多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

アニメーション

2018.9.6 歌が沁みた… 君の膵臓をたべたい 2回目鑑賞記

※旧記事を上書きしてしまったようで、タイトルは復元できましたが、内容は前記事と大きく異なっております。

「ペンギン・ハイウェイ」を終えて、5番スクリーンを脱出する。
何となれば、次の「キミスイ」のスタートまで10分足らずしかないからである。すでに入場も始まっているはずで、特典がなければ、うろうろせずにいきなり1番スクリーンにもぎられずに行くことも可能だったが、特典が読みたかったこともあり、まずは出口方向に向かう。
出口=入り口なわけで、Uターンせずにいきなりチケットを見せる。まさかの"攻撃"に、もぎり担当は一瞬ドギマギしていたが、それでも特典に当たる書き下ろしの小冊子を手渡す。

1番に向かう途中で、さっきまで見ていた同僚とその連れに鉢合わせ。「はしごするわ」というと「好きねぇ」と言われてそれっきり。彼女のペンギン評は聞けるものなら聞いてみたいところだ。
さて、1番スクリーンだが、今回も、男性陣ばかりの観客動向で唖然とする。260万部が売れたとされる原作小説を購入する層の大半はおそらく女性。彼女たちがスクリーンに大挙して座ったからこそ、スイーツ映画に属する実写版「キミスイ」は2017年の同ジャンルの中でも突出した興行を上げられたのだと思っている。以前にもあげた内容だが、もし「君の名は。」がもっと女性陣に訴求している内容なら、2000万人越えは確実だった。この作品も、女性に対する受けが悪いままでは、もともとの館数の少なさも相まって、さほど成績を上げられるとは思えない。今年のアニメ映画は、すっこけたあの人のおかげで、大したエポックもないままに終わりそうである。

9/1初日に見てわずか5日後に2回目。短期間に2回目に至った作品はそうないのだが、これは当作品を名作、感動作と位置付けたからではなく、また、動員を稼ぐという動機からでもない。「名作であるはずなのに感動できないのはどうしてか」を確認しに行った、という方が一番正しい。

で、その結論は出たのか…?
個人的には、まず、原作に寄り添っていることがやはり一番大きなポイントである。描かなかった部分は当然実写に比べて少ないし、セリフや一部描写で原作と違う部分こそあった(タカヒロ絡みの二人の芝居を路上でやったことと、花火のシーン)が、おおむね原作を映像化した、できたと胸を張って出せるものになっている。Lynnの桜良に関しても、初見ではうるさく感じたのも2回目見たことで慣れというか、こういうものなのだ、という風に理解が進んだ。遺書のシーンの春樹の肩に手を置くところ(星の王子さま的な演出の導入部)で、少しだけ感極まった。
だが、「生」をことさらに主張しなかったアニメ版だったな、という感想に関しては変わらない。実写版では、共病文庫を読むさなかに桜良の病状なども回想的に描かれ「ものが…食べられない」と、深刻になっていく部分を見せ「いよいよなのか」と思わせておいて退院させる。アニメ版の場合、その後に桜良の遺書を読ませることもあるから、ここでいきなり感情の起伏をもたらすのは得策ではないと考えたのだろうか?派手すぎた花火の演出で公園のハグのシーンの良さが少しだけスポイルされているのはバランス的に悪かった。

エンディングが流れてくる。歌詞とのマッチングで、またサビの良さに恋が成就しなかった二人を慮って、急に涙があふれてくる。映画としての完成度が曲によってさらに補完される。「君の名は。」で見せた、最終最後の余韻の保たせ方。生きている人たちがどう生きていくか、を問うラストの出来の良さは、12年間も恭子と関係を持とうとしなかった実写版に比べれば説得力は十分にある。

やや泣いた顔、赤い目を悟られぬよう劇場を出る。92点のファーストインプレッションは94点にまで伸長する。ところどころの作劇/舞台設定の甘さや泣きの演技に注文はつくが、たまあに思い返してみたくなる映像であることも確か。原作がとてつもなくいいから、映像化が失敗していることにはならなかったが、もう少し頑張ってくれていれば上位ランクもありえたのに、ということは少し残念でもある。

2018.9.1 ああ、実写版の出来が嫉ましい 君の膵臓をたべたい 鑑賞記

当方の「名作臭」を嗅ぎ分ける嗅覚。残念ながら、「未来のミライ」はソレほどでもなかったわけだが(初細田、をかなり意識してしまったところもあるか)、作品としての出来はそこまで悪くはないといえる。要するにこの作品がダメダメな部分はひとえに主人公に感情移入できない部分と、それを具現化しようとして失敗している作風のせいだといえる。

この作品のアニメ化に当方が小躍りしたのは言うまでもない。実写版は、小栗/北川と、大人になった主人公たちを動かすことに傾注するあまり、高校生パートの比率がやや少なく、原作とも乖離しているともっぱらの評判だったからである。
今作を見た結果、「小説を入手して、実写/アニメ版の比較検討倶楽部立ち上げ確定」となったわけだが、高校生の時だけですべてを構築できたアニメ版は、実写に比べていろいろ感動できる部分が多く感じられると思っていた。

