多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 いろいろと埋めてまいりますのでお楽しみに。

「君の名は。」

比較検討倶楽部(4) 「君縄」VS「キミコエ」の君対決

「きみの声をとどけたい」の存在を知った、というか、「こんな映画するよ」と教えていただいたのは、なんと!!
海外のチャット掲示板である、「Discord」である。
→ここの存在を知ったのは、「君の名は。」評を書き込んだredditに端を発する。日本からこの掲示板に書き込みしたのはごくわずかと思われ、そもそもDiscord自体も、ゲーマー間のやり取りがメインの模様。

もちろん、「君縄」全盛期の去年の今頃ではなく、全米公開が始まったころの4月に書き込みを始めているので、Discordに誘導されたのも5月くらい。その時点で、海外の方からこの映画の存在を知らされるとは、私自身がびっくりした。
もちろん、知ったからには公式サイトとかも巡回。声優オーディションもやるという、純粋に企画ありきで進んでいるスタイルであるものの、どこまで真剣に売ろうとしているのかは、よくわからない状況だった。ぶっちゃけ、映画は顔見世程度で、オリジナルストーリーでもあるし、そこそこ入ればいいクラス…少なくとも大作の呼び声高い「打ち上げ花火」を越えうる作品とは思っていなかった。

ところが…
スクリーンに対峙して、良作感がじわじわと攻め込んでくる。「言霊」というキーワード、幼馴染たちに関わるキーパーソン、そして何といっても影をまとっている紫音の描写。ただものではない思いを明らかにする。
たまたま私は「9月1日」に観に行ったわけだが、これはことによると、8月31日に観に行っていたら、そのシンクロ度にしてやられていたかもしれない。「花火」は下駄を履かせて何とか90点だったが、こちらは文句なしに93点をズバッと付けられた。それだけ名作/秀作然としたものを感じ取ったのである。

ここからが本題。

公開時期は全く同じながら、配給/公開館数で明らかに劣勢の「キミコエ」が、そこまでヒットする素地はどこにもない。表面上は「爆死」に近い動員・興収になると思われ、露出に伴わない動員できなさに忸怩たる思いを強くしている。もちろん、先週末成績(公開初週の8/26・27の土日)でもランキングなど夢のまた夢。ほおっておいても動員しまくり、2週目週末が1週目より多いという前代未聞の興行をなし得た「君の名は。」とは雲泥の差ともいえる。

ここに映画産業の不都合さを見てしまう。実際、作品力はすごくあった「君の名は。」であっても、事前告知やプロモーションをふんだんにしたって「興収15億程度」なんて言う予測を公開前に配給元が下してしまうのだ。「今までの経験則」が邪魔をし、それにとらわれない(新海誠の知名度が低かったことも幸いしたか)観客が、映像美と作劇にしてやられる。一度は座ってみるに値する作品と世間が認めたからこその250億といってもいい。一方、「キミコエ」は、まともなプロモーションもやっていない。試写はやっていたようだが、ここでのレビューも案外なもの(ヤフー!では、☆4が多かった/試写を見るような映画ファンには、確かに物足りなく映っても仕方ない)。そもそもが超大作(お金かけている)なはずがなく、実際映像は中の上クラス。花火の予告は見たが、キミコエはほぼほぼ見ずに終わっている。

良作が成績を上げられない。世の中に広まらない。「君の名は。」がここまで市民権を得、今でも聖地巡礼や、アイテムの出現でざわつくのとは対照的な、静かな興行。ひと夏の想い出系のスタイルなのが問題なのか、どうなのか…今からでは方向転換もできないわけだし、どうにもならないとわかっていても、もう少し、何とかならないものか、と思わずにはいられない。

比較検討倶楽部(3) 「君の名は。」vs 「君の膵臓を食べたい」

「君縄」ブームの時は、どんな名作の予告であっても、基本的にスルーしていた。唯一心を動かされたのは「この世界の片隅に」だけであり、鑑賞一回目は案外な評価だが、見直したいとは思っている。

ただ、ここ最近は極力、いろいろなジャンルの映画に手を出している。SFチックな「メッセージ」、コメディ的な「ジーサンズ」、ディズニー系もアニメ・実写とも視聴済みである。邦画もしかり。特にエンタメに振った「銀魂」は、後半タイトでハードな立ち回りもあるが、基本ギャグで楽しめるところがすごい。それでも当方は選りすぐって名作然とした作品しか手出ししない。
スイーツ映画に、どれほどみる価値があるのか…まあ確かに、笑って泣いて、大団円あるいはトンでも結末でヽ(・ω・)/ズコーになるか。「たのしかったね」で終わってしまう作品には、時間も金銭も投資しずらい。

だが、この「君の膵臓を食べたい」は、大人になった登場人物たちの日常を少し絡めることで、とてつもない奥行きを醸し出している。実は大人パートは完全なる創作ということで、普通こういう余分な物語りを入れ込むと散漫になったりするものだが、それが全く感じられない。冒頭の、図書館での回想と現実が入り乱れる演出は、ベタな部類であるものの、すんなりと物語に没入させる仕掛けにつながっている。
さて、実写であり、アニメーション映画化も決定している「キミスイ」。これと「君の名は。」を比べるのはアンフェアに映るかもしれない。だが、ストーリーを見てみると共通点がいっぱい出てくるのである。
そのキーポイントが「名前」である。

