新海誠監督に、これ以上ないはなむけの言葉が添えられた、「ラストレター」の予告。
→こちら。
「これは傑作だわ」っとまで結構ハードルを上げた鑑賞になったわけだが、その想いは、あっさりと打ち消されてしまったのだった。
OS系ではどちらでもやっていたこともあり、開始の早かったミント神戸での初鑑賞。
60人程度が着席。カップルが15組程度、ソロは男性やや優位、男性グループも見に来るなど、この物語のはずなのに20代前後の男性層の鑑賞が意外に多く見受けられた。平均は40代前半、男女比は3:2で男性優位とした。
冒頭、小さい滝で戯れる女子高生2人と小学生が描かれる。未咲の忘れ形見・鮎美と本作の主人公でもある、裕里の娘・颯香と、その弟。青春の一ページのようなシーンだが、二人が同席しているのは、未咲の葬儀があったからだ。
大人になった裕里を演じるのは松たか子。遺影になっているのが、なんと大学時代の未咲というのだから、正直びっくりする。子供と一緒に写真すらとっていないとは、どういうことなのだろうか、と思うのだが、その理由もおいおいわかっていく。
未咲が本来出るべき同窓会の席上になぜか姿を現す裕里。だが、同窓生は全員未咲と誤認するのだ。そもそも「欠席します」と返信の手紙出せば済む話、行ったにしてもそこに理由があるとみられても仕方ない。そう。それが裕里の初恋の相手でもある乙坂鏡史郎との出会いを少し期待したからではないか、と思うのだが、まったくこの設定は少しもやもやっとする。何しろ、それが言われていないから余計だ。
そして、裕里であることにうすうす気が付きながら、乙坂は文通を始めるのだ。正確には、裕里からネタを振っているのだが、ここでも裕里は高校の時に行ったように未咲を詐称しているのだ。このあたりでもやもやはピークに達する。そんな茶番に付き合いたくもない。
高校の時に行った自分が好きになっていった「先輩」とのラブレターの交換。そしてそれは一切未咲には届いていない。そのシーンも言われていたのだが、結局若い乙坂は、裕里を受け入れなかったのだ。そこから二人の姉妹の歯車が狂っていく。
家庭を持ち、やや裕福な裕里と、子供は作ったが、自分の命を全うできなかった未咲。この名前の持つ意味あいにも注目である。
実家にラブレターが届けられるようになるころ、夏休み中に実家に逗留していた鮎美と颯香は、母・未咲を好きになっていた乙坂の返信を心待ちにするようになる。だが、結局は自分の昔話に終始する。
得点は86点までとなり、案外な部類に映ってしまった。
広瀬すずと森七菜のダブルキャスト、そこに松たか子と、福山雅治がどう絡んでくるか、というところが世間の見立てであるし、実際姉妹の幼少期を今を時めく女優二人で演じるだろうな、ということは想像ついた。だが、まさか、次世代まで、同じキャストで乗り切ることにするとは思いもよらなかった。この部分はしてやられた、というか、設定の妙といわせていただく。
卒業生の答辞を、乙坂と二人で考えたこと、つまり、二人の想いの結実がこの作品のタイトルにもなっているのだが、それを娘にあてた遺書の形で手渡すとか、もっと他の想いはなかったのだろうか、とも思うし、また、乙坂も未咲がそんなに好きなら一緒になってしまえばよかったのに、と思わざるを得ない。未咲の結婚した相手もクズの見本みたいな男。これでは自殺しても仕方ない。
方や自殺、 方や未咲の幻影にとらわれて売れない小説家。一人家庭を持てている裕里だけが恵まれているようにも思うのだが、いくら初恋の人が目の前に現れたからといって、高校時代にやったことをまたやるのか、となったのは当然だ。大の大人が、なぜ姉を騙って手紙を出し続けたのか?
