多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

さよならの朝に約束の花をかざろう

2019.8.10-12 お盆のトリウッド2DAYS Α屬気萃」

「さよならの朝に約束の花をかざろう」。
2018年の公開初日に嬉々としてスクリーンに対峙した……させられた一本だったが、マキアではないが、「この映画を見られて、よかったです」といわせてくれる珠玉の一本であった。
初見評をどうぞ。
ただ、二ケタ回鑑賞に至っていないこともあって、円盤購入にまでは立っていない。
つまり、この名作を見たいと思ったら、レンタル等、ひと手間必要になってしまう。

そこへ降ってわいたのが、トリウッドの4作連続アニメ映画上映。フェイバリットであり、それこそ推しまくる2作を筆頭にしているのだから、この作品も当然のように入ってくる。

さよ朝は、いろいろな意味ですそ野が大きいのか、この4上映の中で初めてカップルが来訪。男性ペア一組、ソロ男性8/女性2。14名は、本日最高記録である。

冒頭のマキアがエリアルに出会うシーン。その前は、イオルフの惨状を遠目に見て、断崖から身を投げようとしていたはず。それを救った赤ん坊の泣き声。これがなかったら、今頃ストーリーは進んでいない。
骸になった母親からエリアルを取り上げようとするマキア。死後硬直をこのように描くとは、なかなかできるものではない。骨を折る一本一本に涙腺が反応する。
無二の親友たちと離れ離れになるマキアだったが、時代の流れが、彼らにえも言われる「別れ」を突きつける。レイリアは望まぬ結婚をさせられた挙句我が子を身ごもってしまい、それでも奪還を狙うクリムはそのことだけに生涯をささげてしまう。

「イオルフの民は別れの一族」であるといっていた長老。「誰かを愛すれば一人ぼっちになってしまう」。私は下界に降りた時、自分の長命と釣り合わないからそうなるのだと思っていた。だが、クリムとレイリアは、お互いを愛するあまり一人になってしまっているのだ。ここにこの作品の、そして全体を通底する意味というものを感じ取る。
だが、マキアは違っていた。母親としての役割を全うしつつ、人間として成長するエリアルを常に見守り続けていた。二人に血のつながりはないが、そこにあるのはそれをも超越した慈愛に他ならない。
合戦&出産シーンから、もう涙が止まらない。めったなことでは取り出さないフェイスタオルが劇場鑑賞で初めて取り出される始末。エリアルとマキアの別れのシーンは、もう駄目である。
だが映画はそれでは終わらない。余命いくばくもない(ほぼ絶命しかかっている)エリアルを見送るシーンでは、「行ってらっしゃい」というセリフが畳みかけ、回想シーンがまさしく滝のような涙を出させてしまう。そして、石見嬢渾身の泣きの演技で完全にノックアウトされてしまう。
エンディングの「ウィアートル」は、私が生涯かけて追い求めたい楽曲になったわけだが、それも含めて、この映画を知れたことはよかったと思っている。

ズルズルな顔を隠そうともせずにトリウッドを出る。
映画の持つ力に改めて感謝すると同時に、それを導き出してくれた新海誠という人物の存在に改めて敬意を表したい。

僕らのサンサン劇場、ふたたび 2018.5.24 「さよ朝」4回目鑑賞記

初見の鑑賞記で私はこう締めくくった。

  「キミコエ」クラスの、ヒットもしないまま埋もれていく類の作品ではないことも明らか。早晩、アニメ界隈がざわつくレベルの作品になることは確実だろう。というわけで、ようやく、2018年当方の映画鑑賞の中で暫定的ながら1位と言いたい作品が出てきた。

とはいうものの…後に出てきた「リズと青い鳥」の恐ろしいまでの出来の良さにこの作品ですらかすんでしまいそうである。ちなみにいまだに本作とリズとの一位争いに決着はつかないままである。

しかし、4回目鑑賞というこれがほぼラストになりそうな予感のする当作品の劇場での対峙。「4回」も見たのである。
巷では、ひとつの映画を複数回観るのはそれだけで特異だとされている。何となれば、それほど入れ込むことが普通ではないからだと思っていたし、事実私自身が「複数回観よう」と思った作品に出会わなかった/あったとしてもそこまで行動を起こすことはなかった。
それがどうだ。
気になった映画は、複数回観るのがデフォルトになりつつある。最多は言わずもがな、の「君の名は。」だが、「キミコエ」の9回、本作「さよ朝」4回、などなど。
とにかく良作に知り合えたなら、解析云々別にしてスクリーンに対峙することを止められなくなってしまったのだ。