「君の名は。」では、お互いが誰かを知らず、瀧ちゃんは「お前は誰だ?」と問いかける。そしてそれに呼応するように三葉君は自分の左手に「みつは」と書いて名前を知らせるのである。入れ替わりが二人を親密にさせ、「瀧くん」「三葉」と、恋人気取りでお互いを呼び合うまでに。だがあの出会いと超常現象が、お互いの名前を分からなくさせてしまう。
ところが「キミスイ」はもっともっと異常だ。二人が二人とも相手のことを「君」としか呼び合っていないのだ。下の名前は言うに及ばず、苗字でも呼んでいない。これで恋愛感情が芽生えていくものだろうか…最初当方はこの危なっかしい関係の先行きを危ぶむ。だが、単に余命いくばくもない女の子の自由に付き合える胆力を春樹は持っていた。だから二人は急速に距離を縮め、分かちがたいほどのきずなで結ばれていくのだ。

「死」からの復活という面でも、「君の名は。」が表面上瀧が三葉を生かせたように見て取れるのとは反対に、「キミスイ」では、死は既定されたものであり、どんな奇跡も起こらない、と達観している桜良の常に笑顔な部分が死を強烈に浮かび上がらせる。最後の待ち合わせ。執拗に桜良のメールが表示される。ドラマを五万と見てきたものなら、これがシグナルであるとすぐに気が付く。

ラストシーンも対象的だ。探していた「誰か」に出会える二人。対して、最後のメッセージを受け取る大人になった主人公。なのに、ここだけは恐ろしい一致を見ている。
最後のセリフが映画のタイトルなのだ。

「キミスイ」鑑賞記でも書いたが、最後の最後でそう持ってこられると、完全にノックアウトである。十分泣けているはずなのにとどめを刺される。しかも今はいない桜良の声。こんな作品をよくも作ってくれたものである。

「涙」の性質は当然変わってくる。「君の名は。」は、瀧に、三葉に成りきって流す涙。そしてもう離れないと歌い上げる歌詞に涙するのだ。「キミスイ」は、二人の想い、生と死のはざまに居る高校生がお互いを思いやる気持ちがアツすぎて感動してしまうのである。

ここまでの名作だが、「キミスイ」は意外と伸び悩んでいる。こうした純愛ラブストーリーものがもっともっと評価(興行成績を上げる)されないと、本当に日本の映画産業はアニメーションに蹂躙されることになりはしないかと気が気でしょうがない。                                                                

アニメ映画比較検討倶楽部(2) 「君の名は。」vs「打ち上げ花火」

「君の名は。」の一年後に公開された、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」(以下、「花火」)。
原作はテレビドラマであり、1時間の尺に納まっていた45分程度。アニメーション映画になった時には、90分もの長丁場になっている。
ドラマではタイムリープは一回だけ。だが、アニメーション版では、数回やり直している。最終的に何とももやもや感の残るラストシーンは、リア充・「君縄分多し」とみていたカップルたちを絶望の淵に叩き落とす効果を生んだ模様である。

私自身は「どうせシャフトだし、どうせ新房さんだし」と思っていたので、ファンタジーに振った部分はあるだろうし、スパッと竹を割ったような結論にするとは思えなかった。「if」が根底にある作品だから、今はどんなタイミングの「if」なのかを分からせながらストーリーを進めていくだろうな、と思っていたが、あそこまで何度もタイムリープするとは思っていなかった。

都合が悪くなったらやり直し…まるでゲームのような世界ではないか!!しかも直前のセーブポイントまでは戻ってくれる。そんな子供じみた世界観だったわけである。そりゃ、大の大人/リア充にしてみれば頼りない、面白くない、と感じるのは当然といえよう。

その一方で、「君の名は。」は、死に直面していたかもしれない三葉を瀧が助けようとする局面の入れ替わりこそが重要である。今までの入れ替わりはネタフリ、2016年10月22日と2013年10月4日が奇跡的に交差する、そして、カタワレ時で感動の、そしてありえない奇跡の出会いを果たすのである。

「花火」では、ナズナが海中から拾った綺麗な球がキーアイテムとして描かれている。ところが、「君の名は。」では、入れ替わりが起こる理由も、タイミングも、きっかけとなるアイテムの存在も明示されていない。せいぜい私は2013年10月3日に三葉から瀧に組紐が渡り、同い年になったタイミングで初めて入れ替わりが起こった、という解析を示しているが、これとて独自分析の域を出ない。

「君の名は。」がヒットしたのは、単純に「二人がどうあれ再会できた」からに他ならない。名前は忘れていても、二人は常に「ずっと誰かを探していた」ままでコンクリートジャングル・東京で生活していた。岐阜・高山からほど近い大都会・名古屋の存在など忘れているかのような三葉の「東京一択」の姿勢はいぶかるところでもあるが、仮に彼女がどこにいたって「俺が必ずもう一度逢いに行くって」という瀧の情念にはかなわないとみる。
「花火」は、主人公たちが中一になったとしても、みている我々が自分自身を置き換えるように、そこまでタイムスリップすることはなかなかに難しい。それこそ中二病でも発症していそうな、一番とんがった時代。恋愛というものの発露がそろそろと顔を出し始める多感な時期にあって、アニメーションならではといえるような演出(ミュージカルスタイルだったり、最後のツーショットだったり)が軒を連ねたところはよかったのだが、いかんせん、序盤でやらかしているので、それらがすべて「?」とされてしまうのは如何ともしがたい。

原作のチョイスはよかったものの、作劇や納得のいく読了感が得にくかったのは間違いない「花火」。健闘はするだろうが、30の大台が目指せるかどうかに留まるのではないかと推察する。
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