当方が大学生時代のカラオケボックス事情は、今とは比較にならないほど高額だった。新曲の配信はほぼ2週間後くらい。月一で更新される「歌本」(当方は「電話帳」なんて呼んでいたりしたが)がまだ健在だったころ、と言えばだいたいの見当もつくというものである。もちろん、まだレーザーディスクwwwとかでカラオケをしていたスナックがあったころであり、さすがに8トラでやっている店は見つけていない。
→この鳥が懐かしく思えて、ネットで拾ってみました。このころのパイオニアって飛ぶ鳥を落とす勢いだったんですけどね…
そんな私も何とか大学を卒業、某家電メーカーの配下企業の末席を汚すことになる。このとき同期として入社した彼が私のカラオケ人生を大きく変えた一人であるといってもいい。
大学一年の時に比べて、当時のはやりでもあったB'zやスタレビなどが、かなり十八番として手のうちに入れていた。もう少し時代が下るとビジュアル系とかが席巻することになるのだが、このとき、当方のレパートリーは40曲ほど。それでも80年代の曲も散見されたし、同じ部署には年配の方もいるということで、演歌にも触手を伸ばしたりしていた。
だが、同期は、根本からして違っていた。声量があることに加えて、バリトンばりの低音も響き渡る。なにより、腹式呼吸で歌っているのがありありとわかる、朗々とした歌いっぷりに惚れこんでしまう。これを縦横無尽に使いこなしていく。小手先の当方がネタ切れになっていくのをしり目にほぼマイク独占状態を現出させるほどになっていく。おそらく、かなり学生時代に歌いこんでいたのだろう。
そして、その彼が最も十八番にしている曲がこれだった。
→伊藤敏博 サヨナラ模様
この曲を初めて披露された時、衝撃が走ったのを今でも覚えている。
何しろ、「ザ・ベストテン」でも上位にランクインしたことがあり、なんどかご本人が生で歌っているところも見ていた。彼が元国鉄の車掌であったという出自にも惹かれるものがあり(そう。このころのおいらは鉄道オタクでもあった)、この曲以来鳴かず飛ばずで、彼が選曲し披露するまで、そんな幼少期の想い出すら忘れてしまっていた。
後半の「ねぇ」が連続するあたりは、当時の世相というか、曲調をほうふつとさせる。「飛んで」が連続した夢想花を例に引くまでもなく、この同一フレーズを畳みかける手法は、80年代ポップス(フォークと言うべきか)の一表現方法でもあった。
ことあるごとにこの曲を歌う同期。いつしか「おいらも手のうちに収めてやる」と意気込むわけだが、彼と対決をする前に、当方が地元に帰る決断をし、それ以来、当時の同期とは疎遠になっている。
そして現在。この曲は、当方のレパートリーの中でも上位に位置する「飛び道具」として君臨している。喉が温まった後半限定にしているとはいえ、前半のしっとりとした曲調とは真逆のせわしなさに、爆笑を誘うことがわかっているので、特に当方の歌を初めて聞く面子には必ず披露することにしている。
→この鳥が懐かしく思えて、ネットで拾ってみました。このころのパイオニアって飛ぶ鳥を落とす勢いだったんですけどね…
そんな私も何とか大学を卒業、某家電メーカーの配下企業の末席を汚すことになる。このとき同期として入社した彼が私のカラオケ人生を大きく変えた一人であるといってもいい。
大学一年の時に比べて、当時のはやりでもあったB'zやスタレビなどが、かなり十八番として手のうちに入れていた。もう少し時代が下るとビジュアル系とかが席巻することになるのだが、このとき、当方のレパートリーは40曲ほど。それでも80年代の曲も散見されたし、同じ部署には年配の方もいるということで、演歌にも触手を伸ばしたりしていた。
だが、同期は、根本からして違っていた。声量があることに加えて、バリトンばりの低音も響き渡る。なにより、腹式呼吸で歌っているのがありありとわかる、朗々とした歌いっぷりに惚れこんでしまう。これを縦横無尽に使いこなしていく。小手先の当方がネタ切れになっていくのをしり目にほぼマイク独占状態を現出させるほどになっていく。おそらく、かなり学生時代に歌いこんでいたのだろう。
そして、その彼が最も十八番にしている曲がこれだった。
→伊藤敏博 サヨナラ模様
この曲を初めて披露された時、衝撃が走ったのを今でも覚えている。
何しろ、「ザ・ベストテン」でも上位にランクインしたことがあり、なんどかご本人が生で歌っているところも見ていた。彼が元国鉄の車掌であったという出自にも惹かれるものがあり(そう。このころのおいらは鉄道オタクでもあった)、この曲以来鳴かず飛ばずで、彼が選曲し披露するまで、そんな幼少期の想い出すら忘れてしまっていた。
後半の「ねぇ」が連続するあたりは、当時の世相というか、曲調をほうふつとさせる。「飛んで」が連続した夢想花を例に引くまでもなく、この同一フレーズを畳みかける手法は、80年代ポップス(フォークと言うべきか)の一表現方法でもあった。
ことあるごとにこの曲を歌う同期。いつしか「おいらも手のうちに収めてやる」と意気込むわけだが、彼と対決をする前に、当方が地元に帰る決断をし、それ以来、当時の同期とは疎遠になっている。
そして現在。この曲は、当方のレパートリーの中でも上位に位置する「飛び道具」として君臨している。喉が温まった後半限定にしているとはいえ、前半のしっとりとした曲調とは真逆のせわしなさに、爆笑を誘うことがわかっているので、特に当方の歌を初めて聞く面子には必ず披露することにしている。