劇場に足しげく通うようになったこともあるのだが、いわゆる大規模興行にかからない作品を上映してくれる劇場の存在が私の感性に大きな影響を与え続けている。
それがここ、シネ・リーブル神戸である。
最初のとっかかりは、実は『ニンジャバットマン』である。505席のアネックスにわずか6名、という稀有な体験もさせてもらったこともあるのだが、それ以降、マイシネコンが見たい作品をやらない場合はここを狙い撃ちしてみたりしている。
おかげで、知ってよかったといえる作品を何作か見させてもらった。「いつだってやめられる」はペーソスの効いたコメディだったし、「家へ帰ろう」は、堅意地の張った爺さんが解きほぐされていく過程が胸に刺さった。
予告の時点で「傑作」と見切れた作品のあたり度合いは、当方の自慢である。ここ最近では、「喜望峰」あたりが外れの部類になるのだが、これはそうでもしないとみてもらえないから仕方ないとみている。
そうした中で当方が「女王陛下のお気に入り」の前に見ておきたかったのが、「ヴィクトリア女王最期の秘密」である。原題は「Victoria and Abdul」。女王と下僕という立ち位置なのだが、予告の段階でそう感じさせないところがあって、これはどう見せてくれるのか、と思ってかなり気になっていた。
当初は賞味期限の短い「シティーハンター」の朝一回を押さえようと思っていたのだが、時間を勘違いして逃してしまう。で、次善の策としてこの作品を選んだのだが…
「 傑 作 で す 」
なので、どうしても皆さんに紹介したいとばかりに、他の用事をすっ飛ばし(ヒトラー第三の男とかちいさな独裁者とか観るつもりだったが、もうお腹いっぱいになってしもうた)、急遽自宅に帰って熱の冷めないうちにレビューを書こうと思ったくらいの作品だった。
時は19世紀末期。インドを手中に収めた大英帝国だったが、そこに至るまでの艱難辛苦は描かれていない。ここで一人の敬虔なイスラム教徒に「記念の金貨を贈呈する受け渡し役」として白羽の矢が立つ。彼こそがアブドゥル。もう一人のモハメドとともにイギリスにわたる。
女王主催の晩さん会は、笑いを禁じ得ない絵巻物であった。彼女が中心で回る晩さん会。彼女が食べ終われば途中であっても下げられてしまうのはどういうマナーなんだろうか、と思わずにはいられない。ほかのゲストが丁寧に食べている肉ですら、手づかみでむさぼり付くというシーンは、本当に笑いを禁じ得ない。
そして、いよいよ本番。だが、目を合わせてはいけないという禁をアブドゥルは犯してしまう。しかし、そこにあったのは女王の側から送っていた視線であるという風にも受け取れる。
彼を気に入った女王は手元に置いておくことを決める。そして昼食会の時、彼は跪き、女王の靴にキスをするのである。
男性の側が、キスをする際に、女性のどこにキスをするかで気持ちがわかるというサイトがあった。→こちらこの行為自体は予定されたものではないし、あとでアブドゥルは叱責を受ける。だが、この結果、さらに信頼を受けることになっていく。
二人きりの執務室。彼は、インドに行ったことのない彼女に習慣や言葉を教えていく。だが、この下僕のあまりになれなれしい態度に取り巻きたちの焦燥感は募っていく。
この作品第一の山は、二人きりで別荘に赴いたとき。この時女王は、ただの一人のさびしがり屋の老婆になっていた。自分の素をさらけ出すことをいとわない女王、それを受け止めるアブドゥル。この芝居の良さにあろうことか、涙腺が反応する。それも厳し目に、だ。
こういうところで、にんげんを見せられると、私はどうも弱いようである。それまでが虚勢であったというわけではなく、女王といえども人間なのだと思い知り、その重圧の厳しさを見せないで過ごせていることに驚愕すると同時に、再婚しなかった彼女の心の闇を見出してしまった。しかし、この旅で、二人の関係は分かちがたいものになっていく。
そしてフィレンツェでの夜。アブドゥルが妻帯者であることを知った女王は、「帰れ」というが、それを受け入れないアブドゥル。インド人も信義に厚いところを見せつけてくれている。結果的に家族がイギリスに入ってくると、ますます取り巻きたちの攻撃は度を過ぎて強くなっていく。
