フェデリコ・フェリーニの名前くらいは、映画ファンになる前から知っていた。とはいえ、「名前だけ」であり、どんな映画を撮ったのかとか、どういう作風なのかとかは全く知らないままで過ごしてきている。
この映画のあらすじは、といえば、フェリーニ作品に感銘を受けた、世間知らずの少女が単身イタリアに渡り、そこで出会う様々な人間模様とどう向き合うのか、というところなのだが…こうも傑作だったとはびっくりした。

シングルマザーという家庭環境の中で育ったルーシーが初めて向かった会社の面接は、思っていたものとは違いルーシーは逃げ出してしまう。そこで出会った「フェリーニ」作品に、彼女は心を奪われていく。
「フェリーニに逢いたい」の想いを募らせるルーシー。しかし、意外にも、母には死期が迫っていた。「二人でローマに行こう」というのだが、病気を理由に断り「あなた一人で行きなさい」とむしろ迫る母親。幾日かの葛藤の末、彼女は一人旅だっていく。

そこからの女一人旅。彼女を待ち構えていたのは、それこそ世の中、しかも外国の荒波である。なぜかローマには行けずベロナと言う都市にいるルーシー。そこで夜歩いているさなか、芸術家のパーティーに誘われるルーシー。だが、そこで展開されていたのはまるでフェリーニが描く世界のような、いや、むしろ大いに意識した人たちで彩られていた。映画談義にも加わるルーシーだが、フェリーニに一途な彼女にとって、今のイタリア映画がどうなどとはわからないとしか答えようがない。
そして、彼女は運命的な出会いを、寄りにもよって「ロミオとジュリエットのバルコニー」ですることになる。あえて「ジュリエットの像」を何で出したのかな、と思ったら…右の胸に触ると恋愛成就、結婚できる、という伝説があるようで、それをやったかどうかまではしっかり見れていなかった。さらに付け加えるなら、あのバルコニーは、物語の後付け。それは知らなかったです(多分映画・ミュージカルの影響。でも史実まで変えてしまう映画の魔力)。
そこでのカフェでのワンシーン。影膳よろしく、母親の写真をカプチーノに添えるルーシー。そのあまりの「ネタ振り」にしてやられる。本人は「元気」な母しか想起していないのだが、我々観客には「そんな、縁起でもない・・・」となるシーンである。
そして別れようとするのだが…ここからの作劇はまさにイタリア映画。まさしく「恋人も濡れる街角」である。こんな自然なラブシーンはむしろ衝撃的ですらある。
だが、彼女の中にはフェリーニがいる。電話をかけるとすぐさまローマにやって来いという。逡巡するルーシーだが、彼女は出立しようとして…いや、ここのシーンが単なる流れではなく伏線になっているとは思いもよらなかった。
そしてまた彼女は間違える。結果事務所からはもうアポは取れないと最後通告。打ちひしがれる彼女を救った?のがベニスの青年だったのだが…この部分の性急さは、イタリアの「影」の部分をほうふつとさせる。駆け込んだ家から実家に電話をかけ、事実を知らされるルーシー。だが…泣きの演技はもう一つ。
でも収穫もあった。フェリーニの映画がきっかけで結婚?した夫妻の家だったのだ。そこで実家の住所を教えてもらうルーシー。ローマまでヒッチハイクを試みて成功。遂に実家を見つけるのだが…

フェデリコ・フェリーニは、1993年10月31日に死去している。心臓発作ということらしいのだが、私は、なぜ彼の家の玄関に花が刺さっていたのかの理由がその時はつかめていなかった。おそらく、彼女は死後・・・11月に入ってから訪れたとみているのだ。ちなみに映画冒頭、「ちょっと実話に基づいた」というような注釈があるのだが、それが証拠にルーシーがフェリーニに触れたのが1993年10月になっている。ベロナの青年と愛をはぐくんだのも数日あったはずだし、そもそも出発はいきなり電話してから数日間の猶予がある。
ちゃんとした日付の記述はないものの、そう考えると納得のいくラストシーンに仕立ててあるところが恐ろしく感じるのだ。
というわけで、94点の高得点。フェリーニをオマージュしまくった映像もそうだし、なんといってもそこに通底する彼の映像哲学をビシビシ感じ取る。「道」「甘い生活」あたりは作品の中でも、繰り返し出てくるのだが、こうした不朽の名作を新作に落とし込むやり方というのは斬新だし、なんといってもすそ野を広げるのに十分役立つ。芳醇なラストシーンに心の中で大喝さいを送っている私がいた。

「いやあ、映画って、ほんとにいいもんですよね」
某評論家の名言である。旧作と新作のコラボ、ただ監督に逢いに行きたいという行動力が恋愛につながる奇跡。いろいろ突っ込みどころ満載な点(行き先間違えすぎ問題)はおくとしても、映画一本の評価としては十分すぎるくらいある。でも、この作品も小粒な興行しか挙げられてないんだよね…