このあたりにストーリーに入り込めない隙間があったように思う。岩井監督らしく、登場人物に語らせるあたりは演出としては悪くないが、饒舌すぎるきらいのある阿藤(ちょい役ながら豊川悦司の存在感は捨て置けない)だとかはいらないとは思わないが、脇筋に過ぎると感じた。一方的にしゃべる阿藤。気圧される乙坂。クズなのに言っていることは正論であるところも少しだけイラッとする。
とはいえ、主演の女優二人の演技で、そう言ったマイナスの作劇は、すべてキャンセルされる。二人が義理の姉妹である現実編も、実際の姉妹だった回想編も、文句のつけようのない演技でびっくりする。なんといっても、今や業界大注目の森七菜の演技は、自然体すぎるだけでなく、そこにきっちり監督の要求たる感情をにじませてくれている。自由に演技をさせたからかな、と思わないでもないが、仮に姉妹がこの二人でなかったら、この作品はとんでもない低評価になっていたと思われる。
庵野氏は庵野氏だったし、しっかりと自分を出さない福山演じる乙坂の設定もそこまで悪いとは思わない。だが、「そんなバカな」となる欠陥の多さは、いかんともしがたい。途中で差出人が変わる=筆跡が変わったことも見抜けないとは、どう考えてもおかしい。高校の時の行動そのままが繰り返される……それも25年後に、である。物理的に楽しめなくしてしまっては、せっかくの設定も水の泡である。
高評価が多いのは、初恋ってものに過大なイメージや妄想を膨らましている層ではないか、と思う。相思相愛でも結ばれない、心の片隅に残ってしまう片想いのあの人。その設定は今まで五万と見てきたし、奇妙な三角関係がもたらす結末は時として誰得でもなくなってしまう。最後の答辞を未咲と鮎美が二人して読み合わせるシーンがあるのだが、そこに時代の継承を言いたいのだとしても、その原稿用紙だけでは物足りない、と感じるのだ。きっちりと前を向けているラストになっているかどうかもわかりづらい。
そりゃあ、沁みないわけではない。でも、こんな痛々しい初恋をしていない当方にしてみれば、姉と乙坂の間に入った裕里のわがままぶりがどうしても"許せない"と思ってしまう。そして25年経ってもまた同じことを乙坂にする。この女性は何なんでしょうね?
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「これは傑作だわ」っとまで結構ハードルを上げた鑑賞になったわけだが、その想いは、あっさりと打ち消されてしまったのだった。
OS系ではどちらでもやっていたこともあり、開始の早かったミント神戸での初鑑賞。
60人程度が着席。カップルが15組程度、ソロは男性やや優位、男性グループも見に来るなど、この物語のはずなのに20代前後の男性層の鑑賞が意外に多く見受けられた。平均は40代前半、男女比は3:2で男性優位とした。
冒頭、小さい滝で戯れる女子高生2人と小学生が描かれる。未咲の忘れ形見・鮎美と本作の主人公でもある、裕里の娘・颯香と、その弟。青春の一ページのようなシーンだが、二人が同席しているのは、未咲の葬儀があったからだ。
大人になった裕里を演じるのは松たか子。遺影になっているのが、なんと大学時代の未咲というのだから、正直びっくりする。子供と一緒に写真すらとっていないとは、どういうことなのだろうか、と思うのだが、その理由もおいおいわかっていく。
未咲が本来出るべき同窓会の席上になぜか姿を現す裕里。だが、同窓生は全員未咲と誤認するのだ。そもそも「欠席します」と返信の手紙出せば済む話、行ったにしてもそこに理由があるとみられても仕方ない。そう。それが裕里の初恋の相手でもある乙坂鏡史郎との出会いを少し期待したからではないか、と思うのだが、まったくこの設定は少しもやもやっとする。何しろ、それが言われていないから余計だ。
そして、裕里であることにうすうす気が付きながら、乙坂は文通を始めるのだ。正確には、裕里からネタを振っているのだが、ここでも裕里は高校の時に行ったように未咲を詐称しているのだ。このあたりでもやもやはピークに達する。そんな茶番に付き合いたくもない。