だが、女王の態度は明確だった。「人種や生い立ちで差別するのか」「あなたたちと何が違う?」など、名言もそこら中に出てくる。そしてとうとうアブドゥルにナイトの爵位までつけるといい出したのだった。
結局勲章を授与することで取り巻きたちの反乱は収まったが、その日から体調を崩して最期看取られながら息を引き取る。ここの作劇も十分泣かせる。二人して向かったもう一人の方は、無念の死を遂げたわけだが、彼がアブドゥルを売らなかったところは凛とした思いを受け止められた。だが、女王という庇護が無くなって彼らは帰国を余儀なくされる。渡されたペンダントが唯一の形見のようになってイギリスを去りながらも、タージマハルそばに建てられた銅像にまたしてもキスをして「陛下」と慕うアブドゥルで幕を閉じる。
もうここで宣言してしまう。
今のところこの作品が本年の暫定一位である。Yahooレビューはもう一つの様相を呈しているが、この作品が投げかける「反レイシズム」「ホワイトウォッシュ」思想にはかなり共感できるものがある。晩年のヴィクトリア女王が、このインド人青年と交流することでかくも豊かなその時期を迎えられたことを史実に基づいて描いている。出自や学歴にとらわれず、人を見た女王、結果出世していくアブドゥル。彼が嘘(インド大反乱はムスリムが主要因だったりしたことなど)を付いてまで取り入ろうとしたとは思えないのだが、あの寸劇から少し女王と距離を置くことになったあたりからの流れは少しだけよどみを感じさせてくれた。
死は避けて通れない。外で立ち尽くし、その瞬間に立ち会えなかったアブドゥルの芝居は、愛しい人の別れに際して流す涙であり、我々にもストレートに伝わってくる。
ツイでのファーストは96点だが97点に一ポイント上昇。大英帝国の女帝も人間であり、しかも聡明であった。取り巻きたちが愚鈍すぎてあほらしくも見えるわけだが、有色人種に向けられる差別はこんなものではなかったはずである。
真の交流。それが描かれる時代になったということなのだろうか。この作品が提示する重さは並大抵のものではないはずである。
それがここ、シネ・リーブル神戸である。
最初のとっかかりは、実は『ニンジャバットマン』である。505席のアネックスにわずか6名、という稀有な体験もさせてもらったこともあるのだが、それ以降、マイシネコンが見たい作品をやらない場合はここを狙い撃ちしてみたりしている。
おかげで、知ってよかったといえる作品を何作か見させてもらった。「いつだってやめられる」はペーソスの効いたコメディだったし、「家へ帰ろう」は、堅意地の張った爺さんが解きほぐされていく過程が胸に刺さった。
予告の時点で「傑作」と見切れた作品のあたり度合いは、当方の自慢である。ここ最近では、「喜望峰」あたりが外れの部類になるのだが、これはそうでもしないとみてもらえないから仕方ないとみている。
そうした中で当方が「女王陛下のお気に入り」の前に見ておきたかったのが、「ヴィクトリア女王最期の秘密」である。原題は「Victoria and Abdul」。女王と下僕という立ち位置なのだが、予告の段階でそう感じさせないところがあって、これはどう見せてくれるのか、と思ってかなり気になっていた。
当初は賞味期限の短い「シティーハンター」の朝一回を押さえようと思っていたのだが、時間を勘違いして逃してしまう。で、次善の策としてこの作品を選んだのだが…
「 傑 作 で す 」
なので、どうしても皆さんに紹介したいとばかりに、他の用事をすっ飛ばし(ヒトラー第三の男とかちいさな独裁者とか観るつもりだったが、もうお腹いっぱいになってしもうた)、急遽自宅に帰って熱の冷めないうちにレビューを書こうと思ったくらいの作品だった。
時は19世紀末期。インドを手中に収めた大英帝国だったが、そこに至るまでの艱難辛苦は描かれていない。ここで一人の敬虔なイスラム教徒に「記念の金貨を贈呈する受け渡し役」として白羽の矢が立つ。彼こそがアブドゥル。もう一人のモハメドとともにイギリスにわたる。
