多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 いろいろと埋めてまいりますのでお楽しみに。

レポート

2018.2.16 人間賛歌、必見。「グレイテスト・ショーマン」鑑賞記

正直、私は、基本的にミュージカル進行スタイルの映画は苦手である。理由はいくつも上げられるが、なんといっても、唐突に始まる歌と、ダンス、そしてそれらに回りまでが感化されていく過程に、である。日常では起こりえるはずのない、突飛な事象。「そんなこと、ないない」(雫 談)だから、どうしても物語に没入できなく感じていた。

吹替えが劇団四季の団員で占められていた「ノートルダムの鐘」などはその好例で、実際ほとんど中身のないストーリーをミュージカル進行でごまかした、と言ってもいいくらいの内容だから、まったく読了感がなかった。
ところが、当方が「登場人物が歌わないミュージカル」とまで評した「君の名は。」は、かいたように登場人物が歌うわけでもダンスするわけでもない。彼らの心情が曲に乗せて語られるという、今までのアニメーション映画史上、初めてといってもいい脚色が多くの観客に刺さったとみている。

つまり、だ。
流れ上、曲の存在が無理筋に感じられないなら、たとえミュージカル映画でも納得できるのではないか…?そういう考えにたどり着いた結果、「グレイテスト・ショーマン」は、実際の舞台でのミュージカル的な出し物が見どころであると同時に、昨今の虐げられる定めの人々にもスポットを当てているように感じた。「これはすごいかも」。
そして、今年2回目となる、封切作品を公開初日に見るという快挙を成し遂げる。
劇場の中は熱気むんむんとまではいかないものの、前回の封切日鑑賞の「今夜、ロマンス劇場で」よりはかなり入っていく。中でも驚いたのは、女性ソロ客の圧倒的な数。それにプラス女性ペアが女性鑑賞比率をますます上げていく。300席強ながら80人越え確実までの入込。男女比は、かようなわけで3:1で女性優位と出た。平均年齢は、若年層も散見されたものの、40代前半と見る。

実在していた希代の興行師の半生を描いた作品で、主人公の幼少時代から描写されるとは驚き。身分の差を乗り越えて婚姻するというところにさっそくファンタジー感があるが、そこはうまく持っていった。事業を起こす際の沈んだ船を担保に持ち出すなど、狡猾な一面もあって、とりあえず事業家として一歩を踏み出すわけだが、うまく行くはずがない。『生きたものが見たい』という娘の一言で、「ユニーク」な人材を広く募集したところ、様々な人物が名乗りを上げる。銀行で出会った小人には直接スカウトに行くほどだった。
かくして、ゲテモノぞろいのサーカスまがいの出し物は、瞬く間に大人気に。だが、それが周りの軋轢を生んでいく。トップスターのヘッドハンティング、当時の英国女王への謁見。その際に知り合った女性歌手とも懇意になっていく。
しかし、好事魔多し。その歌手とは「もの扱い」されたと感じられて契約破棄。しかも、最後のステージで別れのキスをしてしまい、それがスキャンダルに。その前には、乱闘騒ぎから劇場に放火されてすべてが灰燼に帰する。もちろん、全財産を失った主人公。残されたのは、劇団員だけ。しかしその彼らがバックアップしてくれることでようやく彼は立ち直り、妻との絆もとりもどし、大団円を迎えていく。

SINGっぽいな、とは言いようで、「ああ、そう言われて見れば」という感じがした。その点で言えば二番煎じ。人物描写も深く見せてくれたらそれなりだったのに、LGBTを抱える影の主人公や「親指トム将軍」など、主要脇にもう少しスポットを当ててくれてもよかったのに、とは思う。
だが、彼ら弱く、醜いものを怪訝な目で見る、上流社会の鼻持ちならなさは、この映画の真骨頂と言える。世代的には、「鉄道が勃興期」な頃なので、20世紀に入るか入らないかくらいであり、このころの世相としても普通に差別、偏見は跋扈していたことであろう。それが現代にも通じてしまっているところにこの作品の奥の深さを見出す。

確かに主人公・バーナムは、あまり深く考えずに、ユニークな・・・奇形や特技だけの人材を集めて金儲けをすることに汲々としていた。だが、すべてを失って気付かされるのは、その人たちによって支えられ、救われるというラスト前の演出に、大きく心を揺さぶられるところにある。
ミュージカルスタイルであり、もう少しメッセージ性があるかと思われたが、意外なほどストーリーは通り一遍だった。それでも、全米でしり上がりに興行を伸ばした背景には、圧倒的な音楽性の高さと、ミュージカル独特の一体感、ショービジネスという晴れの舞台だからこそ生きるダンスや歌の数々。それらが観客にすとんと腑に落ちたからだと思う。
最後は、まさに「グレイテストショー」(地上最大のショウ)と呼ぶにふさわしい出来で圧巻である。行きつくところ、金や名声ではない、大事なものをバーナムは取り戻せたラストシーンが実に味わい深い。