公開初日がファーストデー。狙いすましたように当方もここに焦点を合わせる。すでに購入してある前売り券を利用せず、ここは現金での購入一択。
劇場に一番乗りを果たし、早速データどり。ところが、どういうわけか、男性客の比率が半端ないのである。それにもまして、デートムービーであるはずのこの作品なのに、カップルの少なさは目についた。OSシネマズハーバーランドの1スク/公開初日/夕方回なのに満席には至らず、70人弱。男女比は2:1、男性ペアも意外に多く、平均年齢は30代前半とする。おそらく、「様子見」されている感じなのかな、と思う。

ストーリーは、いきなりの葬儀の場面から。思い直して実写を見ると、後半に出棺のシーンこそあれ、告別式の風景はなかった。泣き崩れる恭子がかわいそうになってくる。そして、物語は始まっていく。
ほぼ実写と同じ流れを踏襲しているのだが、「君は、本当に死ぬの?」のくだりは、初夏を感じさせる海岸でのワンシーンになっていた。実は当方、「そろそろだな」と思いつつ、予想していた通りの展開に一人ガッツポーズを決める。だが、屋上の壁にもたれかかり「死ぬよ」と言われる、浜辺美波嬢の演技がフラッシュバックして、「あ、こりゃ実写の方が上だわ」となってしまう。
アニメの舞台は、富山/高岡周辺(地名は変えてある)。実写が滋賀をメインにしていたのとは異なる。だが、GW旅行に向かう先は「博多」で同一。ラーメンの描写は、クレジットに「一幸舎」の文字があったのだが、実写同様、ベタな店舗でやってほしかったところ。太宰府天満宮のお参りは意外にあっさりスルーされ、実写が念入りに書いたのとは趣を異にする。
泊まるホテルは「ヒルトン」で同一。ブッキングミスの件も実写と同様。そこからの展開もほぼ実写に寄せている感じがする。このあたりの原作からの改変はなかったと思われる。
実写との大きな変化は、この中盤あたりから顕著になってくる。「最後の桜が見たい」と北海道旅行を計画するのが実写であるが、桜前線の最終到達時期は6月。アニメ版では、退院の日に海に行く、という描写になっている。つまり夏休みに入っているということだ。2か月以上も実写は端折ったことになる。
この、原作と同様の期間が表現されたことで可能になったのが、実写版では描かれなかった、花火大会をバックにしたツーショットである。ここは正直度肝を抜かれたし、背景に流れるsumikaの楽曲が雰囲気をさらに盛り上げる。
ここからは、桜良の死に至る描写ということになるのだが、「襲われた」表現がアニメ版にはない/実写では死を知るのは街頭テレビだが、アニメでは自宅テレビなどなど。
共病文庫を受け取りに行くシーンは、実写に寄り添うように作劇したのか、と思えるような、リビングでのシーンにしてある(原作では、祭壇にお参りしたのちに、その場所で共病文庫を渡されている=畳の部屋)。「お門違いなのはわかっているんです。でも、泣いていいですか?」だが…高杉の派手すぎる号泣は、せっかくのそれまでの芝居を台無しにする。実際、泣いたことがないのか、そういう指示が出たのか…それに比べて、北村君の号泣は、品もあり、徐々に盛り上がっていく感じがさらに観客を泣かせにかかる。軍配は明らかに実写である。
それは、ラスト直前に仕込まれた恭子にも言えることだ。なぜ黙っていたとなじられ、挙句ビンタまで…。約束を守り、恭子に知らせなかった彼らしい選択だったとは思うが、原作通りだとして平手打ちするものだろうか…。共病文庫を読み、泣き崩れるのだが…あーあ。ここも大人恭子たる北川の「知らされないで読んだ時の驚きと悲しみを即興で演じた泣き」に勝るはずがない。そして、このときに言ったセリフが「友達になってくれませんか」。そりゃぁ、これが原作だから仕方ないかもだが、やや唐突感は否めない。
エンドロール後、恭子はガム君といい仲になっていることを渡されるガムで知ることになる。これは、まさに大人恭子が大人ガム君と結ばれていくことと符合する。山内家のお墓参りをする、夏の暑い日で物語は終わる。

さて、採点である。
実は『高校生時代だけではストーリーが希薄になる』とは思ってもいなかった。つまり、実写は美味しいところ/エッセンスを取り出して高校生パートを作り、大人パートとのつながり・・・スマイルマークであったり、「星の王子さま」であったり、そこに挟んであった遺書だったり(アニメ版=原作は、共病文庫の巻末にまとめてしたためられていた)を利用して、盛り上げたものだった。
今回「純粋に原作をアニメ化した」この作品に「生」を感じ取れなかったのは、実は大きなショックだった。それは演じる側というより、演出/脚本の問題のように思ったりしている。この作品の未来を描き、厚みをつけた実写版が評価が高いのは、原作改変より、高校生パートも大人パートも、繋がりが感じられ、生きていることに対する表現が秀逸だったからに他ならない。
単体で見た時に「原作準拠」なところは大きく評価できる。もちろん、実写版を見ないで見ていたとしたら、突然の「死ぬよ」でうはぁ、になっただろうし、生きる意味を述べる、「選択したから今がある」のセリフたち、そういった原作のエッセンスがしみわたっていっただろうと思う。
だが・・・

