私自身、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のTVアニメーションは、この外伝鑑賞時、設定やストーリーのアウトラインは知っていたものの、視聴に至る情熱的なものは勃興せず、HDDの中に埋もれたままだった。ラスト作である作品を前に予習しておいて正解だった。
主役のヴァイオレットがあの美貌ながらまだ14歳程度、だから家庭教師に出かけられた(年の近いものどおし、というセリフにはもっと早くに気が付いておくべきだったかな?)、という設定。そして、この外伝が指し示したのは、「手紙を書くことの重要性」というところだった。
2年ぶりに劇場で見られる、となったら、何を差し置いても行く一択だった。10時過ぎに塚口サンサン劇場着。10:30の回は、そんなわけで、圧倒的な男性ソロが席を埋めるが、カップルも3組、ペアも男女とも1組程度来訪。平均年齢は40歳程度、男女比は3:2で男性優位と出た。
約1年半ぶりの鑑賞。ストーリーも手の内で、今まで気づかなかったところとかも浮き彫りになる鑑賞回だったが、なんというか、いちいち丁寧なのだ。
エイミー・バートレットが本当は成し遂げたかった「ふたつ星」。「僕の宝物」でもあったテイラーを手放す決断は、まだ年端もいかない彼女にとってもつらいものだったに違いない。「生きる意味をくれた」テイラー、そのテイラーは「幸せ運びたい」と願い、孤児院を出奔してくる。「白い鳥が飛び立つ朝」に二人して歩く道程、 デビュタントの「くるくる回る風に舞うステップ」が、イザベラ=エイミーの成長を表現する。ヴァイオレットは「思いが、届きますように」とテイラーを見送り、二人は、別々の道を「歩いていく ぼくも私も」と決めるのだ。
あえて「エイミー」の歌詞をぶつけてみたのだが、本当によく作詞されている。初見でタイトルだけに心奪われ、どうしようもなくなったのだが、のちの「みちしるべ」がまさしくヴァイオレットとギルベルトとの二人の行く末を案じするようで恐ろしかった。
ただこの映画は、そういうわけで、エンドロール中の主題歌で泣けてしまうという始末の悪さだけが問題である。あー、またランキングに大きく絡みそうな一本が紛れ込んできたw
主役のヴァイオレットがあの美貌ながらまだ14歳程度、だから家庭教師に出かけられた(年の近いものどおし、というセリフにはもっと早くに気が付いておくべきだったかな?)、という設定。そして、この外伝が指し示したのは、「手紙を書くことの重要性」というところだった。
2年ぶりに劇場で見られる、となったら、何を差し置いても行く一択だった。10時過ぎに塚口サンサン劇場着。10:30の回は、そんなわけで、圧倒的な男性ソロが席を埋めるが、カップルも3組、ペアも男女とも1組程度来訪。平均年齢は40歳程度、男女比は3:2で男性優位と出た。
約1年半ぶりの鑑賞。ストーリーも手の内で、今まで気づかなかったところとかも浮き彫りになる鑑賞回だったが、なんというか、いちいち丁寧なのだ。
エイミー・バートレットが本当は成し遂げたかった「ふたつ星」。「僕の宝物」でもあったテイラーを手放す決断は、まだ年端もいかない彼女にとってもつらいものだったに違いない。「生きる意味をくれた」テイラー、そのテイラーは「幸せ運びたい」と願い、孤児院を出奔してくる。「白い鳥が飛び立つ朝」に二人して歩く道程、 デビュタントの「くるくる回る風に舞うステップ」が、イザベラ=エイミーの成長を表現する。ヴァイオレットは「思いが、届きますように」とテイラーを見送り、二人は、別々の道を「歩いていく ぼくも私も」と決めるのだ。
あえて「エイミー」の歌詞をぶつけてみたのだが、本当によく作詞されている。初見でタイトルだけに心奪われ、どうしようもなくなったのだが、のちの「みちしるべ」がまさしくヴァイオレットとギルベルトとの二人の行く末を案じするようで恐ろしかった。
ただこの映画は、そういうわけで、エンドロール中の主題歌で泣けてしまうという始末の悪さだけが問題である。あー、またランキングに大きく絡みそうな一本が紛れ込んできたw