角川春樹氏といえば、素晴らしいプロデューサーでもある半面、晩節を汚し、一時期ショービジネス界から完全に村八分状態になっていた時期もあった(芸能界ではこのクラスの人がこの犯罪をやっても、復帰できてしまうところがいただけない/詳しく知りたければwikiなりみてください)。
彼の功績の一端は、やはりこのコピー……「読んでから見るか、見てから読むか」に代表される、書籍と映画の両方をヒットさせようとした元祖・メディアミックス型のヒットを画策したことにある。
今でこそ、映像化が原作本や版権商品化につながる一連の流れは当たり前なのだが、本屋が映像業界に殴り込みをかけることは、当時の映像制作会社からすれば驚きをもって迎え入れたことだろう。

その彼も高齢を理由に、監督業から引退すると公言、最終作になったのがこの「みをつくし料理帖」だった。
松本穂香、奈緒という2大看板を使った作劇、泣かせどころはここだ、といわんばかりの予告編。相も変わらず、「予告を本編が上回ることのない監督」なんて揶揄されることになりはしないだろうか、と不安に思ったことは偽らざるところである。

そして、この日……10月16日は、日本の興行界が湧きたつどころか爆発した一日であった。それだけ、「鬼滅の刃 無限列車編」の公開と、それに伴う興行成績は、すべての概念を打ち破ってきたのだ。
おかげで、本日初日、レイト回なのに、やってきたのは、10人強という、お寒い状況。鬼滅は、ソーシャルディスタンス何するものぞ、の、全席解放でも満席をレイト回が出しまくっていたのとは真逆すぎる内容だった。

映画本編は、正直言って、ほどほどに役どころを理解している役者さんの技量に任せたような演技が多く、監督の色、というものを感じにくかったという第一印象である。もちろん、逢いたいけれど、逢うことがかなわない、廓の掟が高低差を生む「キツネ語での会話」シーンであるとか、つる家の主人(石坂浩二)が、ご寮さん(若村麻由美)が質入れしたサンゴのかんざしを買い戻してあげるシーンなど、感動させる場面の作劇や演出は素晴らしい。だが……
得点は、ツイッターのファーストインプレッションでは92点にし、ヤフーも☆5にしたが、ここではやや落として89点にする。
その大半を占めるのが、カメラワークの前時代的な見せ方にある。一点にとどまらず、横スライドを多用していたので、画面が落ち着かないのだ。意図があるとは思えない、「画面を動かしていれば撮った気になっている」カメラにまずがっかりした。
次は、良かれと思ってやっている、役者の技量に任せて撮っている部分だ。最たるものは、曲者でもある、藤井隆の演技にある。戯作者という設定なのだが、彼だけが特異な役作りをしてしまっているせいで、彼の出てくる絵面がすべてうるさく感じられる。ラスト前の「べっこう玉」を食する場面でも、今までの積み重ねがあるので、まともに演じてしまうと、ギャップにとらわれるのだ。
そもそもにおいて、松本穂香嬢の感情の起伏の出せなさは何なんだろう? 泣かせどころくらいしか感情移入できないのでは、ポイントが低くなってもしょうがない。
と、あんまりいい面を書いていないように感じられるが、この作品のベストアクトは、間違いなく、若村麻由美演じるご寮さんである。これがあるから、全てが許されるし、「まだ見られる」位置に付いているのだ。中村獅童も、自分の半生をほうふつとさせるような生きざまが印象深かった。
ちょい役の反町、松山ケンイチにはど肝を抜かれる。あんな使い方ってすごい。

角川氏の監督最終作という触れ込みだが、澪と野江が一緒になるというラストカットが現実のものになるように、登龍楼の店主をコテンパンにやっつける続編が見たいと思った人が大半ではなかろうか?