多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

きみと波にのれたら

2019.7.14 大作尻目に 「きみと、波にのれたら」三回目鑑賞記

「トイ・ストーリー4」「ミュウツーの逆襲EVO.」で盛り上がる興行界隈。これにアラジンがまだ勢力を残したままなこともあり、劇場の日曜日はかなりひどい混雑になる。
しかも、TOHOサービスデーが被るとなると、その混雑に拍車がかかる。一応訪問可能なTOHO各地をみるのだが、満席を連発させているだけに、どれを見ようか悩む。
で、結局、新規開拓に至らず、三度目の「きみと、波にのれたら」を選択する。
館内は、あぶれたと思しき家族連れが多数散見され、男性ペア/女性ペアも一定数居た。後列に陣取った5人家族が最大。公開末期に等しい時期だが、日曜にしては60人強が入る善戦ぶりを呈した。

二度目の鑑賞記で、

 死を受け入れられないとはいえ、港が亡くなってから、画面上は一度も泣いていない(携帯ロックが解除されて、本来送るべきラインの内容を確認したときに上を向いて、涙をこらえている描写はあった)。


「それって本当だろうか」を確認したのだが、山葵と陽子が荷物をとどけてきた場面ではなかったものの、悪友二人に差し入りされるシーンでチョイスの悪さから港を思い出してしまい、ハンカチ取り出して泣いているシーンがあったので、完全に泣いていないわけではなかったと確認できた。携帯ロック解除のシーンもそこまで涙が来ているのだが、上を向いて必死にこらえているひな子が不憫でけなげである。

今回は私の中でも「〆」に当たる3回目鑑賞となったのだが、異常な事態に陥った。
それは、ウクレレに合わせて二人がカラオケボックスで歌う、世間では評価の低い「イチャラブ」シーン。ここで、あろうことか、涙腺が励起してしまったのだ。
火災現場での衝撃的な出会い。今となってははしご車で港が救いに来るという描写と、階段で律義に屋上まで来た山葵との対比にもなっているわけだが、ここからの二人の急接近と、それに伴う恋愛表現。どこにでもいそうな普通のカップルであっても、「おばあさんになるまで助ける」といった願望が必ずしも達成されるとは思えない。まして、分かちがたいまでの「ムスピ」が幼少期に紡がれていたと知れば、その喪失度合いは半端ない。
それを知らないで付き合っているのだ。港の側から「貴方は私を助けてくれたんです」などという告白がないことには違和感しか感じられないし、それを知らないでいる観客サイドからすれば、「なんだよ、なんでもっと早い段階で知らせてないんだよ」となる意見が出るのはむしろ普通の感覚である。

ではなぜ港は「その大事な情報」をひな子に伝えなかったのか?
そこにあるのは「恩の押し売り」ではなく、たまたま好きになってしまった人が命の恩人だった、ということが言いたかったから伝えなかったのではないか、と思うのだ。
「ずっと助けるよ」「ひな子が波にのれるまで」。そこまでなぜ港は思えたのか?それは、少なくとも「今の自分がいるのはひな子に助けてもらったから」が根底にあるのではないか? たまたま自分が消防士になってはしご車で窮地を救ったことで、その当時の借りは返した、だから対等に付き合える、今度は好きになった人を助けることが生きることになった、とするとこの重大な告白をしてもしなくても、そのための前提条件にはならないと港は判断したんだろう。

なんだよ、この男前っぷり!
港の無償の愛の凄さをこうやって解析すればするほど、ひな子が不憫になってしまう。彼女には、港=Port が必要だったのだ。それを奪うことになったサンタ扮装の水上バイクの面々には怒りしか覚えない。
「波にのる」ことの重要性。波=人生である、とはすでに初見で看破している当方だが、ファンタジックに振りすぎたラストのクライマックスであるとかが世間一般からするとありえなさ過ぎに映るかもしれない。それでも当方は、夏がやってくるたびに、「きみの声をとどけたい」とこの作品を思い出すことになるだろう。
そうこうするうちに遂に! 今週末からは、このコピペたちが本領を発揮するのでは、と思える状況が発生しかねない。

2019.6.28 「きみと、波にのれたら」2回目鑑賞記

朝一をガルパンで決めたこともあり、すんなりと三本目の鑑賞と相成る。それが、当方も傑作のレッテルを張らせていただいた「きみと、波にのれたら」である。

返す返すも、前半の描き方があまりにイチャラブ過ぎたところが評価のわかれるポイントになってしまったのが痛い。実は、濡れ場こそないものの、二人が愛を確かめ合っているシーンは描かれている。も・ち・ろ・ん、全裸を想起させるレイアウトで、である。ここらあたりで妙に醒めてしまった人もいたんではないか、と思ったりするのだ。