さて、採点である。やはり、ストーリーが…の一点に尽きる。のべつまくなし歌いどおし、なのも覚悟はしていたが、深さを追求すべき点もあったはず。尺を伸ばしてでも、登場人物に寄り添える作劇の一つや二つは入れておいてほしかった。というわけで、87点とする。音楽、音響は文句なしの100点。アカデミーノミネートが主題歌だけというのはお寒い限りだが、玄人から見ても、そこしかとりえがなかったという証左といえなくもない。

よくも悪くも演者次第 「今夜、ロマンス劇場で」鑑賞記

封切作品を見ることにも抵抗がなくなってきている自分がいる。それは実は恐ろしい出来事でもある。
以前の行動規範であれば、せいぜい見ても年に数本、それも公開末期に「ようやく重い腰を上げた」レベルでの鑑賞が大半であり、その上で複数回観ようなどという作品にも巡り合わないから、映画が好きでも嫌いでもなくなっていく。しかも、基本アニメーション系ばかり。そんなだから、既鑑賞作のほぼ8割がたをアニメーションが占めてしまうのである。

2017年の4月からは、様々なジャンルにも触手を伸ばし始め、去年は結局21タイトル/60スクリーンの大漁ぶり。今年もいろいろと手はつけてみるのだが『ずぷっ』とはらわたにどすを突き立てられるような作品には出会えていない。

そして、今作「今夜、ロマンス劇場で」も何とはなしにもう一つ、という感情が残ってしまう、読了感のあまりない作品となった。
綾瀬はるか演じる銀幕の中のお姫様。うだつの上がらず、失敗ばかりの助監督の牧野健司。落雷がきっかけで映画の中から飛び出してしまうお姫さま。この序盤の持っていき方は変に事件性や意外性を持たせなかったところがややポイント低い。
二人の奇妙な共同生活。ただ、2次元に生きるお姫様には最大の弱点があった。人間に触れると映画の世界に戻っていく、というのである。このあたりの設定は雑というか、ややありえない部分でもある。そして映画会社社長の娘との恋のさや当て。でも、健司は、なぜか3次元/出世確実な方を選ばない。いじらしい、と思う半面、そんなことってあるのだろうか、と思わずにはいられない。
ロマンス劇場の支配人にも同じような体験がある、というくだりは、意外に重くは捉えられず。そもそもが健司が作ろうとしていた映画の中のお話…とおもいきや、老いて余命いくばくもない彼の元には決して年を取らない、銀幕のままのお姫様がいたのである。

確かにお涙頂戴シーンは意外に多い。蛍の乱舞する川沿いでの告白シーン、劇場でまともな恋愛をしろと諭される健司の反抗、そして、今わの際の彼女の魂の叫び。実際涙腺は励起する。だが、それは深くは見せないのである。もちろん、感情をゆするほどの効果はあるとはいえ、どうにも、型通りでもう一声、は感じてしまった。
そして、一番のこの作品の肝は、なんといっても坂口健太郎が適役かどうだったかというその一点に絞られる。当方は、残念ながら、という判定とさせていただいた。もちろん、役作りがどうとか、セリフ回しが単調とか、言いたいことは山ほどある。尻に引かれている風情なので、綾瀬の引き立て役でしかない部分も百歩譲るにしても、自分を出せていなかったと感じるのだ。
ストーリーは難しくなく、むしろ平板。絡んでくる人たちの空気感と言ったらない。看板俳優役の北村一輝ですら、まったくのにぎやかし(ラストはいいセリフを吐いてくれて、何とか持ちこたえたが)。なにより、日常に起伏がなさ過ぎる。

この作品の致命的な点は、序盤のドタバタが、映画の撮影の中に紛れ込んでしまい、面白く感じなかった点にある。もっともっと引っ掻き回して、阿鼻叫喚の地獄絵図を演出してもらって、映画から飛び出したお姫様がやらかす、という映画でしか見られない構図にしてほしかった。本来なら大爆笑するべきところであり、ここで一気に引き込もうとしたかったのだろうが、完全に滑ってしまっていた。実はほぼ序盤の段階で勝負あった、であったのだ。
だから、この作品は、65点どまり、という評価になってしまう。もちろん、光る一手がなかったわけではない。2本の虹を見つけて序盤のキーポイントでお互いを探す二人。お守りであるオカリナを雨降る中探すシーンとか。それでも、薄すぎる演出に、演者のスキルの無さ。設定の甘いところも無視できない。