高校の時に行った自分が好きになっていった「先輩」とのラブレターの交換。そしてそれは一切未咲には届いていない。そのシーンも言われていたのだが、結局若い乙坂は、裕里を受け入れなかったのだ。そこから二人の姉妹の歯車が狂っていく。
家庭を持ち、やや裕福な裕里と、子供は作ったが、自分の命を全うできなかった未咲。この名前の持つ意味あいにも注目である。
実家にラブレターが届けられるようになるころ、夏休み中に実家に逗留していた鮎美と颯香は、母・未咲を好きになっていた乙坂の返信を心待ちにするようになる。だが、結局は自分の昔話に終始する。
得点は86点までとなり、案外な部類に映ってしまった。
広瀬すずと森七菜のダブルキャスト、そこに松たか子と、福山雅治がどう絡んでくるか、というところが世間の見立てであるし、実際姉妹の幼少期を今を時めく女優二人で演じるだろうな、ということは想像ついた。だが、まさか、次世代まで、同じキャストで乗り切ることにするとは思いもよらなかった。この部分はしてやられた、というか、設定の妙といわせていただく。
卒業生の答辞を、乙坂と二人で考えたこと、つまり、二人の想いの結実がこの作品のタイトルにもなっているのだが、それを娘にあてた遺書の形で手渡すとか、もっと他の想いはなかったのだろうか、とも思うし、また、乙坂も未咲がそんなに好きなら一緒になってしまえばよかったのに、と思わざるを得ない。未咲の結婚した相手もクズの見本みたいな男。これでは自殺しても仕方ない。
方や自殺、 方や未咲の幻影にとらわれて売れない小説家。一人家庭を持てている裕里だけが恵まれているようにも思うのだが、いくら初恋の人が目の前に現れたからといって、高校時代にやったことをまたやるのか、となったのは当然だ。大の大人が、なぜ姉を騙って手紙を出し続けたのか?
このあたりにストーリーに入り込めない隙間があったように思う。岩井監督らしく、登場人物に語らせるあたりは演出としては悪くないが、饒舌すぎるきらいのある阿藤(ちょい役ながら豊川悦司の存在感は捨て置けない)だとかはいらないとは思わないが、脇筋に過ぎると感じた。一方的にしゃべる阿藤。気圧される乙坂。クズなのに言っていることは正論であるところも少しだけイラッとする。
とはいえ、主演の女優二人の演技で、そう言ったマイナスの作劇は、すべてキャンセルされる。二人が義理の姉妹である現実編も、実際の姉妹だった回想編も、文句のつけようのない演技でびっくりする。なんといっても、今や業界大注目の森七菜の演技は、自然体すぎるだけでなく、そこにきっちり監督の要求たる感情をにじませてくれている。自由に演技をさせたからかな、と思わないでもないが、仮に姉妹がこの二人でなかったら、この作品はとんでもない低評価になっていたと思われる。
庵野氏は庵野氏だったし、しっかりと自分を出さない福山演じる乙坂の設定もそこまで悪いとは思わない。だが、「そんなバカな」となる欠陥の多さは、いかんともしがたい。途中で差出人が変わる=筆跡が変わったことも見抜けないとは、どう考えてもおかしい。高校の時の行動そのままが繰り返される……それも25年後に、である。物理的に楽しめなくしてしまっては、せっかくの設定も水の泡である。
高評価が多いのは、初恋ってものに過大なイメージや妄想を膨らましている層ではないか、と思う。相思相愛でも結ばれない、心の片隅に残ってしまう片想いのあの人。その設定は今まで五万と見てきたし、奇妙な三角関係がもたらす結末は時として誰得でもなくなってしまう。最後の答辞を未咲と鮎美が二人して読み合わせるシーンがあるのだが、そこに時代の継承を言いたいのだとしても、その原稿用紙だけでは物足りない、と感じるのだ。きっちりと前を向けているラストになっているかどうかもわかりづらい。
そりゃあ、沁みないわけではない。でも、こんな痛々しい初恋をしていない当方にしてみれば、姉と乙坂の間に入った裕里のわがままぶりがどうしても"許せない"と思ってしまう。そして25年経ってもまた同じことを乙坂にする。この女性は何なんでしょうね?