーの視覚効果賞は狙えるレベル(本来のスケジュールなら、2024年の候補作だった)なので、その稀有な映像体験というものを感じたいのならば観ておいて損はないと思う。

2024.3.14 いずれ"そちら"側に…… 「劇場版 ポールプリンセス!!」全力上等・応援上映参加記

塚口サンサン劇場では、この土曜日にまさかの「カラオケ行こ!」の紅に染まる応援上映が決定したそうである。→これがその告知ポスト。
そして、それほど公開規模も、観客動員もなしえていない一本の作品にかける熱量とは、どんなものだったのか、塚口が基準になるかもだが、未だかつて、この作品の「全力上等・応援上映」の実体というものには触れてこなかった。

しかし、いい時間帯、そしてすべてが手の内に入っている(楽曲歌唱には至らない)レベルのこの作品の一日限りの再上映がなされるとなったら、向かわずにはいられない。
ということで、当日。仕事がびっくりするくらいスムーズに運んだこともあり、一本早い電車にも乗り込めて、万全の態勢。
会場は、ブルク7、基、Tjoy梅田。座席の埋まり具合は、7割以上。ペアシートが多数設定されている3番だったこともあり、左右のはし席で"地蔵"を決め込む当方としては、それなりに座席選択に迷ったりした。
さあ入場。もちろん観客動向のデータ取りが始まるのだが、私を安堵させたのは、ただのオタク系のいわゆる自己実現をここでやってしまおう派だけではなく、女性陣の少なくない来訪があったことである。実際、私の右隣(一つ飛ばして)は、30代女性で、「彼女も地蔵かな」と思いきや、しっかりペンライトが準備されていた。
この手の応援上映には、いわゆる"リーダー"の存在が不可欠である。今回もそれらしい人がB列中間付近に鎮座し、早速のように声出しを予告の段階から促すようになる。ただ、実際に声を出していたのは、観客の3割ほど。以前の「ゲゲゲの謎」の時のような、一体感、館内を席巻する音量には程遠かった。

映画泥棒で早くも最高潮。製作のavex、タツノコのロゴ出現でもひとしきり謝意の表明があちこちでなされる。
本編では、それほど多くのツッコミや掛け声は上がらなかったが、リリスバのわだかまりが解けた公園のシーンでは、私も拍手をさせてもらった。
さあ、いよいよ本戦である。当方的には、メロディーラインがなんとか8割、歌詞に至ってはサビあたりしか自信をもって歌唱できない、ステージ曲6曲は、正直履修・暗唱するのはサウンドトラックを入手してからと思っていたので、今回はほとんど発声・歌唱なく終了してしまった。それでも、ヒナノ曲のクラップ演出はきっちりと反応させてもらった。

サウンドトラック入手まであと10日余り。普通なら、公開と同時に発売してくれてもよかったサントラだが、人気がここまで勃興することは、製作者サイドとしてもうれしい誤算だったのではないかと思う。
あり得ないかも、だが、続編を出す、となったら、全力で推しまくる覚悟はできている。音楽がアニメーションにもたらすシナジー効果はこの作品にもいい影響を与えていると思っている。

2024.3.10 「パリピ孔明 Road to Summer Sonia」鑑賞記

ここ最近、「テレビ再編集版」や、元ネタはワンクールアニメ、という手法で劇場版を作ることが多くなっている。「鬼滅の刃」の最終話からの次回作第一話をつなげた「ワールドツアー上映版」は2回上梓され(2回目は、柱稽古編なこともあり、集客には至らず)、「ダンジョン飯」も3話分を一本に編集した劇場版を作成、極めつけは、「【推しの子】Mother and Children」でもある、1話相当分をそのまま劇場で流したものだったりする。
今作の場合は、「一期終わりましたね。せっかくですから、音楽シーンに特化した総集編などいかがです?(孔明)」という意図は十二分に感じられるし、おそらく、2期開始前の露払い/予習的な立ち位置も兼ねていると思われる。
ご多分に漏れず、当方も、三国志の世界観は大好きである。基本的に蜀サイド(劉備や張飛/関羽の3義兄弟)で話が進んでいく過程で、孔明が現れる三顧の礼あたりとか、あまたの戦術戦略、計略。当時としては、斬新だったり、発想の転換が優れていた孔明の頭の回転の速さに舌を巻いたものだ。

その孔明が現代に、若き日の姿で転生してくるところから物語はスタートする。そして、この映画は、完全に音楽シーンに全振りしているところに注目である。この作品を純粋に音楽映画として成立させようとする編集が意図的であり、それゆえ、孔明の策や計略が現代でも通用することが、読者をひきつけてやまないんだと思う。テレビアニメーションを再編集し、追加シーンを入れ込んで2時間程度に収めることでこの作品のエッセンスとおいしいところ取りができているのは、一にも二にも、英子の歌唱役を引き受けた96猫さんの歌いっぷりが半端ないからだといえる。
とはいうものの、もろ手を上げられないのは、「定価販売」(割引/無料鑑賞不可)という、特別感にある。完全新作・オリジナルならそれも分からないではないが、「安く見られないならほかの作品を」「別にスクリーンにくぎ付けにならなくても配信で見られるし」という層は、結局スクリーンには座らず、取りこぼしが発生する。音響は、それこそ爆音系上映や音に特化したシアターで見れば、クラブにいたり、渋谷の交差点で聞いているかのような臨場感も味わえるから、劇場版を作ったというのも理解できるが、入ってくれなければ意味がない。新作ストーリーでもなく、放送されていたことをおさらいするだけにその価格のハードルは高すぎると思う。
まだまだ英子の活躍は見ていたいし、これからにも期待がかかる。さて、2期はいつになるんだろうか?
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