ここをこのようにしようと思った理由はいくつか挙げられようが、やはり私は「ここまでくどくどと書いたことで、二人の絆は固く、永遠に続いていてもおかしくなかった」とする設定を見せつけたうえで港を死に追いやったのだと思っている。そしてそれをオーラス手前のメッセージの代読まで引っ張ったことで、ひな子の涙腺を一気に崩壊させることにしたんだと思う。

死を受け入れられないとはいえ、港が亡くなってから、画面上は一度も泣いていない(携帯ロックが解除されて、本来送るべきラインの内容を確認したときに上を向いて、涙をこらえている描写はあった)。泣かずに何とか気丈に過ごしてきたはずのひな子。でも、「ずっと、ずっと」の連呼を聞いてしまう。永遠に続くはずの港との関係の「最後」がこのメッセージで締めくくられる。そりゃあ、今まで押さえていた喪失感、隣にいない実感が一気に勃興しておかしくない。

泣きの演技が下手、という指摘もあるし、そこは否定しない。だが、これまでの大泣きのシーンで比べると、やはり、一年目の片平嬢の泣きのシーンとは一線を画する。泣けばいいというものではないが、こんな風にうまく演じないことも重要なのかもしれないと思ったりする。上手いだけではなかったところを大きくほめたいと思う。

監督が初めて挑んだラブストーリー。うまくなくて当然である。もっと言えば、初回から大傑作を出そうものなら、大変なことになってしまう。湯浅監督だから、次は、もっともっとエモーショナルで、我々のハートをがっちりつかめる作品にしてくれるだろう。

映画 de 比較検討倶楽部(きみ波編) ◆屬み」タイトルは正解だったか?

ここ最近、どういうわけか「きみ」とか「君」、同一の意味合いの「your(ユア)」がタイトルだったり副タイトルに採用されている作品が多くなっている。
最たるものは、「君の名は。」だ。これ以降、原作持ちオリジナル含めて、「きみ」がタイトルに入っている作品が目白押しになる。
「君と100回目の恋」(未見)、「きみの声をとどけたい」、「君の膵臓をたべたい」「去年の冬、きみと別れ」(未見)、「ワンダー 君は太陽」、極め付きは「君は君で君だ」(未見)。そして、「ドラゴンクエスト」の副題には「Your Story」が入っているし、これからも2人称を使ったタイトルはいっぱい出てくると思う。

さて、この作品……「きみと、波にのれたら」。アニメ映画好きにしてみれば「また"きみ"使ってるよ」となる可能性もあるし、ポスタービジュアルのせいもあって、サーフィンをもとにつながったカップルの、成長物語と受け取る一定の層の"誤認"を無視するかのようなタイトルといえなくもない。

・君の名は。
時間軸のせいで、瀧も三葉も名前を覚えていられない。だからあのカタワレ時、彗星が落ちるその瞬間まで、二人は名前よりも重要なこと……お互いに逢うべきで、ムスバれるべきだと思いを募らせた。
・きみの声をとどけたい
ここで言う「きみ」は、登場人物ではなく、想いをとどけたい皆さん、という風に解釈する。想うだけではだめで、声にしないと届かない。そこに思いっきりフォーカスしている。
・君の膵臓をたべたい
そんな突拍子もないタイトルだが、そこに見え隠れするのは、悪くなった膵臓を治癒したい、と思うお互いの想いである。死に対してまっすぐに向き合うことの潔さに高貴なものを感じる。

「きみと、波にのれたら」。
この波を私はすでに「人生」「日々の生活」と置き換えている。まだ港が生きているときであっても、波の効能について彼が語りかける。最後のクライマックス、ふたりは声を揃える。これまでの王道ラブストーリーが過ごしたベッタベタの流れであっても、二人の想いが繋がるとき、それこそが別れにつながるのだ。
「波にのれるまで、ずっとそばに居る」。だから「きみが、波にのれたら」ではなく、「きみと、波にのれたら」なのである。

夏井先生ではないが、助詞の使い方は本当に難しい。それでも、ラブストーリーとして存在する、ファンタジー分多めのこの作品は、やはり「きみ」という言葉が重要な意味を持っていると思う。
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