「さよ朝」という作品は、いろいろな解釈ができるというところが特徴なのだが、そういう映画にはそうそう出会わない。家族愛、親子愛、血のつながり、生と死、人間の加齢と精神的成長、新たな命と消えゆく命、戦闘と出産。マキアとエリアルのような親子関係も、レイリアとメドメルのような破滅的な関係も、対比としてみてみると非常に深さを感じ取ることができる。血のつながりが大事ではない、逆に血が繋がっていても報われない親子関係もあるのだと知ると重さを実感できる。

それを感じに、またしてもサンサン劇場に向かう。貯めたポイントで見ることができると知って、ここはポイントで。チケットを押さえて近くのラーメン店で食事。
19:50スタート。購入時は8人だったが、順調に埋まり25人程度が鑑賞する。ほとんどがソロだったのだが、カップル1組、男性ペア1組が別にいた。
それにしても、これだけ客が呼べるのである。一応ファーストランという時間帯ではないが、まさに老若男女が集った、という言葉が実にふさわしい。私の右隣、通路を隔てた先には、私よりやや年上の白髪の男性が座ってきたりする。それだけで、この作品の持つ吸引力が説明できてしまいそうである。

2018年のアニメーション映画はこの作品で幕開けたといってもいい。だが、それは本当に始まりに過ぎなかったのだ、と後で知らされる。作品個別には、いまだに感涙ポイントで感情を抑えきれなかったりするのだが、それを序盤/中盤/後半/ラストとちりばめてくる段取りの良さ。そりゃ名作と言われて当然だろう。
満足しつつも、「これで最後か」という思いもよぎる。ソフト購入3タイトル目に至るかどうか。

2018.4.14 「さよ朝」3回目日本語字幕版@梅田ブルク7

初見の鑑賞記で私はこう締めくくった。

  「キミコエ」クラスの、ヒットもしないまま埋もれていく類の作品ではないことも明らか。早晩、アニメ界隈がざわつくレベルの作品になることは確実だろう。というわけで、ようやく、2018年当方の映画鑑賞の中で暫定的ながら1位と言いたい作品が出てきた。

そして、その予言はじわじわながら当たりの方向に向かっている。まず上映回数が少ないはずなのに、二桁鑑賞しているフォロワー氏の多さ。劇場がなかなか打ち止めしなくなるどころか新規上映が連発。初見で感動するツイッター民もいまだに散見されるなど、広がり度合いが肌で感じられるのだ。

それでも私自身は半信半疑だった。確かに名作だが「キミコエ」の例もある。どこまで本物かどうか、は確認してみるまでは断言しにくかった。
「さよ朝」のバージョン違い、字幕スーパー版が公開されると聞き、梅田ブルク7に。当初は企画一発目の金曜日を狙いたかったが、時間帯が合わず、断念。しぶしぶ二日目の土曜日にセットした。
だが、土曜18:15スタートの回は何と200席箱をあてがうかなりのやる気を見せる。そして、その強気な営業はかなりプラスに出たと思いたい。

そう。観客の埋まり具合がすごかったのである。開場と同時に私はインして動向を書きとどめるべくメモを取りだすのだが、カバンからメモを取りだすそのわずか一分足らずの間に劇場の雰囲気がガラッと変わるほど入れ込みが発生。慌ててカウントしようとしたが時遅し。次から次に席が埋まっていく。当方が購入した時点では50人足らずだったが、見事に100人超。ぎりぎり6割には満たなかったが、それでも2回目・3/4の80人を越える入込は確実。前回鑑賞から一か月たっているのに増えているのだから、これは「本物」ということができよう。

字幕が入ったことで時々気になっていたセリフの中の単語にも回答が得られる。なんといっても役名は本当に助かる。マキアが赤ん坊の名付けをしようとしたときに「レイリア」と女の名前、それも村に住んでいた親友と同じ名前を付けようとしたことも、うろ覚えだったのだが、今回のことではっきりした。

もちろん、ポイントポイントで涙腺がいろいろと働いてくれる。ラストの回想シーンは本当に反則技だ。マキアがいう「約束、破っちゃう」で感情の堰が切って落とされる。一陣の風が舞わせるタンポポの綿毛がにじんで見えるほどである。
そしてエンディング。彼女が出会う次の「別れ」は何なのか、誰なのか…伝説に生きるイオルフの民の苦難は今始まったばかりだったのか…。

さすがに拍手は起こらなかったが、3回以上見た作品としては4タイトル目。そこまで思い至らせる作品だといえる。
GW向け映画も、いろいろと飛び出してきそうな予感。それでもこの作品は琴線に大きく訴えかける良作であることは間違いない。
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