得点は92点とする。
重病に冒される人間が生と死のはざまで葛藤するこの作品。アニメーションでやると、どうしても嘘くさいのだ。先ほども書いたが、「生」を感じ取りにくいのだ。入院し、徐々に悪くなっていく描写が実写版にはあった。あれがあるから、この病気に対する憎しみも起こり、それに蝕まれ儚く命を散らさねばならない彼女がいとおしくなってたまらなくなるのである。アニメでは、一進一退を繰り返すはずの、病気に対する掘り下げが全くと言っていいほどできていなかったように思う。それは原作通りに描いてしまった(拡大解釈や、実際の病状の取材等をせず文脈だけで描いた)から、と思っている。

もちろん、この作品の映像化自体は、改変していないアニメーション版を正にしたい。であるがゆえに、もっともっとブラッシュアップすべきところはあったんではないか、と思わざるを得ない。たしかに原作にない描写は、あの花火のシーンだけだが、忠実なのも良し悪しなところがあるということだ。
劇伴はなんと「羊と鋼の森」を担当した世武裕子氏。これがビビッと入ってきたことで、名作然としたBGMになるだろうとは思ったのだが、これは大当たり。だが、それだけでは後世にまで伝えられるような作品にまで昇華するのは難しい。
声優二人は可もなく不可もなく。抑制的なトーンでしゃべる高杉氏の演技はほぼ及第点。ただ一点を除いては…

2018年も残すところ3か月。あとに控えるのは「若おかみは小学生!」と「夏目友人帳」くらい。大きくランキングをゆるがせる作品になれなかったのは少しだけ残念である。

僕らのサンサン劇場、ふたたび 2018.5.24 「さよ朝」4回目鑑賞記

初見の鑑賞記で私はこう締めくくった。

  「キミコエ」クラスの、ヒットもしないまま埋もれていく類の作品ではないことも明らか。早晩、アニメ界隈がざわつくレベルの作品になることは確実だろう。というわけで、ようやく、2018年当方の映画鑑賞の中で暫定的ながら1位と言いたい作品が出てきた。

とはいうものの…後に出てきた「リズと青い鳥」の恐ろしいまでの出来の良さにこの作品ですらかすんでしまいそうである。ちなみにいまだに本作とリズとの一位争いに決着はつかないままである。

しかし、4回目鑑賞というこれがほぼラストになりそうな予感のする当作品の劇場での対峙。「4回」も見たのである。
巷では、ひとつの映画を複数回観るのはそれだけで特異だとされている。何となれば、それほど入れ込むことが普通ではないからだと思っていたし、事実私自身が「複数回観よう」と思った作品に出会わなかった/あったとしてもそこまで行動を起こすことはなかった。
それがどうだ。
気になった映画は、複数回観るのがデフォルトになりつつある。最多は言わずもがな、の「君の名は。」だが、「キミコエ」の9回、本作「さよ朝」4回、などなど。
とにかく良作に知り合えたなら、解析云々別にしてスクリーンに対峙することを止められなくなってしまったのだ。

「さよ朝」という作品は、いろいろな解釈ができるというところが特徴なのだが、そういう映画にはそうそう出会わない。家族愛、親子愛、血のつながり、生と死、人間の加齢と精神的成長、新たな命と消えゆく命、戦闘と出産。マキアとエリアルのような親子関係も、レイリアとメドメルのような破滅的な関係も、対比としてみてみると非常に深さを感じ取ることができる。血のつながりが大事ではない、逆に血が繋がっていても報われない親子関係もあるのだと知ると重さを実感できる。

それを感じに、またしてもサンサン劇場に向かう。貯めたポイントで見ることができると知って、ここはポイントで。チケットを押さえて近くのラーメン店で食事。
19:50スタート。購入時は8人だったが、順調に埋まり25人程度が鑑賞する。ほとんどがソロだったのだが、カップル1組、男性ペア1組が別にいた。
それにしても、これだけ客が呼べるのである。一応ファーストランという時間帯ではないが、まさに老若男女が集った、という言葉が実にふさわしい。私の右隣、通路を隔てた先には、私よりやや年上の白髪の男性が座ってきたりする。それだけで、この作品の持つ吸引力が説明できてしまいそうである。

2018年のアニメーション映画はこの作品で幕開けたといってもいい。だが、それは本当に始まりに過ぎなかったのだ、と後で知らされる。作品個別には、いまだに感涙ポイントで感情を抑えきれなかったりするのだが、それを序盤/中盤/後半/ラストとちりばめてくる段取りの良さ。そりゃ名作と言われて当然だろう。
満足しつつも、「これで最後か」という思いもよぎる。ソフト購入3タイトル目に至るかどうか。
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