「よくもこんなの作りやがって」と、怒り心頭に発するレベルではないにせよ、じゃあ、拍手喝さい、スタンディングオベーションものか、と言ったら、それは持ち上げすぎである。オーラスのシーンは、天に召された健司が、2次元の世界でなぜか共演者が居並ぶ中で、お姫様に求婚を申し込み、色を取りもどしていくというべたべたなもの。最後は強烈に色彩をもってきて、大団円を演出したつもりだろうが、それこそ余計な過剰な演出だった。控えておくレベルだったのにこのあたりも惜しい。

最大の減点ポイントは、今までの内容でもわかるように、キャスティングである。そこは譲るつもりはない。老健司の加藤剛の芝居がなければ、もっともっと点数は低かっただろう(ウム。それにしても、加藤剛氏の体調は気になる。遺作にならなければいいが)。

2018.2.1 ビッチたちの狂演w 「スリービルボード」鑑賞記

まず先に結論を書かせていただく。
ずばり、「シロートにはお勧めできない」(ゴノレゴ 談)内容である。それは、胸糞シーンや唐突な暴力、「誰が」やったかがわかりにくくしてあるなど、その世界観がかなり暗く陰湿だからである。

もちろん、それは半分想起したうえで見に行ったところはある。何しろ、一応「アカデミーノミネート作品」だからである。アカデミー候補にあげられるというのならばよほどの練られた脚本やら、演出やらがあるんだろうな…
だが、実際には、「くそ野郎」やら、「ビッチ」やらが随所に出てくる、お世辞にもきれいな作品とは言えない。

しかも未解決事件はそのままに「別」の悪を退治しに行こうとする人物たちは、それこそ他にやることがあるだろうに、と思わずにはいられない。初動捜査のいい加減さを主人公が断罪する場面もあったが、真剣な謝罪とは受け取られなかった。

さて、そろそろ本題に入る。
この作品を絶賛している人もいる。それはそれで構わない。だが、私はどうにも、もろ手を上げて賛成、とは言えないのだ。
何しろ、主人公の傍若無人ぶりが痛々しいのだ。そもそも、自分の娘が殺されたことをあえて広告にするなどということがどういう結果をもたらすのか、わかっていなかったわけではあるまい。まして、署長は病気。余命いくばくもない末期がんならなおさらだ。
クレームをつけに行った歯医者のところにも押しかけ逆襲する、説得に行った神父までも論破してしまう(まあ、これはこじつけ以外の何物でもなく、神父の苦虫潰しぶりが印象的)。広告を燃やされたと知るや、警察署を襲撃する…ことによると、かなりの罪状になるのではないか、とさえ思うのだ。
もっと恐ろしいのは、ヘイトたっぷりのマザコン警官。今までの悪行から考えてもとっくの昔にバッヂを奪われているはず。そして、とうとう殺人未遂すれすれの暴行事件を起こしてようやく職を解かれる。その後の彼の数奇な人生は…考えようによっては、改心できた、と見て取れるし、良心が残っていた、とも考えられる。
でも、町は、すべてのことを飲みこんでいく。まるですべてを知っていて、誰も手出ししないかのように。そこにこの物語の矛盾している部分を見つけ出すのだ。
「真犯人を探せ」と息巻く当の本人が次々に犯罪を犯していく。そして、結果、この物語の中では真犯人は見つからなかった。導出に至る経過も徒労に終わるかに思われたが、「成敗しに行く」方向にかじを切る。それでも、その決意もドライブするにしたがって冷めていく。そして終幕…

はっきり言って、読了感はあまりない、というのが実際である。胸糞悪いというか、誰も救われないというか…小さい町で起こった凄惨なレイプ事件が未解決に終わること自体が稀有なことであり、その犯人の影すらも感じられなかったところにこの作品の闇の深さを感じ取る。
もちろん、誤認してしまう人物の登場は、唐突感もあり、また、"自白"からそう思わせる効果は絶大だった。そして、私はそういうあり来たりのわかりやすいサインは、「それを疑うべき」と思っていた。だが、それまでのストーリーから、ここは素直に演出したのか、と思ったので「もしかしたら」と思ってしまっていた。新署長の二言目を聞くまでは。

とにかく、「皆さんに見てもらいたい」とはなかなかにお勧めしがたい。いくら主人公たる、少女の母親に寄り添うといったって、このメンヘラぶりでは、あの小人ではないが、愛想をつかしてしまうのも無理からぬところである。
くどいようだが、私が「君縄」を大絶賛しているのとは裏腹にクソ呼ばわりする人もいる。映画というものは、その人が抱えている問題点を浮かび上がらせたり、共感できる人が絶賛するのであって、そこまで思えない人がいても不思議ではない。
言いたいことがわからない、までの駄作ではないが、きっちりとした物語の収束という意味でも、あのエンディングは、いかようにでも受け取れるものであり、もう一つとしておきたい。点数は、75点が精いっぱいだ。
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