多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

コラム

これで准教授が務まるんだから…

やなせたかし大先生の一大名跡でもある、「それいけ!アンパンマン」。そういえば、やなせ氏がなくなったのもつい最近でしたか…(2013.10月だそうです)。

私自身は、紋切り型のストーリー展開、悪役と善がはっきり色分けされている点、そして、バイキンマン自体は大悪党ではないという点も含めて、勧善懲悪型であり、幼児が主視聴者になる番組としては、平易過ぎて、訴えかけるテーマも何もあったものではないと思っていた。

そんな分析しかできないようでは、大学の准教授にはなれないようなのだ。沖縄国際大学人間福祉学科准教授氏が新聞に寄せたコラムが掲載されていると、まとめサイトで紹介されたので、全文をゲットする意味合いもあって通読してみた。
→タイトルは『「アンパンマン」と「正義」の功罪』かの赤めの新聞、沖縄タイムスです

論点自体はやや面白い。「紋切り型の勧善懲悪型」のストーリーは、『「正義」を活用した、攻撃性放出ストーリーだと思います。やっつけるためのストーリーなんですよね』(『』内抜粋)というふうに変換されてしまっている。先に攻撃なり、悪さをしたことは忘れ去られ、反撃すると「それは攻撃だ」といっているのと同じである。


もう、この一言を抜粋しただけでこの准教授が何を言いたいのかわかってしまった。

−−−沖縄にアンパンマン(正義の鉄槌)はいらない。仮に攻め込まれても唯々諾々と了承します−−−

まあ、沖縄県人の意見であり、大国におびえる立場というものも理解できないわけではない。しかし、沖縄県人を教育(洗脳)する立場の人間が、幼児用童話的なアニメーションを使って、正義について忖度するのは、原作者である故やなせ氏を十分に蹂躙していることになりはしないだろうか?
そもそもやなせ氏の「正義」の定義は以下のようなものである
→当方のブログ記事より抜粋
  「アンパンマン」を創作する際の僕の強い動機が、「正義とはなにか」ということです。正義とは実は簡単なことなのです。困っている人を助けること。ひもじい思いをしている人に、パンの一切れを差し出す行為を「正義」と呼ぶのです。なにも相手の国にミサイルを撃ち込んだり、国家を転覆させようと大きなことを企てる必要はありません。アメリカにはアメリカの“正義”があり、フセインにはフセインの“正義”がある。アラブにも、イスラエルにもお互いの“正義”がある。つまりこれらの“正義”は立場によって変わる。でも困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても「正しいこと」には変わりません。絶対的な正義なのです。

ちなみに准教授氏も、戦争が起こるきっかけを『正しさと正しさが衝突する、戦争の構造』と、正しく論破しており、このあたり、教鞭をとっている片鱗はうかがえる。しかし、彼が持ち出している正義を見た時にやなせ氏は多分、烈火のごとく怒るだろうと思う。「そういう考え方だから、戦争につながるんだ」と。

正直、だらだらと書かれてある印象であり、中盤以降はややこしく書いて読者を煙に巻くような筆致になっているあたりも、ヒダリマキ臭全開である。アンパンマンの反撃に文句を言う=専守防衛・対抗措置すらも認めない という、まさにやられ放題で良しとする文にしか読めないのは私だけであろうか?沖縄が、日本が他国の手にわたっても構わない、と思っている可能性のある人間がこういうコラムを書くと、『迷いのない正義は要注意』 という締め言葉になってしまうという、典型的な例である。

比較検討倶楽部、再び(4)描かれた災害をどう見る?

いよいよ「ごちそうさん」も戦後編(とはいってもあと2週で終わりなのだが)に入り、最終回の展開が見ものではある<戦後すぐの描写で終了と思っていたのだが、闇市のシーンやらいろいろあるようなので、戦後数年間は描かれると思われ、その部分では当方の予想としては外れてしまった>。
まあ、闇市のシーンなどはどちらかと言うとオープンセットでも作って、開放的にやっていただきたかったところだが(もうセット臭が半端ない/このあたりは大阪製作の限界か)、そんなに予算もない状況で作るのだから仕方ないといったところか。

さて、当方が日々巡回しているブログでおなじみのcoffee氏ブログが、なんと、当方の手法を真似て<イヤイヤ、チガイマスカラwwww>比較検討倶楽部をやってしまったのだった。とはいっても、違う視点からのものであり、どちらかと言うと問題提議に近いものであった。→こちら。

それに触発されたわけでもないが、ドラマの中の災害に関する描写や主人公達の心情と言うものは、比較に値するのではないか、と思い立ったのである。
実は「ごちそうさん」では、2つの災害・・・関東大震災と大阪大空襲を描いている。前者は、いわゆる支援をする側として、後者は実際の当事者(被災者)としてであるが、前者の場合、一人の女性をターゲットにして、その人の心が食によってほぐされていく、と言う形でとげとげしかった彼女を立ち直らせた。後者では、被災しながらも、闇市での商売や人探しに奔走する登場人物たちのけなげな姿が書かれるものの、それが安住の地ではないことが提示されて、視聴者に一種の不条理を提示していく。
ブログでは、「ごちそうさん」の主人公の夫が、防空演習中に消火せず逃げろと叫んだことで、命令違反を犯したとして逮捕される場面について書かれている。焼夷弾の威力を考えたときに、消すことに集中するあまり、逃げ場を失うと言うことをもっと早くに提示し(そもそも、演習の範囲内で収めようとしなかった夫のやりすぎの感はある/幼いころの自身の災害もトラウマになっていたと考えられるのだが)、根回しをしておけば、ああいう事態には至らなかったと見る。ちなみに焼夷弾の威力をまざまざと、見せ付けてくれる映画が、アニメーション映画「火垂るの墓」の前半のシーンである。
一方、「あまちゃん」は東日本大震災をあくまで背景と言う風にしか描写しないことで、2年前の出来事を極力「あったけれど、皆さん、ご存知ですよね」と言うような見せ方でとどめている。このやり方にした理由はただひとつ。大震災が主役や脇役になってしまっては困るからである。津波に襲われた町をあえて提示しなくても、十分に分かる描写で済まそうとした(ニュース映像はもとより、音声すらはっきりと見える/聞こえることはしなかった)ことで、事態の重大さを分かってもらおうとした高度な演出であった。なので、それこそ、自衛隊が出てくれば、ドラマの雰囲気も何もかもぶち壊しになる。出さなかったのは「そういう震災テーマのドラマと違うでしょ?」と言うクドカンの絶妙なツッコミが入りかねないわけで、この部分、coffee氏が言っていることが何でも正しいとは思えないところなのでもある(正確には、産経新聞のコラムに同調した記事と言うことになる)。

ドラマでの役割の違いを理解しているのならば、災害に対する向き合い方が変わっていて当然。新聞も、右系・左系は別にして、「ドラマを咀嚼してみていないことを堂々と書いてしまう」ようでは、早晩、お役御免を言い渡されかねないだろう。
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