これまで、当方も、幾人の訃報に接し、そのたびに色々とコメントをこのブログでしたためてきている。
人の死ははっきり言って避けられないし、一寸先は闇、である。これまで著名と言われる声優氏の死去のニュースに接してきたのだが、基本、主役を張ってきた富山敬氏や山田康雄氏、内海賢二氏や永井一郎氏と言った脇役主体の人であっても「ああ、あの人を当ててた人じゃん」となって、一気に喪失感が充満することなってしまう。
そんな中にあって、また一人、名脇役でもあり、一度聴いたら忘れられない、特徴ある声の持ち主が、一人、鬼籍に入ってしまわれた。
ドラえもんシリーズのジャイアンと言えば、あの世界観の中では、ガキ大将、暴れん坊として書かれる半面、親に対しては一転、従順で、叱られると青菜に塩のごとくになってしまうという、いまどきの子供にはないキャラクターである(昭和40年代には、こういう、粋がった「ガキ」と言ってもいい子どもはそこらじゅうにいた。それがヤンキーの源流であり、更生しなかったものが暴走族や今でいう半グレ→暴力団に進化していく)。
そのジャイアンの、暴君ぶりをこれでもかと体現し、ストーリーを盛り立ててきた、声優・たてかべ和也氏が80歳の天寿を全うされたのである。
もちろん、今現在、すべてのキャストが大転換されており、サザエさんの波平役・永井一郎氏のように、旅先で急死→差し替え間に合わずしばらく放送→ようやく代役選定 というあわただしさはなく、これからも、放送自体は何事もなく続いていくことだろう。
しかし、長年培ってきた「看板」をかけ替えることに当時は猛反発もあった。ただ、全体的に「寂寥感」はあったものの、担当していた声優諸氏には、「やりきった感」は感じられる最後のインタビュー映像がYoutubeにアップされていた。→こちら(元画像がもう一つですが勘弁)
残念なことに、画像で初めて顔を見て「この声の人ってこんな顔だったんだ」となってしまうのが声優の悲しい性。今でこそ、やれCDだ、コンサートだ、はたまた映画やドラマだと、顔バレできてナンボの商売になりつつあるわけだが、著名声優ほど、顔出しで出演することは今まで避けられてきていた。むしろ「声がパスポート」であるかのように。
彼の功績は、ジャイアンばかりではない。昭和を代表するいろいろなアニメーションに精力的に参加。ど根性ガエルのゴリライモ、ヤッターマンのトンズラーなど「ああ、あの人」と想いを新たにした人も多かろう。
虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。主役級でなくても、死去したときに、名前が出てくるのが芸能人。しかし、今の声優業界では、「芸能人/声優です」と胸を張れる人はいったいどのくらいいるのだろう。ブームに踊らされ、特徴のなさ過ぎる声ばかりで、誰がやってもさほど変わらなくなってきている配役に、たてかべ氏レベルの、印象付けさえできていない状況で、「○○さん、死去」とニュースにしてもらえるのかどうか…。今の声優に求められているのは、没個性ではなく、とんがった、特徴ある唯一無二の特性なのではないか、と思わずにはいられない。
彼を偲んで、やはりこれでお送りしたいと思う。合掌。
人の死ははっきり言って避けられないし、一寸先は闇、である。これまで著名と言われる声優氏の死去のニュースに接してきたのだが、基本、主役を張ってきた富山敬氏や山田康雄氏、内海賢二氏や永井一郎氏と言った脇役主体の人であっても「ああ、あの人を当ててた人じゃん」となって、一気に喪失感が充満することなってしまう。
そんな中にあって、また一人、名脇役でもあり、一度聴いたら忘れられない、特徴ある声の持ち主が、一人、鬼籍に入ってしまわれた。
ドラえもんシリーズのジャイアンと言えば、あの世界観の中では、ガキ大将、暴れん坊として書かれる半面、親に対しては一転、従順で、叱られると青菜に塩のごとくになってしまうという、いまどきの子供にはないキャラクターである(昭和40年代には、こういう、粋がった「ガキ」と言ってもいい子どもはそこらじゅうにいた。それがヤンキーの源流であり、更生しなかったものが暴走族や今でいう半グレ→暴力団に進化していく)。
そのジャイアンの、暴君ぶりをこれでもかと体現し、ストーリーを盛り立ててきた、声優・たてかべ和也氏が80歳の天寿を全うされたのである。
もちろん、今現在、すべてのキャストが大転換されており、サザエさんの波平役・永井一郎氏のように、旅先で急死→差し替え間に合わずしばらく放送→ようやく代役選定 というあわただしさはなく、これからも、放送自体は何事もなく続いていくことだろう。
しかし、長年培ってきた「看板」をかけ替えることに当時は猛反発もあった。ただ、全体的に「寂寥感」はあったものの、担当していた声優諸氏には、「やりきった感」は感じられる最後のインタビュー映像がYoutubeにアップされていた。→こちら(元画像がもう一つですが勘弁)
残念なことに、画像で初めて顔を見て「この声の人ってこんな顔だったんだ」となってしまうのが声優の悲しい性。今でこそ、やれCDだ、コンサートだ、はたまた映画やドラマだと、顔バレできてナンボの商売になりつつあるわけだが、著名声優ほど、顔出しで出演することは今まで避けられてきていた。むしろ「声がパスポート」であるかのように。
彼の功績は、ジャイアンばかりではない。昭和を代表するいろいろなアニメーションに精力的に参加。ど根性ガエルのゴリライモ、ヤッターマンのトンズラーなど「ああ、あの人」と想いを新たにした人も多かろう。
虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。主役級でなくても、死去したときに、名前が出てくるのが芸能人。しかし、今の声優業界では、「芸能人/声優です」と胸を張れる人はいったいどのくらいいるのだろう。ブームに踊らされ、特徴のなさ過ぎる声ばかりで、誰がやってもさほど変わらなくなってきている配役に、たてかべ氏レベルの、印象付けさえできていない状況で、「○○さん、死去」とニュースにしてもらえるのかどうか…。今の声優に求められているのは、没個性ではなく、とんがった、特徴ある唯一無二の特性なのではないか、と思わずにはいられない。
彼を偲んで、やはりこれでお送りしたいと思う。合掌。