多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

レポート

2019.8.10-12 お盆のトリウッド2DAYS 「若おかみ」2回目は案外。

バリバリの昭和生まれであり、平成ジャンプしてしまった私だが、それでも後悔していないのは、自分の生き方に満足しているからに他ならない。
薄給に耐えられずあの会社と袂を分かってしまったが、それは、今までの自分が「それでいい」と思っていたから。だが、可処分所得の少なさにとうとう悲鳴を上げたのだった。

それから約3か月。有給分の半ばボーナスが7月/8月のオタ活を支えてくれている。
そして惜しむことなくそれを突っ込めている。以前の私なら、「新幹線で2週連続上京」など、仕事であってもなかった事態である。
だから、今回、「一日」で終わらせたくなかったということもあって、2日目の「若おかみ」「キミコエ」に突入するのだった。

「若おかみ界のキチ縄」こと、当方のフォロワー氏もC96参戦後にトリウッドに。抜け目がないともいえるが、あの人いきれの中で目当てのものを購い、返す刀で下北沢、というのが正直バイタリティーありすぎで恐れ入る。
私の知る限り「若おかみあるところフォロワー氏あり」であり、遠征した回数は数えきれない。ぶっちゃけ、そのお金でそこそこいいものが買えるレベル。だが、やはり追うべき対象が出た時のオタクの突っ込み度合いは、常人の思考を軽々越えてくる、ということだろうか……

私としては、久しぶりに、この2回目でそこまでの感情の発露が見いだせなかった。それは別に面白くなかったとか、すでに知っているから、ではなく、恐らく「天気の子」の余韻に精神が冒され、おっこに寄り添えなかったからではないか、と思ったりする。
それでもラストの舞いのシーン。あれだけ反目し合っていた織子と真月が、笑みを浮かべながら最後向かい合うワンカットで、二人の仲は絶ちがたい友情で結ばれたのかな、を想起させてくれる。それを芝居だけで見せるのだから、高坂監督、やはりおそるべしである。


2019.8.10-12 お盆のトリウッド2DAYS まさかの2晩連続ワンカラ店

前日夜は、キチ縄さんと一緒に「天気の子」を夜通し見て、語らいたかったのだが、結果的に主がいないんじゃぁ、となって「ワンカラ」の大ガード店に逗留。だが、いきなり天気の子の中の一曲「大丈夫」を熱唱してのどの調子が完全に狂い、採点しても不本意な数値ばかりで、結局8/10の夜は「泊まった」レベルに落ち着いてしまった。

それではあんまりだ、ということで、当初計画でもあった二日目の夜もワンカラ店に突撃する。場所は秋葉原店。意外なことにこのお盆期間中でも、週末料金レベル止まりの調整で、特別料金にまではしていなかったのが助かっている。
昨日夜のリベンジとばかりにガンガン歌いまくる。ほどほどにいい点数(実力)も出てきたということもあり、3時過ぎまで歌唱し、仮眠をとる。
目指すは、早朝の「天気の子」である。

2019.8.10-12 お盆のトリウッド2DAYS Α屬気萃」

「さよならの朝に約束の花をかざろう」。
2018年の公開初日に嬉々としてスクリーンに対峙した……させられた一本だったが、マキアではないが、「この映画を見られて、よかったです」といわせてくれる珠玉の一本であった。
初見評をどうぞ。
ただ、二ケタ回鑑賞に至っていないこともあって、円盤購入にまでは立っていない。
つまり、この名作を見たいと思ったら、レンタル等、ひと手間必要になってしまう。

そこへ降ってわいたのが、トリウッドの4作連続アニメ映画上映。フェイバリットであり、それこそ推しまくる2作を筆頭にしているのだから、この作品も当然のように入ってくる。

さよ朝は、いろいろな意味ですそ野が大きいのか、この4上映の中で初めてカップルが来訪。男性ペア一組、ソロ男性8/女性2。14名は、本日最高記録である。

冒頭のマキアがエリアルに出会うシーン。その前は、イオルフの惨状を遠目に見て、断崖から身を投げようとしていたはず。それを救った赤ん坊の泣き声。これがなかったら、今頃ストーリーは進んでいない。
骸になった母親からエリアルを取り上げようとするマキア。死後硬直をこのように描くとは、なかなかできるものではない。骨を折る一本一本に涙腺が反応する。
無二の親友たちと離れ離れになるマキアだったが、時代の流れが、彼らにえも言われる「別れ」を突きつける。レイリアは望まぬ結婚をさせられた挙句我が子を身ごもってしまい、それでも奪還を狙うクリムはそのことだけに生涯をささげてしまう。

「イオルフの民は別れの一族」であるといっていた長老。「誰かを愛すれば一人ぼっちになってしまう」。私は下界に降りた時、自分の長命と釣り合わないからそうなるのだと思っていた。だが、クリムとレイリアは、お互いを愛するあまり一人になってしまっているのだ。ここにこの作品の、そして全体を通底する意味というものを感じ取る。
だが、マキアは違っていた。母親としての役割を全うしつつ、人間として成長するエリアルを常に見守り続けていた。二人に血のつながりはないが、そこにあるのはそれをも超越した慈愛に他ならない。
合戦&出産シーンから、もう涙が止まらない。めったなことでは取り出さないフェイスタオルが劇場鑑賞で初めて取り出される始末。エリアルとマキアの別れのシーンは、もう駄目である。
だが映画はそれでは終わらない。余命いくばくもない(ほぼ絶命しかかっている)エリアルを見送るシーンでは、「行ってらっしゃい」というセリフが畳みかけ、回想シーンがまさしく滝のような涙を出させてしまう。そして、石見嬢渾身の泣きの演技で完全にノックアウトされてしまう。
エンディングの「ウィアートル」は、私が生涯かけて追い求めたい楽曲になったわけだが、それも含めて、この映画を知れたことはよかったと思っている。

ズルズルな顔を隠そうともせずにトリウッドを出る。
映画の持つ力に改めて感謝すると同時に、それを導き出してくれた新海誠という人物の存在に改めて敬意を表したい。

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