女王主催の晩さん会は、笑いを禁じ得ない絵巻物であった。彼女が中心で回る晩さん会。彼女が食べ終われば途中であっても下げられてしまうのはどういうマナーなんだろうか、と思わずにはいられない。ほかのゲストが丁寧に食べている肉ですら、手づかみでむさぼり付くというシーンは、本当に笑いを禁じ得ない。
そして、いよいよ本番。だが、目を合わせてはいけないという禁をアブドゥルは犯してしまう。しかし、そこにあったのは女王の側から送っていた視線であるという風にも受け取れる。
彼を気に入った女王は手元に置いておくことを決める。そして昼食会の時、彼は跪き、女王の靴にキスをするのである。
男性の側が、キスをする際に、女性のどこにキスをするかで気持ちがわかるというサイトがあった。→こちらこの行為自体は予定されたものではないし、あとでアブドゥルは叱責を受ける。だが、この結果、さらに信頼を受けることになっていく。
二人きりの執務室。彼は、インドに行ったことのない彼女に習慣や言葉を教えていく。だが、この下僕のあまりになれなれしい態度に取り巻きたちの焦燥感は募っていく。
この作品第一の山は、二人きりで別荘に赴いたとき。この時女王は、ただの一人のさびしがり屋の老婆になっていた。自分の素をさらけ出すことをいとわない女王、それを受け止めるアブドゥル。この芝居の良さにあろうことか、涙腺が反応する。それも厳し目に、だ。
こういうところで、にんげんを見せられると、私はどうも弱いようである。それまでが虚勢であったというわけではなく、女王といえども人間なのだと思い知り、その重圧の厳しさを見せないで過ごせていることに驚愕すると同時に、再婚しなかった彼女の心の闇を見出してしまった。しかし、この旅で、二人の関係は分かちがたいものになっていく。
そしてフィレンツェでの夜。アブドゥルが妻帯者であることを知った女王は、「帰れ」というが、それを受け入れないアブドゥル。インド人も信義に厚いところを見せつけてくれている。結果的に家族がイギリスに入ってくると、ますます取り巻きたちの攻撃は度を過ぎて強くなっていく。
だが、女王の態度は明確だった。「人種や生い立ちで差別するのか」「あなたたちと何が違う?」など、名言もそこら中に出てくる。そしてとうとうアブドゥルにナイトの爵位までつけるといい出したのだった。
結局勲章を授与することで取り巻きたちの反乱は収まったが、その日から体調を崩して最期看取られながら息を引き取る。ここの作劇も十分泣かせる。二人して向かったもう一人の方は、無念の死を遂げたわけだが、彼がアブドゥルを売らなかったところは凛とした思いを受け止められた。だが、女王という庇護が無くなって彼らは帰国を余儀なくされる。渡されたペンダントが唯一の形見のようになってイギリスを去りながらも、タージマハルそばに建てられた銅像にまたしてもキスをして「陛下」と慕うアブドゥルで幕を閉じる。
もうここで宣言してしまう。
今のところこの作品が本年の暫定一位である。Yahooレビューはもう一つの様相を呈しているが、この作品が投げかける「反レイシズム」「ホワイトウォッシュ」思想にはかなり共感できるものがある。晩年のヴィクトリア女王が、このインド人青年と交流することでかくも豊かなその時期を迎えられたことを史実に基づいて描いている。出自や学歴にとらわれず、人を見た女王、結果出世していくアブドゥル。彼が嘘(インド大反乱はムスリムが主要因だったりしたことなど)を付いてまで取り入ろうとしたとは思えないのだが、あの寸劇から少し女王と距離を置くことになったあたりからの流れは少しだけよどみを感じさせてくれた。
死は避けて通れない。外で立ち尽くし、その瞬間に立ち会えなかったアブドゥルの芝居は、愛しい人の別れに際して流す涙であり、我々にもストレートに伝わってくる。
ツイでのファーストは96点だが97点に一ポイント上昇。大英帝国の女帝も人間であり、しかも聡明であった。取り巻きたちが愚鈍すぎてあほらしくも見えるわけだが、有色人種に向けられる差別はこんなものではなかったはずである。
真の交流。それが描かれる時代になったということなのだろうか。この作品が提示する重さは並大抵のものではないはずである。